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「元カレって、大学の先輩だったんだっけ」
「うん」
「そんな偶然ってあるんだねぇー」
千枝は目を丸くした後、一息にビールを喉に流し込み、ジョッキを空にした。
相変わらずいい飲みっぷりだ。
空のジョッキをカウンターに置いておかわりを注文する。
「同じのもう一杯ください!」
雅人とオフィスで再会した日の夜は、千枝とビアバーに行く約束があった。
「それにしても、もてるねえ、美和ちゃん」
千枝はニヤリと笑って肘で美和の腕をつついて冷やかした。
「もてるとかそういうのと違うよ」
美和は不機嫌な顔をして、手の中でパキと乾いた音をさせてピスタチオの殻を割った。
「相変わらず思うことと言ってることが平気で違うのがむかつく」
「むかつくって、もう全然関係ない男なのに?」
「過去の自分に男を見る目がまったくなかったことが腹立つ」
「へえー。じゃあ今は、見る目があるってことか」
また千枝がニヤニヤするので、美和は、そういうんじゃないけど、とピスタチオの殻を殻入れの皿に落とした。
「なんであんなに振り回されて、ずっと引きずってたんだろう。黒歴史過ぎる」
「もういいじゃん、今はうまくいってるんだし?」
千枝は美和の様子に肩をすくめる。
今日のことは柴田くんに知られたくなかった。と、美和は思う。
本当は「なぜ、ただ見かけただけ、にとどめてくれなかったのだろう」と今日の雅人の行動に対して苛立っている、というのが正しい。
もうなんとも思っていない元彼のことなんかで、柴田くんに余計な心配かけたり、不安にさせたり、したくない。
その時、店のドアを押して新しく客が入ってきた。
振り返った千枝が、そちらに向かって手を振る。
「あっ、子犬ちゃん!」
「え?」
「え? なんて言いました?」
聞き取れなかった様子で柴田祐太がそこに立って聞き返す。
「何ちゃんって?」
「あ、ううん、まちがった。柴田くん」
千枝があわてて言い直す。
美和が黙って千枝の手の甲をぱちんと軽くたたいた。
千枝が柴田のことを「子犬ちゃん」と呼んでいることは本人には言っていない。
まだ二人が付き合う前に、美和から聞く話でも柴田の想いが明白なのに、美和がまったく気付かないことを気の毒がった千枝がつけたあだ名だ。
「美和がいつもお世話になってまーす」
千枝が美和の母親が言うような挨拶をするのに、美和は吹き出した。
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