1.過保護な医術師ときつねの子

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     ◇  ユーリが暮らすこのササルは風光明媚な港街だ。  高台にある青い屋根の診療所から大きく曲がって下る道の脇には、白壁に赤やピンクや黄色やらそれぞれ特徴的な色の屋根が乗った家々が立ち並んでいる。  ユーリは早足で坂道を下った。  道には灰色の石畳が敷き詰められ、風や人の足が運んだのか、歩くたびにザリザリとした砂粒が靴底で鳴った。  フードからはみ出たユーリの前髪を海風が揺らし、潮の香りが鼻を掠めた。  天気の良い朝だ。  家々の隙間から向こうに見下ろせる港では、早朝の漁から戻った船がいくつも船着場に寄せられ、屈強な漁師たちが威勢のいい声をあげながら、釣果を競うかのように大量の魚や貝を水揚げしている。  パン屋が店のドアを開き、向こうの家の二階の窓が開けられた。どこかの家からバターの焦げる匂いがして、「卵は何個?」と問いかける女性の声が窓から漏れ聞こえている。  白い犬を連れた老人とすれ違い、ユーリが「おはよう」と笑って見せると、老人もヨボヨボの顔でくしゃりと笑い「おはよう」と挨拶を返してくれた。たまにすれ違う人なのだけど、未だにお爺さんなのかお婆さんなのか、ユーリはわからないでいる。  ただ、この老人が連れている犬は、去り際にいつもユーリのお尻の匂いを嗅いでくる。たぶん自分に気があるのだ、だからきっと犬は女の子だとユーリは思っていたのだけれど、今振り返ったらお股の間で何かがユラユラ揺れていた。 「シェズ! 来たよー!」  シェズの店は港から少し上がった人通りの多い商店街の一画にある。  シェズの店と言ったものの、本当はシェズの父親の店であり、シェズはこのモーリス商会の三代目にあたる。 「おお、ユーリ! 一人で来たのか! よくカイルママが許してくれたなぁ?」  シェズは店先で、今運ばれてきたばかりらしき木箱に入った品々をせっせと店に運び入れている所だった。傍には伝票と品物を確認するシェズの父親もいる。シェズの父親はユーリを見ると「よお!」と手を挙げ、白い歯を見せて気さくに笑った。 「お客さんが来たから、僕が代わりにね」  少し得意げに胸をそらせて、ユーリはフフンと鼻を鳴らした。フードの中でいつのまにか飛び出た三角耳がピコピコと揺れている。 「頼まれていたものはそこに出してあるぜ、お代はもう貰ってるから持っていきな」  そう言って、指さされたのは店の中のカウンターだ。そこには確かに、いつもカイルが使っている薬剤やら、包帯、ガーゼが綺麗に並べられていた。  せかせかと忙しそうに行き来するシェズの横でユーリは緩衝材を敷いた鞄の中に丁寧に薬剤をしまっていった。 「お、そうだ、ユーリ、面白い物が手に入ったんだ、ちょっと時間あるか?」  どさりと木箱を置いたシェズはポケットに突っ込んだ布切れで額の汗を拭いながら言った。  少し痛んだ癖のある赤毛のシェズは、典型的なササルの街の男だ。漁師や商人、働き者の多いこの街の男たちは皆、程よく筋肉をまとって日に焼けた肌をしている。  一方で、医術師であるカイルはほとんど室内で働くため日焼けをしていない。ユーリもカイルの手伝いで、家の中にいることが多いし、外に出る時も頭からローブをかぶるように言い付けられているので、カイルと同じように白い肌だ。  カイルたちラバール家の功績でササル式医術は周辺諸国にまで名を轟かすほどではあるものの、医術師の数自体は少ない。そのため、日に焼けないユーリやカイルのような肌の男は、この街では少々浮いているとも言える。  自分がいつまでも真っ白で細いから、シェズは兄貴風を吹かしてくるのかもしれない。袖を捲ったシェズの屈強な腕を見て、ユーリはそんなことを思いつつ、「二階にこいよ」と手招きするシェズの後を追って、積み重なった木箱の間をすり抜けた。  「ここに座んな」と示されたのは、二階の階段のすぐ脇にあるバルコニーだ。隣家の隙間からちょうど港が見えるので、ユーリも気に入っている場所だ。カイルと店に来ると、たまにシェズの父親が新商品を熱心にカイルに紹介することがあった。そんな時、ユーリはよくここでシェズと一緒にお喋りしながら待たせてもらっている。  そのいつもの場所に並んで腰を落ち着けてすぐ、シェズはいつの間にか手に持っていた紙袋をガサガサとユーリの前で振って見せた。 「それなぁに?」  細かい粒が袋の中で流れる様な音がする。小気味のいいその音と、なんだか得意げなシェズの表情に、ユーリの期待は膨らんだ。 「ユーリ、星祭を知ってるか?」 「星祭?」  シェズは一度袋を脇に置くと、腕と脚とを組んで顎を上向けた。シェズはよくこうやって話をもったいつけるのだ。急かしても無駄だとわかっているので、ユーリは大人しくシェズの話に耳を傾けた。 「七年に一度、この時期に北の空に浮かぶ景星が一層強く輝く夜があるんだが、その日に合わせて王都で行われるのが星祭だ」
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