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窓から見る君は、いつも偉大だ。
標高八千九百八十五メートル。エターナルクレストは世界一高い山として有名で、春から秋にかけての登山客が後を絶たない。僕の父は、この山のカリストをしている。カリストとは『山の仕事人』という意味。仕事内容は四種類。
一、登山ルート整備。
二、救助。
三、ポーター(荷物運び)及びベースキャンプ設営。
四、ガイド(案内人)
父、プラダはガイド。ガイドは登頂から下山まで登山者の安全を担う役割り。
僕らの住むプシャは、エターナルクレスト山の麓にある人口三千人ほどの小さな村だ。高地に暮らす山岳民族で強靭な肉体を有しているのが特徴。故に村の男達のほとんどがカリストの仕事に従事している。
登山は常に命の危険が伴う。だが、男はカリストになりたがる。理由はリマ(金)だ。母に聞いた話だと、国の平均収入は一か月で十二万リマ(十二万円)カリストは、登山往復で六十万リマもの大金を稼ぐ。
緑の葉が波打つポプラが目印の村への出入口。村人はカリスト達の帰りをここで待つ。母と待っていると、遠くからカラフルなウェアーの集団がこちらに歩いてくるのが見える。その中で一番背が高く逞しい男。それが父。……だったのに。
一週間前、父は友人ガイドのチタと共に標高八千メートル付近のクレバス(氷河の裂け目)に落下して死んだ。悪天候が続いたため救助隊は動くことなく死亡と判断された。今、僕は遺体のない父の葬儀会場にいる。
母は涙を溜めた瞳を僕に向けた。
「ラン、エーデルワイスをお父さんの棺に」
ただの箱に花なんて無意味。そう思いながらも花を添える。その後、僕の視線は一点に集中した。参列者の中に、父が担当していた登山者がいたからだ。
登山者の名前は、カーティス、マコーニという外国の中年男性。有名な登山家らしい。葬儀後、彼はプシャ語が話せるようで僕に話しかけてきた。
「君がプラダの一人息子のラン君だね。黒髪と緑色の瞳。お父さんにそっくりだね。プラダが自慢してたよ。十二歳とは思えない賢い子だと」
僕はカーティスさんから父の最期を聞くことになる。
「夜明け前の暗闇の中、ヘッドランプを灯し我々はC4(第4キャンプ)から山頂アタックを開始した。先頭はプラダ、二番目がわたし、三番目が登山パートナーのジョルジュ、最後尾がチタの順だ。四時間ほど登り、これから急斜面という時、ジョルジュが『用を足したい』と言ったんだ。プラダはザイル(ロープ)で繋ぐ順番を変えた。先頭がわたし、次がジョルジュ、プラダ、チタになった。もしもチタがクレバスに落下したら自分がピッケルを打ち込み止めるためだと彼は笑って言ったよ。チタは足跡の残る登山道を外れた。それが悲劇の始まりだ」
カーティスさんから放たれる言葉の一つひとつが、凍てつく矢のように心に刺さる。
ザイルが凄い力で引かれ、カーティスさんは瞬時にピッケルを氷上に打ち込み落下を止めた。振り返ると、そこには誰の姿もなかったそうだ。あったのは千切れそうにピンッと張られたザイルだけ。
「わたしは片手でピッケルをしっかり握り、もう一方の手でアンカーを設置するため、氷のスクリューを深く打ち込みザイルを固定した」
アンカーとはザイルの安全確保。氷のスクリューとは氷上に固定具を設置するためのクライミング器具。先端が鋭く、ハンドルを回すだけで氷に簡単に食い込むようになっている。
「ライトの明かりでは闇しか見えない。わたしは縁にへばりつき声をかけた。そしたら小さな呻き声の後、返事があったのだ。プラダの声だった」
ーーー
『無事か?』
『ああ、何とかな』
『他の二人は?』
『確認できないが、ザイルで繋がってるはずだ。声が聞こえないから意識を失っているんだろう』
『待ってろ!今、三人とも引き上げてやる』
わたしは全身の力を振り絞りロープを引いた。しかし一人で三人を引き上げることができない。途中、プラダは自らの酸素ボンベを捨てたが、それでも無理だった。再び叫ぶ。
『プラダ、プルージックノットを作って自力で昇ってこれないか?』
プルージックノットとは、メインロープに対して、別のロープを巻き付けて輪を作る結び方のことをいう。輪に足をかけ、摩擦を利用。体重を支えて少しずつ昇ることができる。
『今やってる』
プラダからの返事。暫く間が開き、再び声がした。
『残念な知らせがある』
『どうした?』
『両足が動かない。落下時に骨折したようだ』
足をやられては、アイゼンの爪を刺して昇る方法も無理だ。残るは、ベースキャンプまで下山し救助を要請するしかない。が、プラダはこう言った。
『それまで酸素はもたない。ジョルジュは確実に死ぬぞ』
『あっ』
もう、頭を抱えるしかない。プラダの声が聞こえる。
『なあカーティス、ジョルジュ一人ならお前の力で引き上げられるよな?』
瞬時に、質問の意味を理解したわたしは絶叫した。
『ふざけるな!ザイルを切るなんて許さんぞっ!』
『俺達はガイド。登山者の命が最優先だ』
『何を言ってるんだ!命に優先もクソもあるものか!チタまで死ぬんだぞ!』
『チタが俺の立場だったら同じ行動を取るだろう。それしか助かる道がないからな』
ーーー
カーティスの目から滝のような涙が頬に流れ落ちる。
「最後、プラダは愛嬌タップリにこう言い残しザイルを切断した」
『なあ、アンタ金持ちだろ?最後に頼みがある。俺の家族とチタの家族を飢えさせないでくれ』
「わたしは、プラダの家族、そしてチタの家族を養ってゆく覚悟だ。だから安心してほしい」
最後「ジョルジュは凍傷により片足を切断したが命に別状はない」と付け加え、彼は葬儀場を後にした。
翌日、学校で同じクラスのチタの長男、アイクから僕は殴られた。
「お前の父親がザイルを切らなければ父さんは生きていたんだ!この人殺し!」
歪んだ表情。恨みに満ちた両目。僕は何も言い返せず、ただ俯くことしかできなかった。
あれから三年の月日が流れる。中学を卒業した僕は、母の泣きの猛反対を押し切り父と同じ道を歩むことになる。
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