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「退院おめでとう」
「ありがとう」
夕食はデリバリーでピザやオードブルを頼み、ワインで乾杯した。
慣れない新居でまだ十分にはくつろげないけれど、病院のベッドの上より遥かにマシだ。
存分に美味しい食事を堪能した。
「あのね、スマートフォンを買いに行きたいの」
食事が一通り終わって落ち着いたところで切り出す。
事故当時わたしが使用していたスマートフォンは、記憶にある機種と同じものだった。
つまりここ1年で機種変更はしていなかったらしい。
自室の棚に置いておいてくれたのはジェイだろう。
それはいいとして、事故の衝撃で完全に壊れていたのだ。
液晶画面は無残にひび割れ、本体の一部が欠けている。当然電源ボタンを押しても起動しなかった。
スマートフォンに残っている様々な履歴や保存されているであろう写真を見れば、記憶を取り戻す一助になるだろうと期待していたのに。
だから、明日にでもすぐに携帯ショップへ行きたいと申し出てみたのだが――。
「しばらくは街に行かずに、この家に籠っていたほうがいい」
ジェイクが表情を曇らせて難色を示した。
なぜ?と首を傾げるわたしに、ジェイクが困った顔で続ける。
「パパラッチに追いかけられたくないだろう? あいつらはきみが記憶を失っていることを知らないから、容赦がないと思う」
今日、こちらにカメラを向けてきたパパラッチの姿を思い出して身がすくんだ。
打撲で済んだ交通事故ぐらいでどうしてパパラッチに追われているのか、いまだに腑に落ちない。
ジェイクにその理由を尋ねても、必要な時が来たら話すとしか言ってくれないのだ。
その声色から察するに、わたしにとって歓迎しがたい理由なのだろうと思っている。
パパラッチがいかに悪質な存在かという説明をしてくれているジェイクの声をどこか遠くに聞きながら、わたしは考えを巡らせた。
26歳になった直後に務めていた会社が倒産して失業した。
わたしの記憶はそのあたりで途切れている。
この1年間、わたしは思い出したくもないほどの不幸に見舞われていたのかもしれない。
だから出会ったばかりのジェイクに溺れて結婚を急いだのかしら……?
「しばらくって、いつまで?」
「次に病院に行くまでかな。それまでは俺もあまり外出せずにここで仕事をするから」
次の病院の検診は1カ月先だ。
それまで外出禁止ってこと!?
「食事はどうするの?」
ずっと出来合いの物ばかりだと胃もたれしそうだ。
「明日からは食材を配達してもらう。料理はもちろん手伝うよ」
ジェイクは、まるでわたしの質問に対する回答をすべて先回りして用意していたかのようによどみなく答える。
「ピーマンはいらなって伝えてあるから」
「――!」
思わず目を丸くした。わたしがピーマンを苦手としていることをジェイクは知っているらしい。
「……ありがとう」
ここまで気を遣ってもらっているのだから、質問攻めにしてわがままばかりは言えない。
わたしはぎこちないながらも、笑顔でお礼を言った。
でもなぜだろう。
とても大事にしてもらっているのに、なにか釈然としないものを感じるのだ。
「記憶をなくしているせいかな……?」
就寝前に自室のベッドに寝転がりながら、リリーに話しかける。
「にゃーお」
わたしのモヤモヤを知ってか知らずか、リリーが甘えた声を出して体をこすりつけてくる。
広いリビングにはそのままインテリアにもなりそうなモダンなデザインの木製のキャットタワーがあり、わたしよりも先にこの豪邸へ来ていたリリーはすっかり慣れてくつろいでいる様子だった。
ジェイクにもよく慣れていて、ここ数日中に出会った間柄には見えない。
「ねえ、リリーはわたしたちのことを見てきたんでしょう? ジェイクのこと、どう思う?」
そう尋ねても、リリーは首を傾げて「にゃー」と鳴くだけだった。
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