5.カイルとユリウス

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     ◇  出鱈目にあっちこっちに走ったせいで、ユーリは当然のように広い城で迷子になった。  何人か使用人や騎士とすれ違ったけれど、ユリウスと同じ顔で道を尋ねたらきっと変に思われる。ユーリはフードをさらに引っ張り下ろして、当て所もなく廊下を進んだ。  視線をあげると、廊下の行き止まりに扉が見えた。他の扉と同様、植物の蔦のような模様が彫られた白い扉で、金のドアノブがついている。この空間に溶け込んだ、なんの変哲もない扉だ。   ユーリがなぜかそれを気に留めたのは、その扉が中途半端に開かれていたからかもしれない。  とにかく、呼び寄せられるようにユーリはその扉に歩み寄った。廊下の隅は窓の外の光が届かない暗がりで、扉の中はさらにもっと暗かった。  一歩足を踏み入れる。窓は厚手のカーテンが引かれているようだ。その隙間から僅かに差し込む光に、室内に浮かんだ埃が煌めいていた。  どうやらこの部屋は倉庫のようだ。  壁に沿って置かれた棚には、中身のわからない箱や、何かのミイラみたいなものが収められたガラスケースに、ほかにも珍妙な品々が並べられている。  人ではない何かの気配がそこかしこからしていて、その正体にユーリはすぐに気がついた。棚の足元に置かれたいくつかの檻の中に、ネズミや猿、鳥と、あとは見たこともない四つ足の獣がいたのだ。  この祭の折に他国からきた客人からの献上品か何かだろうか。ユーリは恐る恐る部屋の奥へと足を運びながら、息を殺してその品々を眺めていった。  ふと足が止まる。目の前に、頂点が湾曲した大きな檻がある。鉄製と思しきそれは鳥籠のようでもあるが、中にいるのは鳥ではなかった。 「……キツネ……?」  ユーリは目を見開いた。  檻の中にいたのは黒い狐だ。いつもユーリについて回って、みっともなくて嫌なことばかり言うあの狐。ユハネ王国では不吉とされる黒色の卑しい狐だ。  狐は怯えるでも威嚇するでもなくて、ただ前足を揃えてちょこんと座り、檻の中からユーリのことを見上げていた。  瞳の色も真っ黒だ。だからなのか、どこを見ているのかよくわからない。狐がユーリを見ているとわかったのは、その鼻先がこちらをまっすぐ指していたからだ。  ユーリは無意識にその狐に手を伸ばした。狐は微動だにしない。  もう少しでユーリの指先が狐の鼻先に触れようかと言うところで、背後で扉の軋む音がした。 「ここに入ってはならん」  ユーリはびくりと肩を振るわせ、伸ばしていた手を引っ込めた。  振り返ると、ドアの前に見たことのない男が立っていた。  白髪を額から後ろに撫で付けて、目尻には皺がより頬には細かなシミが落ちている。老齢であることは見てとれたが、長身で背筋が伸びた若々しい佇まいだ。肩布に王家の鷲の紋章が施された紫色の司祭服を着ている。 「あ、あのっ……」 「早くこちらへ来なさい」  男のピリリとした口調に気押されて、ユーリは言われた通りに、暗がりから部屋の外へ出た。 「こちらを向いて、顔を上げなさい」 「えっ、あっ」  フードを被ったままだったユーリの頬を、男は両手で掴んで上向けた。  ユリウスにそっくりなこの顔を隠さなければとユーリは一瞬慌てたけれど、男はユーリの顔を見ても一切の動揺を見せなかった。  男は皺が寄って乾いた親指で、ユーリの目の下の皮膚を引っ張り瞳の中を覗き込んできた。男の目は加齢で色素が薄れたのか、とても薄いグリーンだった。 「うむ、大丈夫なようだな」  何を確認したのか、男はそう呟くと、ユーリの頬を解放した。 「この部屋には異国から仕入れた危険な魔具や異教の医術器具が多く貯蔵されている。君が見たのは毒素を嗅ぎつける妖魔の類だが、使用の対価である副作用が大きい。悪戯に近づいてはならない」  ユーリは男の忠告に、素直に大きく頷いた。 「あ、あのっ……どうして、そんなものがここにあるの?」  恐る恐る、ユーリは尋ねた。  カイルとユリウスの会話をきいて、王宮医術は非常に排他的であるという印象をうけたのだが、異国の妖魔や邪教の医術具が王城に貯蔵されているのは一体なぜなのだろう。 「うむ」  と男は唸り、乾いた指で自らの顎を撫でた。 「叡智を得たくば、時に相容れない他者を知ることも重要なのだ」  なんだか周りくどい言い回しに、ユーリが眉を顰めたその時だった。 「おおおお、み、見つけましたぞっ!」  息も切れ切れ駆け寄ってきたのは、走る大岩デレクだった。  ユーリはまたローブの中でピンと尻尾と耳を立てたが、今度は観念して逃げることはしなかった。  デレクは、ユーリの前で膝に手を置きはあはあ息を整えた後、白髪の男を見つけて明らかに動揺しながら、ビシッと姿勢を正して直立した。 「こ、これは、ググラ・ラム医術師長様!」  大きなデレクの声が不快だったのか、ググラと呼ばれた白髪の男は眉を寄せながら、ただ「うむ」と頷いて見せた。  中途半端に開いた倉庫の扉と、向かい合っていたユーリとググラの様子を見て、デレクは状況を自分なりに解釈したようだ。 「申し訳ありません、この子は南方からの客人のご子息でして! 城内をご案内していたところ逸れてしまったのです!」  そう言い訳しながらデレクは顔を隠すようにユーリのフードを引っ張り下ろした。  ググラは表情を変えないまま、また「うむ」とだけ言って頷いた。 「それでは、もう戻らねばなりませんので、我々はこれにて失礼いたします! ほら、まいりますぞ!」  デレクはググラに会釈をして、ユーリの腕を引いた。ユーリは大人しくデレクの後に続いた。 「他人の空似か、いや、化けたのか?」  あまり感情のこもらないその声に、背中を撫でられたかのようにデレクがぴたりと立ち止まった。ユーリは止まりきれずそのデレクの背中に衝突した。  デレクは恐る恐ると言った様子でゆっくりとググラを振り返った。ユーリもデレクにつられて振り返ると、ググラは先ほどの位置から一歩も動かず佇んでいた。  ググラはその両手を体の後ろで組みながら、もう一度ユーリの顔を見て「うむ」と微かに頷いた。
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