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前夜
「…は?」
晩猶が告げた言葉は、閃迅の頭の中でぐるぐると回っていた。
それはつまり、彼が皇帝の寝込みを襲って暗殺しようとしていた、と言うことだ。
それよりも「閃迅」はかつて晩猶の婚約者であったことを知り、どのような経緯でそうなったのかもまるっきり分からない。そして昨晩声高に自分が言ってしまった言葉を思い出し、顔面蒼白になった。
『だから!なんで俺が好きになるいい奴に限って、恋人がいないんだよ…!』
(なんなんだよ、俺ってやつは…最低な野郎だな。閃迅…がまさか婚約者なのに暗殺を企てたなんて)
「祝言って……何でだ…何でそんな奴と結婚なんか…」
「オレは妃を迎えるなどと一言も言っていない。しかし形だけでもと何度も側近に懇願され、夜想帝国一の美人だと謳われた娘に一度だけ対面して、故郷に返すつもりだった。例え小娘一人でも大切な民の一人。皇帝と云えど望まぬ形で人狼の嫁になどさせられぬ。しかし…その…まさか、男だとは思わなんだが」
「な、なんだよ、妙に歯切れが悪いな」
「あろうことか…一目見ただけでおまえをす…好いて、しまったのだ…」
「…!」
晩猶がおおきな両手で顔面を覆い、今にも恥ずかしさ故に泣き出してしまいそうな素振りを見せる。閃迅はその後のことを、何となく予想してしまった
「……それで…結婚する決意はできたけど裏切られて、おまえは婚約者を失い…閃迅は牢に入れられていたのか」
「ああ。…オレは話したことも、手を握ったこともなかった。やりとりは側近が進めていたから、対面するまではせめて…怖がらせてしまわないようにと丁寧にもてなしていた。それが仇になってしまったようだ」
寝込みを襲った「閃迅」はその場で取り押さえられ、皇帝の邸宅から離れた竹林の中にある牢獄へと連行された。本来ならばその場で首を刎ねられてもおかしくないが、一応は皇后候補であった上に晩猶が口添えした為、極刑は免れたようだ。何故晩猶の命を狙ったのかはどれだけ尋問しても分からず、無言を貫いていたと言う。また、妃を持てと打診した側近は自身の調査が甘かったことを認め、辞職し穣華を去ったのだとも。
それからと言うものの、晩猶は皇帝の出入りが禁じられている牢獄一帯……穣華の禁域へたまに向かい、遠くから「閃迅」の様子を見ていたという。一先ずは牢獄に拘束していたが、その後の扱いをどうするべきか悩んでいた折に迅がこの世界に迷い込んだ。それも『罪人』閃迅として。
(…まて、それじゃ…両思いなのか?いや、でも…晩猶が惚れ込んだのは俺じゃない…)
心中複雑な思いを抱いたまま、卓に運ばれてきた温かいご馳走様を前に箸を取る。
「と、とりあえず…朝ごはん食べよ?」
「ああ。幾らでも食え…オレは後でいい」
それはそれ、と割り切っている彼には、温かい食事が冷めてしまう方がバチ当りだと思っていた。焼餅は外はパリッと中はモチモチした生地の中に挽肉餡が入っており、噛む度肉汁が口の中に溢れてくる。腓骨湯は豚のスペアリブの汁物で、味付けは塩と胡椒のみというシンプルながら幾らでも食べられそうだった。あっさりしたスープに浮いているのは、ごま油で揚げた蓮の実だ。
(飯時にこんな話したかないけど…仕方ないか)
蓮の実を頬張り、咀嚼し終えた閃迅は意を決して再び話しを切り出した。
「…ばんちゃん」
「なんだ」
「今も……俺の事、好き?」
「気に入っていなかったら一緒に風呂も入らぬし、同じ牀榻で寝られないだろう」
「…っ!」
「おまえと改めて出会った時、寝込みを襲われても…いや、襲うことはないと確信した」
「えっ…?それじゃ…」
「おまえの声を、名を知ったのは牢獄で対面した時だ。側近から聞いていた娘の名と違う上に、初めて見かけた時とは違う匂いがしたが…今となってはもうどうでもいい…。昨晩、おまえからオレが好きだと聞けただけで十分満足だ」
確かにそうだと頷けば、閃迅の心臓が跳ね上がる。かつての「閃迅」が何故、晩猶の命を狙ったのかは今となっては分からない。だがしかし、ひとつだけ分かったことがあった。
どうやら間違いなく、自分たちは両思いのようだと。
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