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人狼
揺蕩う意識の中で、傍らに添えられた触り心地のいい抱き枕に抱きつく。ふわふわと触り心地がよく、とても暖かい。肌着一枚だけの格好には打って付けで、何処までも身体が包まれてゆく居心地の良さは極上の毛布のようだ。このまま、この毛布に包まれて永遠の眠りにつけたなら…
夢見心地の中、顔に感じる生暖かい風に起こされる。片目を開き、何事かと抱き枕を見遣るが、それはもぞりと蠢いた。
「!?」
「…起きたか、小僧」
「えっ、毛布じゃない…!晩猶…?」
「…ああ。そうだ」
閃迅の目の前に居るのは、銀色の美しい毛並みに覆われた一頭の大きな狼だった。否、獣の体躯を持ちながらも、人間並の知性と頭脳が備わった気高き生き物──すなわち、人狼である。
昨晩の人の姿を取った晩猶とは打って代わり、その声は嗄れているように聞こえる。言葉遣いもやや乱暴だ。そんな彼の身体に抱きついていた閃迅は、抱きついたまま晩猶の胸毛のあたりに顔を埋める。
「わー!ばんちゃん!会いたかった!はァはァ…ふわふわだ…」
「フン、変なことを言う…散々隣に居たではないか」
呆れたように鼻を鳴らし、晩猶は黄金に輝く眼を光らせる。顔つきは狼そのもので、欠伸を漏らす大きく開いた口からは鋭い歯列が覗いている。
彼を怒らせたらひとたまりも無いだろうと、閃迅は直感でそう感じた。
「…そうだけど…あれはイケメンモードの晩猶で…って、かなり雰囲気変わったな」
「当たり前だ。ヒトでいる間は窮屈で敵わん…これがオレの本性だ。どうだ、怖いか?」
「いいや、ちっとも」
笑っている(ように見える)晩猶に対して、閃迅は不思議そうな表情を浮かべ彼の毛並みをひたすら指先でまさぐる。憧れの存在である晩猶のこの姿を見れただけで、閃迅は有頂天になっていた。晩猶もまんざら嫌ではなさそうで、されるがままになっている。そして、何かに気づいていた。
「…閃迅」
「ん?」
「おまえ、素っ裸になってるぞ」
「はははっ!気にすんな…って…」
「随分と…いや、なんでもない」
ニヤリと意地悪く笑う晩猶の顔を直視できず、閃迅は顔を真っ赤にして布団を身体に巻き付けた。どうやら寝ている間に、浴衣のようなものが脱げてしまったらしい。
「…まぁ、気にすんな。男はブツのデカさだけで測れるもんじゃねぇ」
「…うん」
何年か前に、似たような言葉を友人へと向けたのを思い出して閃迅はやるせなくなった。やや不貞腐れた閃迅はムッとしながらも、ようやくたぬこが言っていた「傍若無人」な晩猶を知った気がした。確かに無遠慮で容赦なく、おまけにやや下品だ。しかし慣れればきっと、ヒトでいる姿よりも気さくに話ができるだろうと思った。人間の姿をした晩猶はあまりにも神々しく、近寄り難いと思っていたからだ。
「それにしても腹が減ったな…着替えたら朝飯を探しに行こう」
「えっ?今から…?」
「…街に行きたいんだろう。今日から一週間、街の大通りで朝市がやっている。おまえの服と武器も一式買ってやろう」
「!」
「あの竹林周辺には獰猛な獣たちが数多い。牢獄の修理が終わったら当然、オレの屋敷から出てもらうことになるだろうが…自分の身は自分で護れ」
「……っ…」
閃迅は両手をぎゅっと握りしめ、俯いてしまった。それまでの反応とは違う彼の様子に、晩猶は少したじろいだ。
「あ、案ずるな…稽古はオレがつけるから」
顔を上げた閃迅の表情は、悲しんでいる訳でもなく絶望している訳でもなかった。
それはもう、キラキラと輝いている。
「やったー!ついに新しい服か!ありがとう!しかもあの晩猶から稽古つけて貰えるなんて超レアイベントじゃねぇか…俺おまえが大好きだ!」
「ん……ま、まぁ、それなら良かったな…?」
拍子抜けしたように晩猶が言うと、二人は顔を見合わせて笑う。晩猶はのそりと巨体を動かし、閃迅は素早く寝台から降りた。
閃迅は下着代わりの腰巻を身につけ、晩猶がヒトでいる間に着ている柔らかい素材のシャツとズボンのウエストを麻紐で巻いた格好に着替えた。晩猶は二足で立ち上がるとゆうに2メートルを超えているくらい大きく、腰と胴体に革製の防具を巻き付け、背中にはその体躯にふさわしい巨大な戦斧を背負った。
戦いに行くのではなく、帰りに町外れまで木を切りに行くのだと言う。周囲の家々に配る薪を確保する為らしい。
「はぁぁ…かっけー…」
迅は自室に飾ってある、アクリルスタンドと同じ格好になった晩猶を眩しそうに見上げた。
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