クラスメイトの絆

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「そりゃあ、このクラスは忘れられないわよ」  そう話す神崎先生の目尻には、あの頃なかったはずの深い皺があった。  笑顔になった時、顕著になるその皺は、神崎先生がよく笑う証拠なのだろう。  確かに十年前からよく笑う先生だった。  浜大木戸小学校六年二組卒業生同窓会。  その招待状が届いたのは一ヶ月前。  出席の連絡はその日のうちに入れた。幹事の高崎が、乾杯の音頭を取る前に「全員、招待状が届いてすぐに連絡をくれたよな」と話していたから、出席者リストの作成や店の予約には困らなかったそうだ。  浜大木戸小学校六年二組卒業生、誰一人欠けることなく、十年ぶりに全員が集まった同窓会。  総勢二十九名に合わせ、担任だった神崎先生まで参加してくれた。 「それにしても、よく全員集まれたわねぇ」  程よく酒が回ったのか、神崎先生は感慨深そうに言う。 「卒業から十年経った小学校の同窓会なんて、半分出席すればいい方なのよ」  教師生活を何十年も続けている神崎先生は、これまで幾度となく同窓会に呼ばれてきただろう。  特に浜大木戸小学校は、中部地方の片田舎にあるため、都内で開催される同窓会にクラスメイトが全員が集まるなど、奇跡に近い。  俺は最近ようやく飲み慣れてきたビールを飲み干してから、神崎先生に言葉を返す。 「六年二組は特に仲良かったですから。地方に勤めている奴も、まだ大学に通っている奴も、今日のために集まってくれたみたいですよ」  そう言う俺も、関東圏ではあるが都内までは新幹線で来なければならない場所に住んでいた。それでも、泊まりがけでこの同窓会に参加している。  俺の言葉を聞いた神崎先生は「絆よね」と微笑んだ。  教師、特に小学校に勤めている教師となると、人と人との繋がりにひとしおの感動を覚えるのだろう。  大人になっても続く関係性とは、高校生以降からの付き合いに多いとされている。  この六年二組は、稀有な関係性と言っても過言ではない。  どうやら神崎先生は俺を会話の標的と定めたらしく、俺の隣からずっと離れなかった。確かに、小学生だった俺は、少しヤンチャだったかもしれない。そんな生徒がきちんと就職し、いわゆる『普通の大人』になっていることを、喜んでくれているのだろうか。 「絆といえば絆ですよね。運動会も合唱コンクールも、他のクラスに比べて熱意あったような気もするし」  昔を懐かしむ年齢になったのか、と自分が大人になったことを実感しながら、俺は追加で頼んだビールに口をつける。  苦くて喉に残る味だ。けれど、喉越しがよく、ガブガブと飲むにはちょうどいい。  俺の飲酒速度が気になったのか、神崎先生は優しく「ゆっくり飲めばいいわよ」と諭してくれた。  親がいつまでも親であるように、教師はいつまでも教師なのだろう。  居酒屋の中ではあちらこちらで思い出話が繰り広げられ、どこに耳を傾けても、懐かしさが溢れてくる。  なるほど。俺だけじゃなく、全員が大人になっていた。  どこかの会話に混じろうとも思ったが、神崎先生が俺の隣から離れそうにない。仕方なく俺は神崎先生との話を続けた。 「思い返せば、これほど仲の良かったクラスは知らないわねぇ。他に見たことがないわよ」 「そうなんですか?」 「ええ、こんなこと生徒に言うことじゃないけれど、元生徒だからいいわよね」  先生は、心ばかりの前置きをしてから言葉を続ける。 「教師の言葉としては間違っているんだけど、いじめ問題っていつの時代にもあるものなのよ。教師は常に、いじめがないか気を張っているわよ? でも、どこからがいじめか、ってわかりにくいじゃない。本人たちは遊びのつもりかもしれないし、大人が過敏に反応することで本格的ないじめに発展したり、ね」 「ああ、そういえば、最近ではあだ名で呼ぶこともよくないとされているんですよね。ニュースかなんかで見た気がします」 「あだ名だけじゃなくて、呼び捨ても禁止しているところだってあるわ。多少窮屈かもしれないけれど、いじめが起こるよりはいいわよね」  時代の変化からも、自分が大人になったことを思い知らされる。  でも、俺たちには無縁の話だ。 「だから俺たちのことが忘れられないんですね?」  俺はビールを飲みながら、何気なく問いかけてみる。  すると神崎先生は、俺が想像していたよりも食いついてきた。 「そう! そうなのよ。なんて言えばいいのかしら。全員が同じ方を向いて、良いクラスを作ろうとしている感じがあったわよね。曖昧な言い方になるけれど」 「同じ方を?」 「だってそうじゃない? 例えば、運動会なんて運動が得意な子だったり、目立ちたがりの子だったりが張り切って、乗り気じゃない子が少なからずいるものなのよ。それなのに、六年二組だけは、全員が優勝を目標としてたわ。合唱コンクールの時なんて、放課後に残ってまで練習していたじゃない。本当に出来たクラスだったと思ってるわよ」  そう話す神崎先生は、どこか寂しそうでもあった。その表情の理由がわからず、俺は首を傾げる。 「どうしたんですか? 話だけ聞けば、自分でいうのもなんですけど、手間のかからないクラスだったと思うんですけど」 「確かに担任教師としては、手間がかからなくて言っちゃえば楽だったと思う。けど、どこか寂しくもあったのよね」 「寂しく?」 「青春ドラマを気取るわけじゃないんだけど、色んな問題を乗り越えて、絆が深まるものなんじゃないのかなって。現にこの六年二組以外は、何かしら問題があって、それを全員で乗り越えたからからこそ、いいクラスになっていった。そんな感じがあったわ。私が担任になる前からね」  贅沢な悩みを言うものだ、と俺は苦笑する。  社会人になってからわかったが、仕事には二律背反が存在するものだ。当然、楽な仕事はありがたい。結局、人は仕事をするために生きているのではなく、生きるために働く。しかし、仕事には仕事のやりがいがあって、それは大変な仕事であるほど大きい。  神崎先生にとって『やりがいのないクラス』だった、ということなのだろう。
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