そんな田代にだまされて

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港区に位置する湾岸署所属の刑事、田代光彦の元々の()は、東京郊外ののどかな田園都市で、ミシン会社に技術者として勤める父、着付け講師の資格を持つ母の(もと)、一人っ子として十分な愛情を(そそ)がれて育った。 そんな光彦ではあったが、性の目覚めは早かった。近所に1学年上の早熟な娘がおり、その子の手ほどきで、大人の階段を、一段、もう一段と登っていってしまったからだ。 よって、高校に上がった時点で、校内でチャラ男としてまかり通っていた後藤利次(としつぐ)とつるみ、年がら年中、バイトとナンパの二刀流で突き進んだ結果、PTAからも、匙を投げられてしまう始末だった。 当時、中高生に圧倒的人気を誇ったのが刑事ドラマで「月にほえろ」「東部警察」「あやうい刑事」と、多数の刑事ドラマが視聴率確保の為、量産されていた。 光彦もご多分に漏れず、ドはまりし、卒業後は、警察官としての道を歩み始めた。所定の学校を卒業し、巡査として派出所に立つ頃には、ホストとして身を立てている後藤とも疎遠となり、賀状で近況報告をするだけの関係となる。 そして、試験を受け確実にステップアップしていく過程で上司からの(すす)めもあり、見合い後、結婚した。 妻となった女性は、女らしさの欠片(かけら)もない痩せぎすの女で、さすがの田代も、その食指が動かされる事はなかった。大の宝塚フリークである妻も、生身の男より、むしろ、男装の麗人に胸ときめかせるタイプであった為、両者は夫婦としての務めを果たす事なく、新婚生活を成立させていた。 生涯独身を貫いた大叔母から、田代の(もと)に、連絡が入ったのは、結婚後、一年を経過した頃だった。 千葉のシニア用高級レジデンスに住む大叔母は、ホテルのラウンジのような面会室に田代を呼び出すと、(おもむろ)に話を切り出した。 「医者から余命半年と言われてね。まだ頭がしっかりしている内に、財産分与をしておきたくて」 - げげっ、マジか!そんなに行き来もしてなかったが、瓢箪から駒って、実際あるもんなんだな- 後日、再度、大叔母に呼び出された田代は、担当者の見守る中、書類にサインした。 突如として、小金持ちになった田代は、しばらくの間封印していた女性への飽くなき追求の扉を、軽い気持ちで開けた。 虚弱体質の妻とは、没交渉だったし、隠れて遊ぶ分には、彼女も傷つかないのでは?と考えた田代は、昔とった杵柄(きねづか)とばかりに女(あさ)りを再開する。 しかし、ナンパから、暫し遠ざかっていた事もあり -この女はイケる-とした勘が働かなくなっていた。 -何てこった。自由になる金はあるのに、女が引っ掛からない- 仕事帰り、一時間程、恵比寿界隈をぶらついてみるも、釣果(ちょうか)はゼロ。 「ケっ」 仕方なく家路についた田代は、和、洋、中、何を作らせてもハズレがない妻の料理に舌鼓を打つ。 妻は料理だけでなく、和食の後には、静岡の新茶、洋食の後には紛れも無いブルーマウンテン、中華の後には広東省(かんとんしょう)で一番のシェアを誇るジャスミンティーと「茶」一つ取ってもそつがなかった。 -いや、いい嫁だよ、ホント- 田代は妻との良好な関係は保ちつつ、女漁りの方は結婚生活に支障をきたさないよう、ひっそりと行っていく事をマイルールとして己れに課した。 夜も更け、一人リビングで、テレビを見ていた田代は、ある男性タレントのやっている「スナック探訪(たんぼう)」という番組に目をとめる。 二十代の頃は、スナックと聞くと、良からぬ考えを持った親父連中が挙って行き、若い男は決して足を踏み入れない場所と、思い込んでいた。 だが、今、目の前に広がる世界は、正に、女漁りを目的とした田代にとって「渡りに船」とも言えるシチュエーションと言えた。 明くる日から田代は、都内23区を順繰りに回り、良さそうなスナックを見つけては、暖簾(のれん)をくぐっていった。 妻には、それなりの嘘をつき、怪しまれないようにした。 こうした地道な作戦が功を奏し、田代には一気に、飯田橋のマリコ、アキバの(より)子、西葛西の千里(ちり)子、麻布十番のエリコ、中目黒のゆり子という五人の女が出来、週がわりで女達がいるスナックへ顔を出した。 