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はっと気がついたとき、早瀬はなぜか誰かの家にいた。彼はソファに寝かされ、疲れの残った体にはふかふかの毛布が掛けられている。すっかり夜は明け、大きな窓から差し込む朝日の光は眩しい。自身の体の重みで若干手が痺れているのを感じながら、早瀬は目を擦りながら目覚めた。
「おはよう」
「わっ!」
目を開けると、そこには女の子がいたのだ! 早瀬は思わず飛び上がって、ソファから転げ落ちた。派手に尻餅をつき、大事そうにさすった。
「いやね、幽霊が出たんじゃないのよ。情けない……」
その女の子はぷくっと頬を膨らませてその場に立ち上がると、部屋の奥に入っていった。
痛みが引いてきた尻を押さえながら、早瀬もその場に立つ。女の子は台所に入っていて、食事の準備を始めたようだった。
部屋は白を基調としていて、割と広い。ソファの他にも、ダイニングテーブルに椅子、いくつかのタペストリーと絵画も飾られていて、洒落ている。
「ねえ、君は? 俺はどうしてここに?」
早瀬は女の子に訊く。ふかふかのカーペットに手を突いて、体を起こした。
「まず自分が名乗るのが礼儀じゃなくって?」
女の子はスープをカップによそいながら答える。
全く、生意気な娘だ。早瀬は、一つため息をつくと立ち上がって、ジャケットの胸ポケットから二本指で自身の名刺を取り出し、台所のカウンターまで歩いた。そして、そのまま彼女に差し出す。
女の子は、準備の手を止め、名刺を受け取った。
「早瀬恭太郎……探偵?」
「ああ。ここへは出張でね。どうぞご贔屓に。君は?」
「私は鳴海。三船鳴海。ここの家主の娘よ。夕べ、あなたが浜辺で寝てるのを見つけて、うちに運んだの」
「君が?」
「他に誰がいるのよ。あ、もちろん手伝ってもらったけどね。近所の知り合いとたまたま一緒だったから」
「そうだったのか。悪かったね、ありがとう」
「全然」
鳴海は、トレーを持って台所から出てきた。トレーの上にはバターの溶けたトーストと、アツアツのスープが乗っている。そして、「朝ごはんにしましょ」と鳴海がダイニングテーブルに皿を並べる。早瀬は、皿の置かれた席に腰を下ろした。
「まだ嫁入り修行中だけど」
「美味そうじゃないか。いただきます」
早瀬は丁寧に胸の前で手を合わせると、トーストを両手で持ってかぶりついた。そのとき、やっと腹が減っていることに気が付いた。調査に夢中で、食事のことなんかすっかり忘れていたのだ。
それを見た鳴海は「子どもみたい」と笑って茶化す。うるさいな、と睨みつつも、早瀬は腹を満たすことに集中する。
一方の鳴海は、テーブルに置いてあったリモコンを操作してテレビを点けた。朝のニュースが放送されており、アナウンサーが淡々と原稿を読み上げている。
『次です。昨夜未明、Y市内のショッピングセンターで爆発があり、110番通報がありました。通報の一時間前に指定暴力団『青乃組』の組員数十名が現場となったショッピングセンターに入っていたという目撃情報もあり、K県警は青乃組内の抗争の可能性もあるとみて捜査を続けています』
「まただわ」
鳴海はトーストをかじりながら呟いた。
「有名なの?」
「この街のヤクザよ。ときどきニュースになってるわ」
「ふうん、案外危険な街なんだな」
「この世の中、100%安心安全な街なんて幻想よ」
芯を食ったことを言うじゃないか。早瀬は鳴海に感心した。
「この青乃組、組長の娘もわがままで有名なの」
「組長の娘?」
「ええ。青乃 汐里っていって、欲しい服一着のために、組員に店を襲わせたそうよ」
「血は争えないってか」
「でも、彼女はまだ学生で、警察から逃げられてるみたい」
「組員が逮捕されても口を割らないのか」
「それもあるけど、彼女からしたらお洒落を楽しんでいるだけだもの」
「そういうことね」
早瀬はそう相槌を打って、手に持ったトーストを口に詰めた。
一方の鳴海は再びリモコンに手を伸ばし、テレビを消した。悪いニュースを見てしまっては、せっかくの美味しい朝飯が台無しだ、とでも思ったのかもしれない。
そう言うと、鳴海は「ごちそうさま」と空になったトレーを持って台所に戻っていった。
早瀬は、助けてもらった手前、偉そうな態度はできず、トーストをかじりながら再びため息をついた。
少しして早瀬も食事を終え、カウンター越しにパンくずが乗ったトレーを返した。
「ごちそうさま。美味かった」
「お粗末様でした」
鳴海はそう返しながら、トレーをシンクに戻した。
「そうだ、探偵さん」
ジャーと蛇口をひねった鳴海が話を変える。
「ピアスって見つかったの?」
「え?」
「依頼人さんのピアスを探してるんでしょ。この街、案外広いから大変だろうなって」
「ああ。進捗は良くない。昨夜、依頼人の行きつけのバーのマスターから聞いた話ぐらいしか手掛かりがなくてね」
「あー、ベロベロに酔ってたけど、ピアスは耳にちゃんと着いてて、海の夜風に当たりたいからって店を出ていったって話ね。確かに、それだけでは難しいかも。酔っ払いの話も当てにならないし」
「ったく、困ったもんだぜ……って、それをどうして知ってるんだ!」
早瀬は、声を上げた。
ところが、鳴海はいたって冷静な態度で蛇口を止め、タオルで手を拭いた。そして、ワンピースのポケットをまさぐり、「これよ」と茶色の革の手帳を出した。それは紛れもなく、早瀬が何年も愛用している手帳だった。
「浜に落ちてたから拾ったのよ。なくさなかったんだから、感謝してよね」
「悪かったね」
そう言って、鳴海は早瀬に向かって手を伸ばした。しかし、早瀬が手帳を取ろうとすると、ひょっいと引っ込めた。彼女はついでにおちょくるような顔をした。
「何するんだ!」
「わたしも調査に連れてって」
「え?」
早瀬は思わぬおねだりに、ワントーン声が上がる。
「探偵さんよりはこの街に詳しいし、こう見えて体力だってそこそこあるのよ」
「遊びじゃないんだぞ」
「分かってるけど、手詰まりじゃないの。この先、解決の手立てはあるの?」
早瀬は言い返せなかった。百パーセント図星だったからだ。それに、街に詳しい人が欲しかったのも正直な思いだった。彼女は少々生意気な娘だが、それぐらいは目を瞑ろう。
彼女の持つ手帳に伸ばした早瀬の手に少し力がなくなる。
「分かった。今日一日だけだぞ」
「本当?」
「ああ。ただ邪魔はするなよ。あと、万が一危険な事態になったら、君は置いていくからね」
「ええ。もちろん!」
そう返事をすると、鳴海は改めて手帳を早瀬に渡した。
まったく、困った娘だ。早瀬はため息をついて、受け取った手帳をスラックスのポケットに押し込んだ。
こうして、早瀬と鳴海の共同調査が始まったのである!
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