4.トゥルーエンド

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4.トゥルーエンド

夕食の席。紫月さんは私に対して気まずそうにしている。 「ねーえー? 九条のおじさまぁ。おじさまって愛人募集してないのぉ?」 それを喧嘩したとでもとったのだろうか。久遠寺が甘えた声を出す。 「なにを言っているんだ君は」 「えーっ? だっておじさま、格好良いしぃ? お金持ちだしぃ? もし愛人募集してるならぁ、立候補しちゃおうかなぁ? なんて・・・」 「君はもう少し己の愚かさを自覚したほうが良い」 久遠寺はぽかんと呆けたあと、紫月さんを睨み付ける。 「久遠寺さん、私が見えないからと馬鹿にしているんだろうがね、視線というものは強い力を持つものだ。睨み付けられていることくらいはわかるよ。それと、私の弱みを握ろうとして屋敷の中を引っ掻き回さないでくれるかな。掃除をしてくれる葉山さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになるよ」 「・・・あーっ!! もう最ッ悪!! なんで私がここまで馬鹿にされなくちゃいけないのよ!! もう帰る!! 帰ればいいんでしょ!! 船出してよ!!」 「朝に帰れ久遠寺。船頭の博文さんはもう仕事終わってるんやぞ。これ以上周りに迷惑かけるな」 「・・・ほんッと最低。クソブスナナフシ女。あんたにゃその欠陥品のおっさんがお似合いよ!! 精々介護生活頑張るのね!!」 久遠寺が両手でテーブルを叩く。食器と料理が悲鳴を上げた。久遠寺はドスドスと荒っぽい足音を立てて食堂から出て行った。 「紫月さん」 「文香さんが謝る必要はないよ。ああいう子はどこかで大人が怒ってあげないとずっと調子に乗り続ける。あんまり高いところに乗っていると落ちた時の痛みが増すだけだ」 紫月さんは呆れたように笑い、 「まあ、落ちてもわからない馬鹿も居るけどね」 と言った。あれは恐らく『目を閉じているだけ』だ。そして、すぐに見えなくなった。夕食後は勉強をする。寝る時間、つまり薬を飲む一時間前になると、私は紫月さんがくれた水色のワンピースに着替えた。白いパンプスも履く。 「似合わんなあ」 呆れて笑ってしまう。この格好で紫月さんの部屋に行こう。寝巻と薬の入ったポーチを持って、部屋を出た。 「こんばんは、紫月さん」 「ふふっ。こんばんは、文香さん」 夜の部屋に昼の月が浮かんでいる。 「一緒に寝たくて、来ちゃいました」 「屋敷の中とはいえ、夜はあまり出歩いちゃいけないよ」 「はい」 二人で寝室に移動し、ベッドに腰かけた紫月さんの両肩に手を置く。 「今、紫月さんに貰った水色のワンピースを着てるんです」 破顔一笑。 「触って確かめて」 紫月さんの両手が私の両手を伝い、身体の線を探るように降りていき、生地を撫でる。 「寝巻は目の前で着替えますよ」 「それは・・・興奮するな・・・」 「スケベオヤジめ」 「ふふっ、早く着替えておくれよ」 「では、失礼して・・・」 する、さらり、衣擦れの音。 「・・・イイな。凄くイイ」 「嫁に来てくれたら毎日だって聞かせてあげますよ」 「よ、嫁!?」 「私、絶対に医者になりたいし、家庭に入って専業主婦とか無理なんで。なら紫月さんを連れ出すしかないでしょ。婿養子も嫁も同じです。言い方が違うだけですよ」 紫月さんは顔を真っ赤にしている。 私はもうこの人にダイヴはしない。 「どうしてもと言うのなら九条文香になっても構いませんけど?」 「最近の若い子は積極的だな・・・」 「どっちにするんです?」 「・・・私をここから連れ出してくれるのか?」 「泣くほど嬉しいの? 私の前では好きなだけ泣いていいんですからね」 「ありがとう」 紫月さんの額に、頬に、唇に、何度もキスをして髪を撫でる。そのままベッドの中へ二人で潜り込む。互いの指が互いの身体を滑る。口付ける音。吐息。シーツを掴んで仰け反ったアダムの林檎に齧り付く。 「紫月さん、目が見えないってどんな感じ?」 私の問いに、紫月さんは甘い声で答える。 