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早瀬恭太郎が、探偵事務所で所長に呼び出しを食らったのは昨日のことだった。
「浮気調査で対象からクレームが入るとは何事だ!」
所長のドスの利いた怒鳴り声が事務所内に響き渡った。その衝撃で、その築五十年の年季の入った壁のヒビがまた一つ増えそうだ。
「尾行に気付かれるだけでなく、逆上した対象と殴り合いの大喧嘩になったなんて前代未聞だ」
「だって、対象が先に殴りかかってきたんですよ。やらなきゃ今ごろ病院で包帯ぐるぐる巻きのゾンビみたくなってましたよ」
「だからといって、警察のお世話になることはないだろう!」
バン! と所長が机を叩いた。早瀬は思わずビクッと体を震わせる。
「取り調べで1日を無駄にしただけでなく、おかげで依頼はチャラ、報酬ももちろんナシだ。君はうちを潰すつもりか?」
「そんなの困ります!」
「君のせいだ!」
所長は頬を膨らませ、顔を真っ赤にして怒りながら席を立った。「所長どちらに」と引き留めようとすると、「酒の一杯でも引っ掛けてないとやってられん」と呆れたことを言って、玄関のドアノブに手をかけた。
「俺はクビですか」
「本当は今すぐにでもそうしたいところだが、うちも悲しいかな人手不足でな。一度だけチャンスをやる」
「本当ですか!」
「新しい依頼だ。探し物はピアス」
「ピアス? 人とかペットじゃないんですね」
「詳しい内容は君のデスクの上の資料を見ておいてくれ」
「はい……」
「完遂しないで戻ってきたら、どうなるか分かってるね。それじゃあ頼んだよ」
所長はそう言って右手を振ると、そのまま真昼間の街に出て行った。あの調子では夜まで戻らない。そして、手ぶらで帰ってきた暁には、本当に早瀬の愛する探偵の職を失ってしまうことも明白だった。
これは本当に失敗できないぞ。
早瀬は、長くため息をつき、自分のデスクの上の茶封筒の紐を解いた。
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