第1章 目覚め

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「一過性の記憶障害でしょう。事故に遭った患者さんには珍しくない症状です」  脳神経科の初老の医師は、わたしを安心させるように鷹揚に微笑んでいる。  目覚めたときに来た医師は外科が専門らしい。  あの後簡単な診察を経てスープとジュースを飲み、問題なさそうだということで昼からは軽食を食べられることとなった。  そのおかげで点滴も外れた。  脳のMRI検査を受け、いま脳神経科の医師から説明を受けているところだ。 「頭部の出血はありませんのでご安心ください」 「ブレンダの記憶はいつ戻りますか?」  わたしの代わりに金髪男性が質問する。  まるで身内のようにわたしに寄り添っているこの人は、ジェイク・ヘインズと名乗った。  背が高く整った顔立ちをしている、いわゆる男前だ。  そんなジェイクから、わたしたちは恋人同士だと聞かされて面食らってしまった。  ジェイクと付き合っていた記憶はまったくない。  1年間の記憶を失ったいまのわたしにとって、ジェイクは初対面の赤の他人も同然だ。  それなのに事故で全身打撲を負ったわたしのためにスープを飲ませてくれて、MRI検査に向かう際は車いすを押してくれた。  なんとも甲斐甲斐しい。  それにわたしの名を呼ぶその表情には、たしかに愛情が込められているようにも感じる。 「すぐに戻ることもあれば、ずっと戻らないこともあります。焦らないことですよ」  医師にそう告げられて再び病室へ戻った。  外科の主治医によれば、ひと通りの検査を終えてあと2、3日様子を見ても問題なさそうなら退院できるとのことだった。    主治医の話とジェイクの話を総合すると、わたしは3日前に赤信号の横断歩道に飛び出して車に跳ね飛ばされたらしい。  幸いにも骨折や内臓損傷はなかったが、頭を打ったためか意識が戻らないまま3日間眠り続けていたようだ。  もちろん事故当時の記憶もきれいさっぱりなくしている。  わたしは赤信号を無理に突っ切るような無謀なことをしない性格のはずなのに、なにがあったんだろう。  酔っぱらっていたんだろうか。  ジェイクに介助してもらいながらベッドに体を横たえた。  体のあちこちが痛むせいか、それとも3日ぶりに動いたせいか、たったのこれだけで疲れてしまった。   「ありがとう、ヘインズさん」  わたしがお礼を言うと、ジェイクが顔色を変える。 「そんな他人行儀な呼び方はやめてくれ、ブレンダ。きみは俺のことをジェイと呼んでいたんだよ?」  そんな悲しそうな顔をされても困る。  わたしはあなたのことをなにも覚えていないのだから。 「わかったわ、ジェイ。まずは、わたしたちの馴れ初めを教えてくれない?」 「いいだろう」  ジェイクが嬉しそうに笑った。
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