第2章 新生活

6/7
前へ
/29ページ
次へ
 配達員のフィンは、毎日昼前にやってくる。  作業服を身にまとった朴訥な初老の男性だ。  傷みやすい野菜や果物を新聞紙でくるんで配達してくれる丁寧な仕事ぶりに好感が持てる。  最初の数日はジェイクが応対していたけれど、人柄に問題なさそうだということでそれからはわたしが食材を受け取るようになった。  今日もいつもの時間にインターホンが鳴った。  いまジェイクは書斎で仕事をしている。  モニターでフィンの姿を確認したわたしは、リリーが飛び出していかないようにリビングのドアを閉めてから玄関に向かった。   「こんにちは!」  元気よく挨拶すると、フィンが人の好さそうな笑顔を見せる。  退院してからというもの人との関わり合いが薄れているから、フィンと挨拶を交わすだけでも気持ちが高揚する。   「今日のブドウは完熟ですから、早めに召し上がってください」 「わかったわ、ありがとう」  食材の入った箱を中へ運び、封を開けた。  完熟しているのなら、ブドウはさっそく冷やしておやつに食べてもいいかもしれない。  ブドウを包んでいる新聞紙をはずし、ザルにあける。  新聞紙を畳もうとしたわたしは息を呑んで手を止めた。  どういうこと――!?  なんと紙面に大きくわたしの顔写真と名前が載っているではないか。  大きく印字されている見出しは『悪女? それとも毒婦?』だ。 「……なに……これ……」  血の気が引いて足に力が入らない。  わたしは全身を戦慄かせながらペタンと床にへたりこんだ。  これは『ルーマー』というタブロイド紙で、日付は3カ月ほど前。  記事の内容はこうだ。    複数の事業を手掛けている実業家のサム・キンダーソンが急性心筋梗塞で亡くなった。  彼の莫大な遺産の大半は、驚くべきことに血の繋がりのない家政婦のブレンダ・リッチモンドが相続することになったようだ。  記者の取材によると、彼女が家政婦としてキンダーソン氏に近づいたのは9カ月ほど前。ちなみに彼女にはそれまで家政婦として働いた経歴はない。  ほどなくして愛人関係となり、遺書を書き換えさせるほどに彼を溺れさせることに成功したらしい。  ある筋の情報によれは、キンダーソン氏は腹上死したともささやかれている。  手が震えるせいで紙面の文字も揺れている。  それでも、何度もその記事を読み返した。  ルーマーの記事の大半はゴシップネタであると誰もが知っている。  つまり、記事の内容への信頼度は低い。  しかしルーマーは人気のタブロイド紙で、駅の売店や町の小売店など、どこにでも置いてある。  たいていの人間は、大なり小なりゴシップ好きだろう。  わたしだって、芸能人や政治家の裏の顔が暴露されるスキャンダルには大いに興味がある。  センセーショナルな見出しと刺激的な内容の記事に魅了される読者は、それが真実かどうかなど二の次だ。  こんな嘘っぱちの記事なんて気にすることないわ!  と言いたいところだが、記憶がないから信ぴょう性がいかほどのものかすらわからない。  わたしはこの記事の当事者のはずなのに、なんとも情けない。 「どういうことなの……?」  鼓動が高鳴る一方で指先が冷えてゆく。  どうしよう、倒れるかもしれない。  
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

127人が本棚に入れています
本棚に追加