第2章 新生活

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 ******  ジェイクと一緒にこの家で暮らすようになって2週間が過ぎた。  彼の提案に従って、敷地の外には一切出てない。パパラッチがこの家を特定しているのかどうかすら、わたしにはわからない。  天気のいい日は庭に出て気分転換しているし、ジェイクとリリーが話し相手にもなってくれる。  ジェイクは常に優しくて献身的だ。冗談を言って笑わせてくれたり、甘い雰囲気でハグしてきたり、わたしへの気遣いを見せてくれる。    だから最初は、この小さな世界に満足していたのだけれど、さすがに退屈になってきた。  アパートから持ってきた荷物のうち、いらないものを処分したり整理したりする作業も終わってしまった。  記憶は相変わらず戻らないままだ。  主治医から、記憶に関してはあまり急かさないほうがいいと言われているらしく、ジェイクはそのことになにも触れてこない。  わたしの荷物の中になにか手掛かりになりそうな物はないか探してみたけれど、たいしたものはなかった。  家政婦としていったいどれぐらい稼いでいたのかすらわからない。  すべてスマートフォンのアプリで管理していたせいだ。電源すら入らないのだから話にならない。 「デジタルに頼りすぎているとダメね」  リリーに向かってため息をつく。  銀行口座を放置しているうちに、あれこれ支払いが引き落とされて残高不足になっているかもしれない。  ジェイクに立て替えてもらった入院費だって返さないといけないというのに。    記憶さえ取り戻せばと思いながら、気持ちばかりが焦って落ち着かない。  ジェイクは焦らなくていいと笑ってなだめてくれるけど、そんなわけにはいかない。  病院の検診まであと2週間。それまでの辛抱だ。  その帰りに必ず携帯ショップと銀行に寄ろうと決めている。    ジェイクは、仕事で書斎に籠る日もある。  誰かと電話で話しているような声が聞こえることもあり、忙しそうだ。  フリーライターという職業がどういったものなのか、わたしにはよくわからない。  そんなに儲かるものなのかどうかということも。  わたしは3カ月前までサム・キンダーソンという人に雇われて、家政婦として働いていたらしい。  貿易会社が倒産して無職になったのが1年前だ。仮にそのあとすぐに家政婦業に就いたのだとして、9カ月間働いていたことになる。  さらに、その職を辞して再び無職になったところでジェイクと出会ったという流れだろう。  彼との出会いが、家政婦を辞めたことと関係あるのかどうかすら思い出せない。  この家にテレビはあるけれど、ニュースを見てもわたしの名前が出てこないことにホッとしている。  自分がなにをしでかしたのかわからないが、社会的に大きな問題を起こしたわけではなさそうだ。  では、いったいなんなのか……。  わたしはクシャクシャの新聞紙のシワを伸ばして記事に目を通した。  ジェイクは新聞の定期購読はしていない。  これは食材の配達の際に根菜や果物が傷まないよう、梱包材の代わりに使われている新聞紙だ。  最初数日はただ捨てていたのだが、よく日付を見れば2、3カ月前の新聞であることに気づいた。  記憶を失った期間の記事を読めば、なにか記憶を取り戻す糸口が見つかるかもしれないと思って目を通すようになった。  といっても、紙面すべてが広告だったりすることもあるわけで、いまのところ有効な手掛かりは見つかっていない。  今日の配達分に入っていた新聞も、本の書評が掲載されている面だった。  ざっと目を通したけれど、見覚えのある本は特にない。   「今日もハズレだったか……」  小さくため息をついたわたしだったが、翌日にとんでもない紙面に全身を戦慄かせることになろうとは、このときはまだ予想だにしていなかった。  
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