第六章 遠い山並みの彼方 の巻

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「それはそれだ。だからと言って我々が西本願寺を屯所にしていい理由にはならない」 余計なことを話しすぎたようだ。どうも酒を飲んでいると口が湿り舌がよく回る。 伊東甲子太郎は本題を切り出した。 「時に山南さん、剣の流派は何でしたかな? おっと、試衛館に入る前ですよ?」 「北辰一刀流…… であるが……」 「私も北辰一刀流ですよ? おっと、その辺りは藤堂から聞いてそうですね? 北辰一刀流ですが、水戸で隆盛したのは既知のことと存じます。おっと、これは釈迦に説法でしたか」 「何を仰りたいのでしょうか」 「北辰一刀流を学ぶことは水戸学も学ぶことになると言いたいのですよ。近藤殿や土方殿がお好きな歌舞伎の忠臣蔵の頃に始まった学問ですので、江戸の民にも広がっていたとか」 「犬公方(徳川綱吉)様の頃になりますな」 「水戸学の礎を築いたのは、当時の水戸の副将軍『水戸光圀公』にあらせられる。征夷大将軍の地位は天皇から与えられるもので、天皇を守ることこそが幕府の使命であるという教えですな。ところが、天皇を守ると言う点のみが大きくなり、それを成すのが幕府であると言うことがスッポリと抜け落ちて『倒幕』の根拠となっている。そんな考えを持つ尊王志士が多く増え、今や回天せしめようとしているのが現状であるぞ?」 本来の水戸学は尊王と佐幕が二極一対(ワンセット)たる教えである。 しかし、今の尊王志士達は尊王を言い訳にして、幕府から権力の簒奪を行わんとする志を持つ者が多い。 本来の水戸学の教えを正しく理解する者は、尊王志士達の中にはほぼ皆無であると言っても良いだろう。 伊東甲子太郎は正しく理解しているからこそ、新選組に所属しているが…… その内心、最後に選ぶのは尊王。その志のために倒幕が必要であれば躊躇いはないと言うのが本音である。 「私も…… 考えは同じです……」 伊東甲子太郎はニヤリと口角を上げた。北辰一刀流に与されし水戸学、それを学ぶ者であれば尊王思想がある筈だと思っていたのだが、まさかの大正解。 山南は「蟻の一穴」足り得ると考えた。 「さて、新選組には大きな『秘密』があることをご存知ですかな? おそらくは近藤殿と土方殿しか知らぬもの」 「それをなぜ伊東さんがご存知なのでしょうか」 伊東甲子太郎は鳩のようにくくくと笑いながら、山南の脇に置かれた赤心沖光を一瞥する。 「考えたことはないか? なぜに浪士の集まりにこんな業物が支給されるのかを。考えたことはないか? 平の隊士でも毎月十両なんて給料が与えられる理由を?」 言われてみれば、新選組に入ってからは「何不自由のない生活」が出来ている。私含めて島原遊郭も行き放題、芹沢氏が考案したダサい羽織も相当な金額をかけたと言う。あの当時も支援者(ぱとろん)もいるにはいたが、贅沢が出来る程の支援は得られていない。 これまでの新選組の過去を振り返った山南は「秘密」の正体に気がついてしまった。 同時に試衛館の頃から喉の奥に刺さった小骨のように心に引っかかっていたことも思い出してしまう。 伊東甲子太郎はほくそ笑みながら「秘密」の説明を行うのであった……
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