閃光

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閃光

「…なんだ、ここ…やけに薄暗い部屋だな」 『閃迅様!ようやくお目覚めですか』  声のした方に視線を送ると、そこにはあのテレビ画面に映っていた謎の生き物がちょこんと佇んでいた。何故人語を解しているのかは分からないが、どうやら案内人ならぬ案内獣らしい。  室内を見渡すと、そこは粗末な小屋のような場所だった。その殺風景さはさながら檻のない座敷牢のようだ。端々が朽ち、おおよそ人が棲めるような環境ではない。 「…ここは何処だ?俺はどうなった?」 『何を仰いますやら!貴方様は閃迅、この国における罪人です』 「は!?罪人ってなんだよ…俺はここの…って」 『ええ、ええ。言いたいことはわかりますとも。ここは夜想帝国!たぬコイン、略してTANUCOをお持ちでしたので、こちらにお招きした次第です』  謎の生き物の説明をじっと聞いているが、何故迅がそうなったのかの説明は一切汲み取ることができなかった。咄嗟に自宅アパート前で見かけた狸を思い出し、あのコインを拾ったことを思い出す。どうやらゲームの中の世界であると言うことと、TANUCOと言う通貨を集めればどうにかなるらしいことは汲み取れた。しかし実際にプレイしている【夜想帝国】とは通貨単位もキャラクター設定も違うため、迅は困惑するしかなかった。 「…俺はどうしたらいい…?と言うか俺はゲームがしたくて、異世界転生なんて望んじゃいないんだ…帰るにはなにかやる必要があるのか?」 『そう!貴方様には、3つの選択肢があります。ひとつ、現皇帝の晩猶様を暗殺し自身が皇帝になる。ふたつ、60000TANUCOポイントを溜めて帰りの切符を購入する。これにて夜想帝国からの帰国が可能です』 「あとひとつは?」 『あとひとつは…超レアルートになりますが』 「なんだっていいから!教えてくれ」 『晩猶様の恋人になり、TRUE ENDを迎えることです。難易度は高いですが、一番安全と言えるでしょう。どうか傍若無人な皇帝を、優しく慈悲深い皇帝にしてください…これは帝国五万の民が願っていることです』 「なっ…!俺に晩猶を口説けって言うのか!」 『ええ。ご理解が早くて助かります。そう言えば、自己紹介していませんでしたね。ワタクシは案内人のたぬこです』 「ああ…あんた、たぬきだったんだな。…そんなことより、達成できなかったらどうなるんだ?皇帝を口説くって言っても、俺は男だぜ」 『いずれかを果たすまで、元のお住まいには帰還できません。それに、不安がることはございませんよ。一度ご自身のお姿を見られてみては?』  たぬこの言うとおり、どうやら先程まで身に着けていたシャツとジーパンではなく、まったく別の衣服を纏っているようだ。薄暗がりの中で一歩足を踏み出し、出口を探す。靴を履いていない足では歩きにくく、何か帯のようなものを踏んづけそうになり、足元がおぼつかない。そして動かす身体は軽すぎる。フワフワと漂っているような、地に足がつかない感覚に迅はかなり手こずった。  ようやく扉らしきものを見つけて押し出し牢屋の外へ出ると、そこには写真から切り取られたような深紅の夕陽と、夕刻の風が通り抜ける竹林が広がっていた。  裸足の下で踏みしめる土の匂い、笹の葉が擦れる音、頬を撫でる風の感触。何もかもが、自分の五感を揺さぶっている。 「…ここが…夜想帝国!」  迅が自分の両手を宙に翳す。かなり痩せ細った両肩から手首にかけて紅い羽衣のような布を纏い、首から下も透け感のある紅色の民族衣装のようなものを身に着けていた。どこからどう見ても、ゲームで見た事のある古代中国の婚礼衣装である。それも、女性が着る代物だ。 「ななっ、なんで…俺…女になっちゃった…いやまさかな?」  迅はとっさに自分の股間をまさぐるが、男の証は無事見つかった。胸元に手をやっても元の身体より若干胸板が薄いだけで、身体はいたって普通の男性のようだ。一安心したのも束の間、たぬこに問い掛けるもその姿は見当たらない。急ぎ廃屋のような建物に戻るが、室内には誰も居なかった。 「おーい…たぬこ…俺はこれからどうすればいいんだ…チュートリアルからHARDモードだろ」  途方に暮れるも、今はこの世界の住人として過ごすしか手立てはないと悟る。ゲーマーは順応性がいい。薄い布に覆われた華奢な腰を見下ろせば腹が空腹を訴え、か細い音を出した。 「…そう言えばバイトから帰ってきて何も食べてねぇ…ちくわでも齧っておけば良かったな」  何かを食べようにも、牢屋には食事はおろか炊事場さえ当然見当たらない。辛うじて雨風を凌げるくらいで、本当にここに閉じ込められていたのだと納得せざるを得ない状況だった。  はぁ、と重い溜息をつき、今日の夕飯をどうしようか考える。刻一刻と闇が迫る中、ひとまず動きやすい服装に着替え、それから…と今は前向きに考えることにした。しかし着替えるにも食事を得るにもTANUCOの入手が必須であることを思い出し、再び心が暗くなってしまう。  その時。  竹林の向こうから、野犬の遠吠えが聞こえる。  次いで低く唸る獣の咆哮が、迅の鼓膜を揺さぶった。
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