第五章 犬と龍と海と春 の巻

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第五章 犬と龍と海と春 の巻

 池田屋事件の一夜を境に、幕末の動乱は一気に大きく揺れ動く。 八日後、池田屋の惨劇を知った長州藩は怒りに身を任せ武装決起し京都へと進軍。 長州藩全体で幕府に戦争を仕掛けてきた。 所謂、禁門の変である。 長州藩の軍勢は約三千。 それを京都で迎え討つ幕府軍は約二万。 戦う前から勝敗の行方は見えていた。それにも拘らず戦いの海へと漕ぎ出したのは「怒り」と、松下村塾生が持つ「狂」の志か。 いたるところで繰り広げられた戦いは、二万八千戸の家を焼き京都を灼熱地獄と化す。 過激派勤王志士が藩の意思を無視してやろうとしたことを、藩を上げてやってのけたのは皮肉だろうか。  長州藩の軍勢は敗北と共に長州へと引き下がる。長州も佐幕保守派閥が力を取り戻し藩の(まつりごと)も、尊王派は発言力を失っていくのであった。 京の都の過激派勤王志士、特に長州藩浪士はほぼ壊滅状態。 禁門の変にて御所に大砲を放っていることにより、朝廷に弓を引いた朝敵状態。勤王の志を持つ者が、従うべき王に逆らった故に敵と見倣されるのも皮肉なものである。 幕府は朝廷の命により、長州の討伐を正式に命じられた。所謂、長州征伐である。  長州藩であるが、前年に攘夷活動としてアメリカ・フランスの艦船に砲撃を行っており、その二カ国にイギリス・オランダを加えた四カ国との報復戦争が開戦。幕府の長州征伐に応戦し、夷狄四カ国との応戦も行わなければならないために疲弊に疲弊を重ねていた。 長州藩は壊滅の危機に立たされていた。その危機を回避するために一人の男が立ち上がるのだが、その話をするにはまだ早い。 今や京の都は過激派勤王志士を狩る狩り場状態、新選組や京都見廻組や奉行所が見敵必殺と言わんばかりに競い合うために、血煙舞い生首の転がる都と化している……
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