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「いいなあ、美女と一日デートなんて」
公衆電話の受話器から、潟山ユキの呑気な声が聞こえた。彼は、早瀬の後輩で、一応探偵を目指しているのだが、情報屋のような扱いをされている可哀想な男なのだ。
「まったく、俺も罪な男だ」
「僕も、ぜひともその美女さんにお会いしたいです」
「お前じゃ乗りこなせないじゃじゃ馬娘だぜ?」
「溌剌な娘なんですね。いやー、素敵だなあ」
「そのポジティブさには憧れるよ」
「で、デートコースは?」
「秘密。明日には帰れそうだって所長に伝えておいてくれ」
「分かりました」
「ああ。頼んだぞ」
そう言うと、早瀬は受話器をフックに戻して、電話ボックスを出た。
「へえ、探偵の連絡って、案外古い方法を使うのね」
ボックスの外で待っていた鳴海は感心して言った。
「ああ、まあ……」
「やっぱり秘密を守るため?」
「携帯電話はよく分からなくてな」
「オジサン……」
一転、鳴海は落胆した。
早瀬は鳴海の案内で、街の裏通りを歩いている。年季の入ったビルが立ち並び、人通りも落ち着いているところだ。もちろん、早瀬はこの街に来てからの三日間で一度も足を踏み入れたことのない場所である。
「このあたりも質屋や古着屋が多いのよ」
「へえ、こんなところにもね」
早瀬は左右を見渡しながら、説明する鳴海の横を歩いている。
早瀬もこの街に来た日に質屋を回ったが、調べたのは大通り沿いなど目立つところだけだった。
「さて、ピアスってのは、どんな店に持ち込まれるんだ?」
早瀬は訊く。
「それは……モノによるわよ」
「メモ帳を見たんじゃなかったのか」
「一瞬チラッとだけよ。じっくり読んじゃ失礼じゃない」
早瀬は「そうかい……」とため息をついた。いまいち彼女の常識なるものがよく分からない。少しばかり変わった娘だ。
「瑠璃色のストーンが付いたピアスさ」
早瀬はそう言いながら、手帳に挟んだ一枚の写真を彼女に見せた。小指ぐらいの大きさの小ぶりなピアスである。耳たぶの穴にピアスについた細い棒を通して、留め具で固定するタイプのものだ。
「とても素敵ね!」
鳴海は目をキラキラさせて、早瀬を見上げた。こんなピアスに声を上げるなんて、可愛いところもあるじゃないか。早瀬は、少し微笑ましい気分になった。
「このピアスだと、あっちのショップに入ってるかも」
鳴海は、通りの少し先を指さした。どうやら、二本目の電信柱の近くにある店を指しているらしかった。
早瀬と鳴海は、その店に向かって歩き出した。
ところが、一本目の電信柱を通り過ぎようとしたとき、早瀬が足を止めた。
「待て」
「何よ」
「あれは、青乃組じゃないのか?」
「え?」
早瀬は鳴海の腕を引っ張り、電信柱の陰に隠れた。
早瀬たちが目指している店の辺りに、黒のバンが停まり、そこからスーツに身を包んだ五、六人の男たちが出てきたのだ。皆、揃ってガタイが良く、中にはサングラスを付けた奴もいる。あれは明らかにカタギではない。
早瀬と鳴海は、電信柱に背中を付け、彼の様子を観察する。
スーツの男たちは、バンのドアを開けたまま、手を後ろに組んで突っ立っている。誰かを待っているようだ。
しばらく見てみると、バンから人が出てきた。黒髪の長い女の子だ。脚に長いスリットの入ったブルーのタイトワンピースで、足許は黒いピンヒールという恰好である。鳴海とそう変わらない年齢のようだが、彼女よりよっぽど大人に見える。
「青乃汐里だわ!」
「本当に?」
「ええ。前に週刊誌で写真を見たの」
鳴海が早瀬の耳許で囁いた。
組長の娘がヴィンテージショップでお買い物か。優雅な休日だ。
「今動くのは危険だ。彼女が出てから中に入ろう」
今度は早瀬が囁く。すると、鳴海はうん、と頷いた。
汐里は、先頭で店に入り、そのあとをぞろぞろとスーツの男たちがついていく。
そして、彼女たちが店を出てきたのは、十分後だった。じっくり店内を回って、お気に入りの掘り出し物を見つけたらしい。彼女は、満足そうな顔をしているように見えた。
すると、突然、鳴海は早瀬の肩をドンドンドンと激しく叩いた。
「何だよ!」
早瀬は、少し怒って振り返る。
「ねえ、見て、彼女の耳許!」
鳴海は汐里を指さした。早瀬は慌てて彼女の耳を凝視した。
彼女はブルーのピアスをしていた。もちろん、さっき車から降りたときはしていなかったから、店で買ったのだろう。ところが、早瀬には見覚えがあった。
「依頼人のピアスだ!」
早瀬は電信柱から離れ、汐里を追う姿勢になった。鳴海もすり足でついていく。
一方の汐里は、男たちに囲まれながら、いかついバンに乗り込んだ。幸い、こちらには気付いていないようである。
早瀬と鳴海は、忍び足のスピードを速める。
一人、二人……と、取り巻きの男たちもバンに乗り込んでいく。もう少し近づけば、彼女の足を止められるぞ。早瀬は、スタスタと車との距離を縮めていく。
ところが、四人目、五人目がバンに乗り込み、早瀬が車まであと十歩のところまで来たとき、最後の一人がふと彼の方を見た。
「何だ、貴様ら!」
彼の声で、早瀬と鳴海は屈めた姿勢を正す。もうすり足は必要ない。
「俺は探……」
探偵だ、と言いかけて、早瀬は「伏せろ!」と台詞を変えた。そして、鳴海の頭を手で押さえた。
その一秒後に耳に届いたのは、バンッ!という銃声だった。バンに乗り込もうとステップに足をかけた男が発砲したのだ。
体を伏せ、弾丸を避けた早瀬が顔を上げると、男が舌打ちをして車に乗り込んだところだった。
「待て!」
早瀬は叫ぶが意味がない。非情にもバンは走り出してすぐに速度を上げる。
「探偵さん、タクシー!」
いつの間にか鳴海が伏せながら手を上げて、タクシーを止めていた。
礼を言う間もなく、早瀬は鳴海とタクシーに乗った。
「前のバンを追ってくれ!」
早瀬は運転手に指示し、タクシーが発進した。
「うわあ、ドラマみたい!」
「そんなこと言ってる場合か! 大人しくしてろよ」
早瀬は鳴海を制しながら、前を乱暴に走るバンを渋い顔で見つめた。
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