ハプニング

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 部屋は一階の六畳二間の和室だった。入口に近い方にテーブルがある。窓から見える景色はどうだろうと思って早速カーテンを開けたが、おばけのような雪の塊しか見えなかったので閉めた。食事は七時から部屋でいただく予定だ。健史に訊く。 「先にお風呂入った方がいいよね?」 「うん」 「着替えるね」  襖を閉めて着てきた濃紺のワンピースと黒のレギンスをさっと脱ぎ、浴衣を着た。襖を開けると健史は、寝転びながらホテルの案内パンフレットを読んでいた。 「健史くんは着替えないの?」 「……俺、着方がいまいち分からない」    彼はクスリと笑ってから言った。 「脱いで。着せてあげるから」  きょとんとした顔をされるも、数十秒後に彼はゆっくり起き上がって立った。  ベルトを外しジーンズを脱ぐ。長袖の白のTシャツを脱ぐ。この様子を見てるだけで心臓がトクリと跳ねる。上の肌着は着ていなかったので、無地のワインレッドのトランクスと靴下だけになった。トランクスはどこのブランドだろうか。シンプルな装いが好みのようだが、身に着けているものの殆どがブランド物だと彼のマンションに泊まった時に分かった。  浴衣の袖を通させて羽織らせる。運動はしていないようだから、所謂シックスパックと呼ばれるような割れた筋肉ではないが、均整のとれた美しい胸板だ。初めて見るわけではないが、明るいところで見ると、彼の色気にのぼせそうで顔が火照る。素早く終わらせよう。浴衣の前を左上で合わせてから、私はすとんと畳に座る。帯を手に持ち、腰の位置で二周巻いて後ろでキュッと力を入れて結ぶ。出来た。 「本当にすごいね、仁美ちゃんは」  旅行だからだろうが、大げさな褒め方だ。何だか照れてしまう。 「ふふふ。昔は家族でよく温泉旅行したから、弟の浴衣を着せてあげてたの」 「そっか」  弟だけではない。でも今晩はそういう事にしておきたい。  畳に座っていた私を彼が引っ張り上げる。手を握ったまま、見つめられ視線が外せなくなる。彼のような顔立ちの人にとって、私はどんな風に映っているのだろう。目は二重だけど大きくなく鼻は高くない。唇も特にセクシーではない。厚化粧したらマシかもしれないが、彼氏の前でそれは抵抗がある。身体つきは、太ってはいないと思うがウエストのあたりは寸胴だ。身長は標準よりやや高く百六十三センチ。付き合う程度には許せる見た目なのだろうけど、可愛いと思ってもらえることは一生無いのだ。そう思うと今更ながら虚しくなった。彼は何か言いたそうにしていたが、今晩は褒め言葉以外は聴きたくない。いつの間にか我儘な女になっていた。握られていた手を離す。 「お風呂上がりは前を合わせてたら、何でもいいから。帯はとりあえず巻いて適当に結んでたらいいよ。また後でちゃんと着せてあげるね」 「うん、ありがとう」  何故か名残惜しそうな顔をする彼が気になるものの、女の方が一般的に長風呂になることを想定して私は言った。 「先に行ってくるね」
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