第七章 龍のいななき の巻

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 伊藤俊輔は(おもむろ)に口を開く。 「命の方をお助け頂き、心より感謝する。吉田さんには世話になった身ではあるが、現在(いま)は敵討ちを考えている時ではない。今の我々はやがて来るであろう、第二次長州征伐に対応せねばならぬのだ」 池田屋事件より程なくに起こった禁門の変を切欠にして起こった第一次長州征伐。ほぼ同時に夷狄四カ国からの報復攻撃も受けているために長州藩は壊滅の危機。 それを乗り越えたのは高杉晋作率いる奇兵隊の獅子奮迅たる戦い。その結果、高杉晋作率いる奇兵隊と佐幕保守派たる長州藩との間に内戦が勃発し、奇兵隊が優勢になっていると言うのが現在の流れである。 先程、伊藤俊輔を襲撃していた侍七人は佐幕保守派たる長州藩幕臣達。伊藤俊輔が京都に入ったと聞き暗殺に乗り出した流れとなる。 「風聞(うわさ)程度でしか知らないが、伊藤俊輔殿の奇兵隊が政権を取らん勢いであろう? そうなれば幕府は間違いなく再び長州に出ると思われる。俺達、新選組にも出陣命令が出ている」 「火縄銃に毛の生えたようなゲベール銃と刀を持ってか?」 武器の性能が違えば、数で劣っていても戦争は分からなくなるもの。新選組(幕府)も銃こそ使うものの、伊藤俊輔が言うような火縄銃に毛の生えたようなゲベール銃で何が出来ようか。これでは返す刀もない…… 犬千代は苦笑いを浮かべてしまう。 伊藤俊輔はスッと立ち上がり、置いていた刀を腰に下げた。 「とりあえず、助けてくれた礼はせねばならん。幾ばくかの(きん)を先程の新選組の屯所に匿名で届けさせよう」 「金のために人を助けるような安いことはしない。いらぬ。どうせ、第二次長州征伐で相見えた時には斬られる身だ。俺に会わないように念仏でも唱えておくのだな」 「減らず口を叩く(やっこ)だ。情けは人の為ならず、いつかこの恩は返させてもらおう」 「期待せずに待っているよ」 伊藤俊輔が犬千代と交わした取るに足らない約束であるが、この約束が犬千代の人生を左右するものになるとは、今はまだ誰も知らない。
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