第三章 犬、鴨を喰らう の巻

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 芹沢鴨はそんなことに構わずに、ただじっと犬千代の姿を眺めるのみ。 そして、(おもむろ)に口を開く。 「どうして…… ここにきた……?」 「近藤先生に言われたんですよ。八木邸に行って『芹沢』が生きてたら殺してこいって。あの四人を相手にして生きてる筈はないと思ったんですけど」 近藤殿は万が一を考えて、山南や原田よりも後の「後詰め」を回していやがった。 しかし、よりにもよって「犬千代(こいつ)」とは…… 俺も運がないものだ。他の隊士ならまだ機会(チャンス)はあったが…… 「それで、ワシを殺すのか?」 「それが、幕府の命とあらば……」 幕府の命。その一言を聞いた瞬間に芹沢鴨は悟った。どうやら、ワシはやり過ぎたようだ…… と。 新選組のことを考え、打出の小槌を振って無尽蔵に金を引き出してきたが…… その打出の小槌に潰されるとはなんとついてない。 近藤殿? 打出の小槌は上手く使うのだな…… 欲をかきすぎると、ワシみたいになるぜ? 芹沢鴨は持っていた刀を納刀するように左腰にあてると、そのまま床に落としてしまう。刀は鍔を車輪のようにして虚しく畳の上を転がっていく…… 「御覚悟を」 犬千代は芹沢鴨に向かって袈裟斬りで孫六井伊を振り抜いた。胸から腹にかけての激しい痛みの中、天を仰ぐように倒れる。これが死と言うものか……  死が目前へと迫る今際の際を迎え袈裟斬りの痛みが薄れて行く中、芹沢鴨は自らの返り血に染まる犬千代を眺めながら呟いた。 「幕府の犬め……」と。
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