クラスメイトの絆

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「完成したクラスだった、って覚えているのよね」  神崎先生の言葉を聞いて、俺は心臓を掴まれたような気持ちになった。  ちょうど神崎先生の背後で、他の者と会話をしていた高崎も、俺の動揺と同じタイミングで飲んでいたビールを口から離したのが見える。  彼もまた、俺と同じ気持ちだったはずだ。  その直後、高崎は新しく頼んだビールを持って、神崎先生の隣に座る。 「ちょっと先生、飲んでないんじゃないですか? ほら、乾杯しましょうよ。盃を干すと書いて乾杯ですよ、ほら」  さっさと飲ませてしまおう。そんな意図が、ひしひしと伝わってきた。  俺は、よくやった、と心の中で高崎を賞賛する。  酒を勧められ、ハイペースで飲み進めた神崎先生は酩酊一歩前という状態になり、体をテーブルに預けるような姿勢を取り始めた。  それでも先生は思い出話を続ける。早く酔い潰れてくれればいいのに。 「色々あって、私が六年二組の担任になったのは五月のことだったわよねぇ」  俺たちにとって都合の悪い話だ。  とある事情で、妙な時期に担任が変わった。その話を深く掘られるのは、この空間にいる誰もがよしとしない。  俺は話を変えるべく、自然な流れで言葉を返す。 「なんにせよ、いいクラスでしたよね。絆はどのクラスよりも強かった。そういうことですよ」  俺としてはそこで話が終われば、と思っていたのだが、神崎先生の懐かしみスイッチを押してしまったらしく、予想外に話が広がっていった。 「大垣くんがいれば、三十人全員揃えたのにねぇ」  俺たちの中では、タブー扱いされている名前が、先生の口から出てきてしまった。  大垣 和也。六年二組が始まった四月中に、事故で亡くなったクラスメイトの名前である。  基本的に浜大木戸小学校は一クラス三十人。六年二組も最初は三十人で始まった。けれど途中で、いや序盤で一人欠けて、二十九人になってしまったのである。  神崎先生が担任になったのは、二十九人になってから。先生は大垣についてそれほど知らないはずだ。  しかし、そこは神崎先生の熱心さからなのだろう。話からもわかるように、自分が担任になる前のクラスについても、ある程度調べ、理解していたようだ。  大垣の名前が出たタイミングで、クラスメイト全員が自分のグラスを持って集まってきた。 「先生、乾杯しましょうよ」 「せっかく飲めるんですから」  口々に理由をつけて、神崎先生に酒を飲ませた。どうやら神崎先生は酒が強いらしく、酔い潰れて眠るまで、それなりに時間がかかってしまう。  それでも元六年二組の絆は固い。言葉にせずとも、神崎先生を酩酊させ眠らせるまで、自然な会話で飲ませ続けた。  目的が達されたのは、同窓会が始まって一時間半後のことである。 「誰だよ、神崎先生呼んだの」  誰かが呆れたように言った。  すると高崎は、疲れたような顔で「一応、報告しなきゃならなかったんだよ。それに都合が良かったから」と溢す。  全員の連絡先を知るために、浜大木戸小学校に連絡した時、対応したのが神崎先生だったらしい。何のために連絡先を知りたいのか、と問われ、同窓会の話をするしかなかったのだとか。  その結果、自分も参加する、と神崎先生側から言ってきたそうだ。  酩酊しイビキをかいている神崎先生を横目に、俺はため息を交えて全員に聞こえるよう言う。 「でも、本当に全員集まったな」 「そりゃそうだろ」  そう答えた高崎は、先ほどまで酒を飲んでいたとは思えない程、冷静な顔をしていた。それもそのはずだ。彼が飲んでいたのはノンアルコールビール。見た目こそビールと変わらないが、アルコールは入っていない。  更に高崎は、静かに言葉を続けた。 「だって、俺たちは共犯者なんだから」  十年前の四月。六年二組のクラス表が発表された時、俺たちは大垣の名前に絶望した。  俺たちが生まれた片田舎では『大垣』と名の付いた企業やビル、マンションやアパートが乱立していた。雑に、簡素に、簡単に説明するなら、大垣家は資産家である。  周辺の土地や建物は大垣家が所有しており、いくつもの企業を経営していたのだ。