第四章 池田屋事件! の巻

5/7
前へ
/239ページ
次へ
 京都守護職では直ぐ様に評定が開かれた。しかし、京都守護職の幕臣たちは「流石に恐れ多い」「こんなことをすれば長州も終わりだろう」「浪士風情が拷問で手に入れた情報などアテに出来ない」「長州に濡れ衣を着せたくない」などなどなどと曰い、口は動くが腰は重く会議は二刻(約四時間)を過ぎても停滞状態。 別室で待たされている近藤勇は苛立つばかり、後に親族へと送る手紙にこの時のことを(したた)めているのだが、「今の幕府の幕臣の中に男児なし!」と痛烈に批判を行っている。 結局、早朝より開かれた評定終了を待つことなく近藤勇は屯所へと戻るのであった。  昼過ぎになり、京都守護職より連絡が入るのだが援軍は戌の刻(午後八時)までに送ると極めて鈍重。 ここで手を(こまね)いている間にも、長州藩は御所焼き討ちを行わんとせん。京都守護職の援軍なぞ待っていられない。 近藤勇は動いた! 隊士全員を動員してのローラー作戦に打って出たのである。しかし、この時期の新選組は食あたりと夏バテで動ける隊士は僅か三十五人のみ。 東奔西走! 新選組は僅かな人数にも拘らず京の都を駆け抜ける! しかし、この日に限って過激派勤王志士の姿は誰一人見当たらない。それもその筈、御所焼き討ちの実行予定犯は長州藩邸へと引きこもり「古高俊太郎を助けるか助けないか」の是非を問う会議の真っ最中。ただ、彼らは「同士古高は絶対に何も喋ることはない」と信頼をしており、新選組が御所焼き討ち計画を察知しているとは微塵も考えていない。 結局、結論は出ずに御所焼き討ちの会議を行うために過激派勤王志士は定宿としている池田屋か四国屋へと場を移すのであった…… 長州藩邸であるが、新選組監察担当の山崎烝が料理番の変装をして入り込んでいる。彼らの話は料理を運ぶ時に断片的にしか聞いていないために、別所で会議が行われることと、その会議の人数しか分からずに報告を入れるしかなかった。  そして迎えた酉の刻半(午後七時半頃)。いくら新選組が会津藩預かりの立場であろうと、他の藩の藩邸には不可侵。長州藩邸に踏み込むことが出来ないために、京の都を東奔西走したとしても見つかる筈はないのである。
/239ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加