第七章 龍のいななき の巻

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「はい、どちらさま?」 応対を行ったのは巨漢力士の男、藤吉である。藤吉は犬千代の顔を知っているために、アッサリとその大きな体を横に逸らし中に入ることを促す。 「豊田犬千代さんですね。才谷梅太郎先生は上にお見えですよ。ところで、お連れの方は……?」 伊藤俊輔は奇兵隊に於いて力士隊の所属である。自らの力士隊の力士に勝るとも劣らない益荒男に感心を覚えながら、懐から一枚の紙を差し出す。 その紙は掌に収まる程の小さなもので、セピア色であった。 「この『ほとぐらふ』を新堀松輔殿より渡されました」 藤吉は「ほとぐらふ」と呼ばれた紙を受取り、じっと眺めた後に数回頷く。 「確かに、才谷先生のお姿です。新堀松輔様と言うと、桂小五郎様の偽名でございますね。長州藩の方でお宜しかったでしょうか」 「長州藩士、伊藤俊輔と申します」 「これはちょうど良かった。今、才谷先生は薩摩藩の方とお話の方をしてますよ」 薩摩藩。それを聞いた犬千代の全身の毛がゾワリと逆立つ。 「新選組と言う立場上、これからは各藩の藩士と接することがあるだろう。そうだ、水戸藩士と薩摩藩士との付き合いには気をつけなさい。特に優しく接してくるやつからはそっと離れなさい」  犬千代の頭の中に松平春嶽より言われた言葉が頭に過る。 このままでは薩摩藩の「誰か」と同席することになる。しかし、気になるのは自分との同席より長州藩士の伊藤俊輔との同席をすること。八月十八日の政変から始まり禁門の変を経て犬猿の仲の双方の藩士が同席することなど、普通はありえない。京都警護でも、長州藩士と薩摩藩士が斬り合っている現場を何度も見たことがある。  こんな二人が中立地帯と思しき土佐藩の息のかかった場所で会う。最近、土方さんが言っていた「薩摩と長州の接触」に何か関係があるのだろうか? それならば、この目で確かめる必要がある。犬千代はゾワリと震える全身を抑え込み、平静へと立ち戻る。  二人は二階中腹の部屋へと入った。部屋の中には三人の男が三つ巴紋のように膝を突き合わせていた。龍馬と、眉目秀麗たる男と、恰幅の良い男の三人である。 恰幅の良い男はその場にいるだけで威圧感を発しているのか、部屋の空気が重く感じられる。ただ、体格が大きく穏やかそうであると言う印象も同時に覚えるのであった。
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