第六章 遠い山並みの彼方 の巻

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 神速三段突きの三段目はゼロ距離から脇差を使っての刺殺狙いの捨て身の一撃である。懐に入り込んでの剣を振れない間合いからの刺突に対処出来る者はいない。沖田はその一連の動きを刹那の間に行うために余計に対処不可能。 このカラクリを知っている試衛館勢でも回避は不可能。 竹刀や木刀を使った練習の時は三段目に入る時は素早く剣を回転させ柄頭で正中線を突きに行くもの。脇差を引き抜くよりは発動が遅くなるが、それでも防げる者は皆無。 沖田の天賦の才からくる剣の速さがなせる奇跡と呼ぶに相応しいだろう。 だが、犬千代は「天然理心流らしいやり方」でこの対処法を編み出していた。沖田の足元へと飛び込み足を掴み持ち上げて背中から倒しにかかったのである。 何が起こったかわからずに天を仰ぐ沖田の眼前に、孫六井伊の切っ先が迫る。 沖田は死を覚悟するも、犬千代は沖田の耳元に孫六井伊を突き立てるに留まった。 「山南敬助を斬れとは命令されているけど、沖田総司を斬れとは言われていません。このまま、寝ていて下さい」 寝ていろと言われて寝ている訳にはいかない。沖田は立ち上がろうとするが、体に力が入らない。首の後ろがジンジンと痛み、その痺れが体に力を入れさせないのである。 犬千代は沖田を倒す時に最初に接地する箇所が首の後ろになるように、足を持ち上げた後の刹那の間に首を前から押しつけたのだ。  山南であるが、その場から逃げることなく二人の戦いを静観していた。 自分のせいで起こってしまったこの戦いを見届ける義務があると思ったからである。 「犬千代。神速三段突きを破るとはな…… 俺含めて近藤先生や土方さんも破れなかったのに」 「松原さんの柔術指南を受けている時に、閃いたんです。俺、沖田より剣が遅いんで…… 別枠の柔術を合わせて意表を突くしかないって」 それこそ、総合武術たる天然理心流の心得じゃないか。沖田は天賦の才を持つ「剣」の道に邁進して特化したのに対し、犬千代は自分に足りない「剣」を「体(術)」で補った。 沖田の至高たる「剣」を、犬千代は「剣と体」で凌駕したのである。その感動的な光景を前に山南は目頭を熱くしていた。
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