第六章 遠い山並みの彼方 の巻

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「山南さん! 逃げて下さい! 僕が阿呆だから探し方が甘くて見つからなかったと言うことにします! 江戸のどこかの藩邸に身を寄せて下さい!」 「宗次郎…… お前……」 その瞬間、窓から冷たい風が入ってきた。部屋の空気が冷えると共に、沖田は肺に冷気を吸い咳き込んでしまう。 「ああ、寒かったな。すまない」 山南が障子窓を閉めようとすると、窓の外に見知った顔が現れた。 「犬千代……」 犬千代が窓辺に足をかけ部屋の中に入ろうとしていたのである。こいつは一跳ねで屋根の上まで登る程のバネの持ち主。目の前の道の人通りが少ない機会(とき)を狙って屋根に乗ったのだろう。山南はそう考え、犬千代の目を見据えながら沖田に尋ねる。 「沖田、お前…… 誰に言われて俺を追ってきた?」 沖田は犬千代の姿を見て、後詰めを出してきたかと察する。 「ひ、土方さんです」 犬千代は部屋の中にヒョイと降り、潤んだ目を浮かべながら述べた。 「俺は近藤さんに言われてきた。隊規に従い、いえ…… 幕府の命として山南を斬れと。沖田が連れ帰るか斬るなら何もしなくていいとも言われてる」 沖田は凛とした目で犬千代の顔を見据える。 「犬兄さん。僕には山南さんを斬れません。試衛館で同じ釜の飯を食うた仲間を斬れません。屯所に連れて行って切腹もさせたくありません。犬兄さんだって同じでしょう?」 犬千代は首を横に振り、否定を行う。目は潤んだままである。 「幕府の命とあらば、斬らねばならぬ立場」 顔だけじゃなく、心まで心底幕府に従う犬だと言うのか!? これまで試衛館の一つ屋根の下で暮らしてきた『家族』であろうと、幕府の命一つで平然と斬れるというのか? 沖田が選んだ道は山南を守ることであった。腰に下げていた菊一文字則宗を引き抜き、霞の構えを行い切っ先を犬千代の鼻先に突きつける。 「犬兄さん。どうしてもと言うなら僕は山南さんを守ります」 犬千代は孫六井伊を引き抜き、青眼に構える。 「そうさせてもらう」 試衛館の同じ部屋で本当の兄弟のように過ごしていた二人が真剣で相見えることなどあってはならない。山南はこの事態を引き起こした自分の浅はかさを後悔することしか出来ない。 沖田は霞の構えのまま、山南に述べる。
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