第六章 遠い山並みの彼方 の巻

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「総司!」 大津近江屋の二階の窓より顔を出していたのは山南だった。このまま、見つからずにいればいいものを…… 何故に声をかけたのですか? 沖田は悄然としながら馬から降りる。  大津近江屋の二階の一室にて二人はお互いに面を突き合わせる。窓の外に見えるはちらつく雪模様の白無垢を纏いし琵琶湖が悠然と。 暫しの沈黙の後、口を開いたのは沖田だった。 「どうして、隊を抜けたのですか?」 山南はスッと立ち上がり、窓の外に広がる町並みと琵琶湖を遠い目をしながら見つめた。沖田と目を合わせて話をしたくなかったからである。 「伊東さんが入ってきて新選組での発言力がなくなったからかな? 伊東さんが入ってきてからは、ずっと冷や飯食いだしな」 「嘘ですね。僕の知る山南さんなら冷や飯だって美味しく食べる人です」 「そうだな。俺達の暮らしていた多摩(武蔵国近隣)は天保の大飢饉で苦労してきたんだ。冷や飯だって御馳走だ」 「ええ、八木邸の勇之助が小豆を使ったお手玉で遊んでいた時は『怒り』を覚えたものです」 「食べるもので苦労をしたことがなければ、玩具(おもちゃ)にしても何も思うことはない京都民に妬みを覚えたのだが、さもしいものだった」 いけない。比喩の意味で冷や飯と言ったのに郷里多摩での食生活の話になってしまった。 沖田ははぐらかされてはならないと、声に怒気を込める。 「誤魔化さないで下さい」 「全く…… お前の方が俺を『冷や飯食い』なんて言うから合わせてやったのだぞ?」 「本当にどうして隊を脱したのですか?『一つ、局ヲ脱スルヲ不許』知らないわけではありませんよね?」 「近藤先生と土方さんが考えたことだ。俺はなぁんにも関わっちゃいないよ。知らないに近いかもしれないな」 「あの書き置き、本当は長期外出の申請の書き損ねでしょう? ちゃんと申請しないとダメですよ? 山南さん?」 山南は首を横に振る。そして、優しい笑みを沖田に向けた。 「脱したんだよ。これ以上、新選組ではやっていけないと思ってな」 「もしかして、西本願寺の件ですか? 今からでも遅くないから組長を除いた他の隊士にも」 「駄目だよ。他の隊士にも話をしてみたが歓迎だ」 「くっ…… 戻る気は、ないんですか? 試衛館の皆で近藤先生と土方さんを説得しますよ! だから! 元の通り総長として!」 「今の新選組には居る気になれないのだよ。それに…… 知ってはならんことを知ってしまったしな」 「これは一体どういった」 「おっと、お前もそれを知れば新選組にいられなくなる。未来永劫、口を貝のように閉じる覚悟をお前にさせたくない」 「わかりました。聞きません」 「宗次郎……」 沖田は幼名で呼ばれたことで胸を熱くする。そして蘇るは幼い折に山南に世話をされてきた思い出。その思い出が「いくら隊規であろうと、同じ釜の飯を食った仲間に切腹をさせるなんて間違っている!」と思わせ、山南をどうしても生かしたいと考えてしまう。
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