もっといえば、あの片田舎で大垣家との関わりがない者などいない。  父親が大垣関係の会社に勤めている。大垣家が所有している家に住んでいる。大垣家に金を借りている。  あの場所は大垣家の国であった。  つまり、誰も大垣に逆らえない世界だったのである。  そんな大垣家の長男、和也のクラスメイトとなれば、一年間彼の奴隷になることは容易に想像できた。  そしてそれは、想像だけに留まらなかった。  十年前の四月、六年二組が始まってから、大垣は王様のように振る舞い始め、男子生徒をサンドバッグのように扱い、女子生徒を自分の所有物であるかのように弄んでいた。  とはいえ、小学生。考えつく悪意の範囲など限られている。いや、違う。小学生という無邪気な年齢であるからこそ、残虐な行為に対しても鈍く、加減の知らない行為が続いていた。 「絆だったよな」  確認するように言いながら、俺は酔い潰れた神崎先生の背中を眺める。  その場にいた二十八名が、ほぼ同時に頷いた。  間違いない。あれは絆だった。間違いなく、六年二組の、クラスメイトの絆だったのだ。  十年前。苦しみ続きの四月がようやく終わり、残り十一ヶ月の我慢か、と誰もが思い始めた頃の下校時間。  いつも通り王様気取りの大垣は、自分の背後にクラスメイトを引き連れ、自分の家までお供をさせていた。  その途中、車通りの多い大きな道路があり、大垣はふざけて近くにいた高崎を車道ギリギリに立たせて、脅すように背中を小突く。一歩間違えれば、高崎が車に轢かれてしまう。そんな状況だ。  それでも俺たちは、大垣を止めることができない。それほどまでに『大垣』の呪縛は強かった。 「ほらほら、死にたくなきゃ、しっかり立ってろ」  笑いながら言う大垣に対して、誰もが怒りを募らせる。  何なんだ、こいつは。どうしてこんなことができるんだ。何が優れているんだ。クラスメイトの気持ちは一ヶ月間かけて、力強くまとまり始めていた。  今にして思えば、絆の形成に必要な条件が揃っていたのだろう。つまり『共通の敵』だ。  ふと気がつくと、何本かの手が大垣の背中を押していた。それもほぼ同時に。それが誰の手だったのか、犯人探しをする者など現れなかった。  六年二組全員が、自分がやった、という顔をしていたのを覚えている。  結局は、大垣が道路に飛び出した事故死として片がついた。それもこれも、二十九の証言が一致していたことによるものである。  王様気取りで、安全圏にいると思い込んで、背中を見せることがどれほど危険なことなのか。裸に権力の衣を羽織っていた大垣 和也は知らなかったのだろう。そして知らぬ間に死んでいった。  そう、死んでいったのだ。 「絆だよなぁ」  神崎先生の背中を眺めながら俺は、自然と呟く。  同調するように、高崎が俺の肩に手を置いた。 「だって俺たちは『共犯者』だろ。どんな絆よりも濃いに決まってる」  高崎はそう言ってから、神崎先生の隣に座る。 「なぁ、知ってるか? 神崎先生な、俺たちのこと調べてたらしいぜ」 「神崎先生が?」  俺が聞き返すと、高崎はポケットから一枚の写真を取り出した。そこには神崎先生と髪の長い女性。そしてその中心にどこか『大垣 和也』に似ている少年が映っていた。  その写真と同時に、小さなビニール袋が床に落ちる。中には何も入っていない。いや、何かが入っていたらしい痕跡が見えた。下の方には、白い粉末が少しだけ残っている。 「神崎先生な、俺たちが卒業してから結婚してたんだ。相手は大垣 嘉人。あの大垣の従兄弟なんだってさ。今更だけど、大垣の事故死に疑問を持っているらしくってさ」  高崎は写真をポケットに仕舞い込むと、二十八人に顔を向ける。 「なぁ、俺たちは共犯者だよな? 六年二組の絆は、今も変わらないよな?」  そういえば、高崎が勧めた酒を飲んでから、神崎先生は一気に酩酊し始めたような気がする。 「困ったもんだよな、神崎先生にも。久しぶりに会った元教え子との飲み会で飲みすぎて、帰り道に事故死するなんて」  高崎の言葉に動揺する者など、その場にはいなかった。やっぱり、クラスメイトの絆は未だ薄れてはいない。
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