「・・・灰色、だな。酷く薄い。昼間に見える月みたいだ」 「素敵な例えですね」 「君にだけ、見せてあげるよ。私の瞳は少し変わっていてね。色素が薄くてまるで琥珀のよう、らしいよ」 紫月さんの手が私の頬を包む。 「おいで」 手に導かれ、顔を向かい合わせる。 そっと、目蓋が開く。 視線は、合わない。琥珀が暗い部屋で煌めく。 「・・・どうかな」 「綺麗」 「ふふっ、嬉しいよ」 「キャラメルみたいで美味しそう」 「食べちゃ駄目だよ。文香さん、お願いがあるんだ」 「なんですか?」 「・・・君と二人きりの時は、目蓋を開けていてもいいかな?」 「いいですよ」 「ありがとう。本当はいつも、意識して目蓋を閉じているんだ。過去に『目が合わなくて気持ち悪い』と言われて傷付いたことがあってね」 「私だけの宝石ですね」 「気障だねえ・・・」 くつくつと鍋が煮えるように紫月さんは笑った。 「文香さん」 「なんですか?」 「・・・映画は好きかい?」 「はい」 「私も好きだった。今は映画の主人公のような気分だ。ヒロインの君はどんなエンディングを望む?」 「ハッピーエンド・・・」 紫月さんが笑う。なんて可愛い。 「でも、紫月さんとなら、バッドエンドでもいいですよ」 「目が見えない私は、足手まといだろうに」 「なに馬鹿なこと言ってんですか。紫月さん、私が望むエンディングはね、トゥルーエンドですよ」 「真実・・・?」 「はい。我儘を言うけど、紫月さんの全てを知りたいんです」 「・・・ふふっ。仕様もない男だよ」 柔らかく笑う紫月さんと、夜を共にする。 数日後。 竹内と喫茶店で落ち合う。 「竹内さん、もう帰ってください」 「・・・そう、か。僕はこれで終わりだな」 竹内は寂しそうに笑った。 「泉さんにもね、言われたんだよ。『もう竹内部長じゃなくて竹内さんですね』って。竹内部長は、もう居ない。一般人の僕にできることも、もう無い。さよなら、水無瀬さん。お幸せにね」 町ですれ違っても、互いに声をかけることは、もう無いだろう。 「おかえり、文香さん」 「・・・紫月さん」 昼に夜の月が妖しく光っている。 「ふふっ。演技をしていると、何故わかるのかな?」 「私にもわかりません・・・」 「ふふっ、ははは! 何故かな、本当に」 紫月さんに抗う術を、私は持たない。 「悪巧みは上手くいったのかい?」 「・・・竹内さんには帰ってもらいました」 「へえ、そう」 どうでもよさそうな態度だ。 「トゥルーエンド。真実、か・・・」 紫月さんが人差し指の腹で唇を撫でながら言う。 「俺を暴いてどうする」 「わ、私は・・・」 責める口調に思わず怯む。 「姪の誠はね、俺と関係を持っていたんだよ」 「えっ・・・?」 「肉体関係さ。誠から乞われてね。というか脅迫だなあれは。あの女は九条グループの正式な後継者として扱われていたからね。あの女の気分次第で私は路頭に迷ってもおかしくなかった。だから俺が引き受けたんだよ。俺の目が見えると知るとたいそう喜んで、可愛い下着だの、恥ずかしい姿勢だの、色々見せてくれたよ。下品な女だ。吐き気がする」 私は唇を結ぶ。 「君とは大違い」 紫月さんはにこりと笑う。 「さて、遊んでもらおうかな」 「平成の切り裂きジャックは、船頭の九条博文さんですか?」 私の問いに、紫月さんは驚いた顔をしてぴたりと固まった。 「私の推理が正しければ、ですけど・・・」 「推理? あはははは! 探偵にでもなったらいいや!」 紫月さんは心底楽しそうに笑った。 「・・・あー、笑った笑った。久しぶりにこんなに笑ったよ」 さらり、紫月さんの髪が揺れる。 「そうだ。平成の切り裂きジャックは九条博文だ」 濃密な甘い匂いが、咽るほど立ち込めた気がした。 「彼も元は君と同じ医大生。産婦人科医を目指していた。それで私は彼を可愛がっていたんだよ。彼は女性を尊敬していた。生命を産み出す神秘の女性をね。男は快楽と共に精液を出すだけ。彼は俺と同じ考えを持っていた」 紫月さんが、にい、と笑う。 「昔、彼には恋人が居たんだ。でも浮気されて別れることになった。