『咆哮帝』晩猶

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『咆哮帝』晩猶

(やばいやばいやばい…!オオカミか?それとも熊か?どっちも丸腰で戦えるかよ!)  武器を探し狼狽える迅を他所に、野犬の逃げ去る悲鳴が聞こえる。次いで大きな何かが近づいてくるような、大地を揺るがす音がした。鼻先を掠めるのは獣の匂いだ。 「…フン、匂うな……」  鼻を鳴らして悪態をつきながら、何者かがこちらを目掛けている。その低くザラついた声に聞き覚えはない。テレビゲームのCMなどで聞いたことのある、彼の声ではなかったからだ。 「……ニンゲンじゃない?晩猶…いや、こんなだみ声じゃなかった筈だよな…誰だ?」  自分では聞いたことのない、掠れてもやや可愛らしい声を喉から振り絞った迅は、今の自分が女装をしている男性であることを思い出す。自分がキャラクリエイトした「【閃光】の迅」ではなく、「閃迅」とたぬこに呼ばれた彼の性格や生い立ちについては罪人であると言うこと以外何も分かっておらず、なにか問われた場合に答える言葉をどう導こうか頭の中で整理した。 「あ、あ…えと……」 「……もしや、この場所は罪人…あやつの…」 「わ、わた…俺は…っ…」 「貴様、なにものだ?嗅いだことのない匂いがする…」 「はっ、はい!閃迅にございます!」  皇帝の言葉にぎこちない笑顔を浮かべ、一歩近寄ろうと足を踏み出す。しかし裸足であることを忘れ、足の裏で思い切り小石を踏んでしまった。迅は驚いて飛び上がった拍子に体勢を崩してしまい、身に纏っている衣に足を取られる。身体が宙に浮かび上がり、満月が輝き始めた夜空を仰ぎ見て『これが最期の夜になるかもな』と覚悟して目を瞑る。 「うあっ…」 「馬鹿者が!」  竹林を四肢で力強く駆けてくる影が瞬く間に近づき、閃迅の細すぎる腰を支える。何が起きたのか一瞬分からなくなった迅は、恐る恐る目を開けて自分の身体を支える相手の顔を間近に見上げた。  咄嗟に迅はアクリルスタンドやゲーム内で知っている、狼男の晩猶を思い出したが、視界に映る姿は自身が知っている彼の姿ではなかった。  頭頂部で纏め、皇帝を示す頭冠で結われた長く艶のある銀色の髪。ひと目で見て美しい、と思えてしまう相貌。そして、紅い官服と外套を纏った逞しい体躯。どれを取っても、この国の誰もが恐れを抱く『咆哮帝』・晩猶とはかけ離れている。 「大事ないか」 「あっ、その…あ…ありがとう…」  唐突な恥かしさと嬉しさと安心感で頬の火照りを誤魔化すように俯いたまま、迅はもごもごと言葉を返した。しかし俯いていた顔の細い顎先を大きな手が捉え、くいと上げられる。 「…面を見せろ」 「っ…い、…!その、」 「…竹林の奥におれを謀ろうとした罪人を捕らえたと聞いていたが、貴様がその罪人だな。しかし…報告があった者とは思えぬが……」 「あ、あんたは…晩猶なのか…?」 「それはおまえが一番知っているだろう。否…この姿を晒すのは貴様が初めてだが」  このままでは彼を口説き落とす前に、処刑されてしまうのではないのかと思い目を瞑る。彼が人になった姿を見た者がいないと言うことは、口封じの為に命を失っているとも取れた。しかし首を搔き切られる感触は一向に訪れず、再びふわりと宙を浮いているような感覚があった。 「…へ?」 「ふん…まぁいい。部下に身の回りのものと食事を運ばせてやる。しばし待て。それから、おれが此処に来た事は口外するな」 「え…あ、ハイ…?」  晩猶に膝裏と腰を支えられ、迅は目を丸くした。  気が付けば、横抱きにされている。 「?」  何が起きているのか分からない迅は、少しずつ近づく廃屋の縁側と晩猶の顔を交互に見遣る。先程から表情は崩れておらず、月の影に隠れると感情すら伺い知ることはできない。だが、それでも良いと思ってしまっていた。 (はー…?あのモフモフ王がこんなイケメンなんて聞いてねぇぞ…だったら、いっそのこと…) 「あ、あのさ…晩猶って呼んでいい?」 「…好きにしろ」 「その…う、動きやすい服と自由になる時間が欲しいんだけど」 「何をするつもりだ?」 「俺が…あ、いや…ワタシが囚われた理由を知りたくて…街の散策とか…」 「……」 「……だめ?」  上目遣いで渾身のお願いをすると、晩猶の口元が歪み笑い声が漏れる。 「くくっ…それで隙を見て逃げるつもりか?」 「めっ、滅相もない!逃げるなんてとてもとても…」 「まぁ、あんな隙だらけの牢獄では逃げろと言っているようなものだな。作り直しを命じよう。それまで、おれの屋敷に来い」 「ありがとうございます!…えっ、…」 「謀るのは止めておけ。二度目はない」  足元から見上げた先には既に晩猶の姿は消えていた。そして迅の視界がぐるんと回転したかと思えば、温かい部屋に立っており目の前には天蓋つきの寝台が置かれている。おそらく転移の符術か何かで、皇帝の居城へと移動したのだろう。まさかおねだり攻撃がこのような結末を齎すとは思わず、迅は大きく息を吐いた。 「これ…えっ、どうしよ…まさか、あいつは…俺は男だぞ?」  皇帝を口説き落とす前に、自分が心を打ち堕とされてしまうような気がした。
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