第六章 遠い山並みの彼方 の巻

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 現役幹部山南敬助の突然の脱走に新選組屯所に激震が走る。 隊規一つ、局ヲ脱スルヲ不許。に従うならば、山南は当然切腹。 隊士達は「いくら近藤局長や土方副長でも昔から試衛館の仲間に切腹を命じる訳がない」と考える者が多い。 隊士達の考えは正しく、土方は「山南さんに切腹はさせられない」と情に絆されていた。 だが、切腹をさせなくては隊士達に示しがつかない。今迄散々隊士達に切腹をさせてきたというのに昔からの知己を切腹させるとなった場合には例外を認めるとあれば余計にである。 考えに考えた結果「山南は逃亡に成功した」という筋書(シナリオ)を描くのであった。 「沖田。山南を連れ戻せ」 「僕…… がですか?」 「山南はお前を弟のように可愛がっていた。彼奴も刀を抜いて抵抗することもないだろう。それにお前も刀を抜けないだろう」 この言い回しは「見つけたけど、殺さず逃がせ」と、言うことだろうか。それならば、始めから追手を出さなければいいのだろうが、他の隊士への手前上「追手を出した」と言うことにして隊規の維持を図る芝居が必要なのだろう。 通常であればこういった役割は斎藤一が適任にして専門なのだが、土方の見る限りでは斎藤一は堅物たる忠義に溢れた男。本当に山南を斬ってしまいかねない。そう考えて沖田を選任したのである。 土方の意図を察した沖田は「見つからないで下さい、山南さん」と願いながら馬を出すのであった……  沖田は馬を疾走らせ、屯所から三里程に位置する大津の旅籠街に辿り着いた。 時は春前の寒の極みたる如月、空気も冷えるために沖田は肺に冷気を吸い「けほ けほ」と咳き込んでしまう。これは都合がいい、体調不良で回れ右たる切欠が出来た。 近藤先生や土方さんには「山南さんに逃げられました」と報告を入れて終わりだ。 今にして思えば山南さんは水戸学を学んでおり、僕達のような佐幕思想ではなく尊王に近い考えの持ち主だった。そんな山南さんが新選組に所属して尊王の同士を斬ることに限界が来たのだろう…… 現に山南さんは京都警護の任にもあまりつかなかったし、池田屋の時も体調不良の隊士に紛れるように欠席、禁門の変の時も同じだ。 その気持ちは尊重しなくてはいけない。願わくば、勤王志士となっても新選組と遭遇することない立場にありますように。沖田が馬上で慕情に耽っていると、旅籠・大津近江屋の前を通りかかった。すると、聞き慣れた声が耳に入ってくる。
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