女達の多くは、三十を疾うに過ぎ、ピチピチギャルという訳ではなかったが、田代が飲み代として落としていく二万程の金でも、お客様は神様ですという接客態度を崩さなかった。 田代はどの女にも、自らの職業を偽らなかった。 女と言うものは非日常に弱い。デカと言うだけで自分の知らない世界を見せてくれるのでは?という期待を持つ。 金払いが良く、知的な中にも時折、いたずらっ子のような表情を見せ、こちらをドギマギさせる男。 そんな田代は女達にとって、理想の客と言え、大した口説き文句も吐かない内に「どうぞ」とばかりに身を投げ出してきた。 マリコ、(より)子、千里(ちり)子、エリコ、ゆり子。それぞれに唯一無二の長所があり、田代としては、どの女も手放す気にはなれなかった。 中でも、中目黒のゆり子はダントツ、一位の座に君臨する存在だった。 奥ゆかしさの中にも、芯の強さを感じさせるひたむきな眼差(まなざ)し。 店の中では無駄口をたたかず、甲斐甲斐しく酒を注ぐだけの女が、ベッドでは大胆に振る舞い、田代を異次元の世界へと導く。 -ゆり子だけは何が何でもキープ- 田代は家で、満漢全席(まんかんぜんせき)のように並べられた中華料理を目にしつつ、静かに決意する。 道枝ゆり子は、先に部屋を出た男のぬくもりが残るベッドに1人顔を埋め、幸せの余韻に(ひた)った。 思えば、自分の人生は苦難のみで(いろど)られたものではなかったが、常にすんでの所でチャンスに見放された。 高校で演劇部に入部するも、いい役はつかず、端役のまま三年を終えた。 卒業後、メジャーな劇団の入団テストを受けても三次審査まで行った所で落とされてしまう。 よって、しがない劇団に入団し、バイト掛け持ちで女優への道を歩み始めた。 このままでは、私の人生 -何も結果を残せなかった人-で終わってしまう。 そんな暗中模索の日々、出会ったのが湾岸署所属の刑事、田代だった。 俳優の石黒賢を思わせる人懐っこい笑顔を見せる田代は、駆け引きしたりせず、出会ったその日に直球で「お付き合いしてください」と、言ってきた。 既婚者である事も打ち明けた彼は「妻とは単なる同居人の関係で、愛情はとっくに冷めている。今、署で大きな山をかかえていてね。それが片付き次第、君との新しい人生に舵をきりたい」とも言ってくれた。 -やっと私にも、幸運の女神がふりむいてくれた- ゆり子は、そこまで反芻すると、やっと満足感を覚え、ベッドから出た。 翌日、ゆり子はスナックに出るまでの時間、用事を済ませる為、駅ビルに直結したショッピングモールへと向かう。 そうした中、雑貨を扱う店が目に入り、目的もなく中に入った。美しい江戸切子のグラス、温かみの感じられる(つい)の食器。 -夫婦茶碗だ- (いず)れ、田代と二人、こうして食器を選びに店を訪れる事もあるはず。 そう考えただけで身体の芯がカッと熱くなる。 -ダメよ。先走りしちゃ- 一旦、クールダウンしたゆり子は店を出て、エスカレーターに乗って上階のカフェに向かう。 窓際の席に案内され、アイスミルクティを注文する。 一口で、優しい甘味が全身に染み渡っていくような感覚を覚え、次は田代を誘って2人で訪れたい…と切に願う。 そんな時、ゆり子の背後の席から女性客二人の会話が耳に入ってくる。 「へーぇ、じゃ、今付き合ってる人、刑事なんだ」 「うん、湾岸署のね」 「カッコいい。私の回りには警察関係の人って1人もいないから。例えば芸能人だと誰に似てる?」 「石黒賢、本人と見紛(みまが)う位」 「えー、素敵じゃない」 「まぁね。でも、月に二回位だよ。店に来るのは」 「そうは言っても、その薬指のリング。7~8万はするよ。高価なプレゼントをしてくるって事は、彼、本気なんじゃない?」 「ふふ、だと嬉しいんだけど、私の部屋に来ても2時間位で帰っていっちゃうしさ。二言(ふたこと)目には、今、大きな山を抱えているからそれが片付いたら将来の事を話しあおうって…」 「大きな山かぁ。ドラマまんまだね」 それ以上、その場にいる事が耐えきれなくなったゆり子は、伝票を手にし、あえて後ろを見ないようにしながら、ゆっくりと席を立った。                了
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