愛していた女に裏切られて酷く落ち込んだ彼に、私はこう声をかけてしまってね・・・」 博文君、一皮剥いてしまえば、人間なんて皆同じだよ。 「まさか本当に皮を剥いで確かめるとは思わないじゃあないか」 くつくつと小鍋で果実を煮るような笑い声。 「それ以来、彼は女性の内臓の虜だ。俺は彼を匿った。彼は俺を神のように崇めてなんでも話すようになったよ。医者になる道を蹴ってまで私を守る道を選んだんだ。今は船頭として、私に近付く者を監視しているのさ。さあ、文香さん。クイズに正解した君に面白い物を見せてあげよう。着いておいで」 紫月さんが立ち上がる。私は黙って紫月さんのあとに続いた。 「足元に気を付けて」 白杖をついて目蓋を閉じた紫月さんが屋敷の外に出る。向かったのは、屋敷の裏の納戸。納戸の中には地下に続く隠し階段。おかしい。どうかしている。こんなのまるで小説の、性質の悪いフィクションの話だ。 「お待ちしておりました」 博文さんが礼をする。 「く、おんじ・・・」 涙でメイクが崩れ、充血した目で必死に私を見る久遠寺。台に固定されて動くことはできず、猿轡を噛まされている。 「文香さん、九月からの解剖実習が憂鬱だと言っていたね?」 「ま、まさか・・・!」 「君が望んだトゥルーエンドだよ、文香さん」 「文香様、『ただし罪人は皆、死ぬ』のです」 「博文君、始めよう」 「はい、紫月様」 猿轡を貫通する久遠寺の断末魔。紫月さんのイギリス訛りの英語。それに合わせて切り取られていく内臓。ずっと私に嫌がらせをしてきた久遠寺の死に、私は爽快感を感じてしまった。しかし、本物の内臓の見た目と独特の臭いには耐えられなかった。 「文香さん、吐くならそこに」 備え付けられた洗面台に胃の中の物を吐く。 「・・・終わりかな?」 「紫月様、ありがとうございました。後片付けは僕がします。文香様とお屋敷にお戻りください」 「博文君、文香さんが警察に駆け込んだらどうする?」 「罪を認めて罰を受けます。死罪でも構いません。いえ、僕は死罪でしょう。それでも構いません」 博文さんはカブトムシを見つけた少年のように笑う。 「俺は共犯だな。九条グループも終わりだね」 紫月さんは下らないものを見るように笑った。下らないのは誰だ。なんだ。平成の切り裂きジャックか、自分自身か、久遠寺椿か、今までの被害者達か、九条グループか、私か。 「旦那様、おかえりなさいませ」 葉山さんが出迎える。 「愛の力は素晴らしいですね! ひきこもりの旦那様がデートをするだなんて!」 「君は正直な子だなあ・・・」 「うふふっ。あら、文香様。顔色が悪いですよ」 「夏にかなり歩いたからね。水分と塩分を摂らせてあげてくれ」 「はい。さ、文香様。キッチンへどうぞ」 私はキッチンで栄養補給をし、自室として与えられた部屋に戻る。そして、寝た。残酷な真実と凄惨な現実を知ったあとなのに、気持ち良く寝た。翌日の朝食の席に久遠寺は勿論参加しなかった。 「旦那様、先ほど博文さんから連絡がありまして、久遠寺様を港町までお送りしたそうです」 「おや、そうか」 紫月さんは別段気にした様子は見せなかった。時が過ぎ、私が家に帰る日がやって来る。 船頭の博文さんは気持ち良さそうに潮風を浴びている。 港町から、電車に乗って家に帰る。母と父が温かく出迎える。この人達の中にも、久遠寺と同じ内臓が。私の中にも、紫月さんの中にも。 九月の解剖実習は、楽しかった。 冬期休暇、紫月さんの屋敷に行く。 「おかえり」 「ただいま戻りました」 荷物は葉山さんが部屋に運んでくれた。私は紫月さんの部屋に行く。ふわり、甘い匂いが香る。 「冬になると思い出すよ」 紫月さんが私をコートの上から抱きしめる。 「君がコートを脱いで私に羽織らせて、その上から抱いてくれた」 私は紫月さんを抱きしめ返す。 「やっと君と酒が飲める。今日を楽しみにしていたんだ」 月には昼も夜もない。 「さあ、一杯飲もう、文香さん」 「はい」 私は九条紫月を愛している。
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