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あまりにもデレクの汗が酷いので、不憫になったユーリはズボンのポケットを漁った。
何日前のかわからないくしゃくしゃのハンカチが出てきて、まあ良いかとそれをデレクに差し出すと、デレクはいちど「ありがとう」と受け取りかけて、でもそのハンカチの様子をみて、「やはり大丈夫」と手を引っ込めた。
「いったいなんの話なの?」
ユーリはカイルとデレクの顔を交互に見ながらそう尋ねた。
「お前は聞かなくていい」
「実はユーリ様に王都においで頂きたいのです」
カイルとデレクは同時に言った。
デレクが勝手に喋ったことを咎めるように「チッ」とカイルが舌を鳴らした。
「王都? 王都ってユリウスがいるところ?」
「ユリウス殿下だ。人前で王族を呼び捨てするなって、今朝も言っただろ?」
怒ったのはカイルで、王室の遣いであるはずのデレクは、まるで子供を相手にするかのようにユーリの顔を見て「そうですぞ」とニコニコ目尻を下げている。
「来週催される星祭がありますでしょう? その祭典にユーリ様をご招待したく」
「星祭⁈」
ユーリは興奮して、テーブルに手を置いて身を乗り出した。その弾みでカップがガチャリと音を鳴らして、ほんの少しだけ紅茶がテーブルに飛び散った。
「座りなさい」
とカイルに服の裾を掴まれて、ユーリはぺたりとソファにお尻を戻したものの、落ち着いて座ってなどいられない。
「カイル! 聞いた⁈ 星祭だって!」
「ああ……」
「僕行きたい! 王都! 星祭! ユリウスのところ!」
ユーリがカイルの膝に手を置いてぐいぐい顔を寄せてそう言うと、カイルは「落ち着きなさい」とユーリの肩に手を置いて、もう片方の手を額に当ててため息をついた。
「ユーリ、ダメだ」
「えー! 何で!」
ユーリは眉根を寄せて身を捩った。
「デレク様、都合の良いところだけお話しされるのは狡いのではないですか? 話すのではあれば、きちんと全てお話しください」
さらに冷たい口ぶりで、カイルはデレクにそう言った。
デレクは「おっしゃる通りで」と頷いた後、まだ少し熱いはずの紅茶をガブガブ飲んで、カップを置いて手の甲で額の汗を拭った。
「ユーリ様、実はあなたには、ユリウス様の身代わりとなり、ユリウス王太子としてこのユハネ王国の王都イデリアで行われる星祭の式典に参加して頂きたいのです」
デレクの言葉を聞いてユーリは瞬いた。
「どうして? ユリウス、式典に出られないの? どこか具合が悪いの?」
ユーリの問いに、「いえ」とデレクは首を振った。
「ユリウス殿下はご健勝であらせられます」
「じゃあなんでユリウスはお祭に出ないの? お祭が嫌いなの?」
「い、いえ……そう言うわけでは」
「命を狙われているかもしれないそうだ」
しどろもどろに言葉を詰まらせたデレクに変わって、カイルが言った。
腕組みして背もたれに身を投げ出すその姿は、王室の遣いに対するものとは思えない横柄な態度であるが、カイルはそれが許される。
それはカイルの祖父であるオユ・ラバールが、病に伏した現国王の妃を救ったことに起因している。
王宮医術師たちがなす術なく諦めたところ、オユがササル式医術を駆使して王妃の病を治したのだ。以来、現国王はラバール家とササル式医術に一目置いて、敬意を払って接している。
つまりカイルはオユの功績をかさにきて尊大な態度をとっているわけではあるが、それが許されるほどにカイルはオユの、そしてササル式医術の後継者として認知されているのだ。
そのカイルがまた更に苛立ちあらわに肩を持ち上げ言葉を続けた。
「ユリウス殿下が危険な目に合わないように、おまえに身代わりになれって、そういうことだ」
「い、いえ、そのような……」
デレクは焦ったようにテーブルに身を乗り出した。そのデレクにカイルは「そういうことでしょうが」とピシャリと言ってのけた。
歳の頃はデレクの方がカイルより一回りは上に見えるけれど、デレクはすっかり萎縮して肩をシュンと窄ませている。大男だけど、気は小さいようだ。
「ユリウスが、僕に助けて欲しいって言ってるの?」
ユーリはやはりデレクのことが可哀想になって、宥めるようにカイルの腕に両手を絡めて抱きつきながらデレクに尋ねた。
「い、いえっ、ユリウス様というよりは……」
デレクはそこで言葉を濁し続きをためらった。そんなデレクの様子を見て、カイルは組んだ腕の上にフンと鼻から息を吐き出した。
「もっと上ですか?」
「もっと上?」
ユーリはカイルの言葉を繰り返して首を傾げた。
ユーリとカイルの問いに、デレクはゆっくりと頷いた。
「我が君、ハイネル国王陛下にございます」
「わぁお! 国王様!」
胸元で両手をひらりと広げたユーリをみて、「おまえはいちいち軽いんだよ」とカイルが額に手を置き項垂れている。
「しかしながら、これは命令ではございませんことを重ねてお伝えします。王はあなた方のご意志を尊重するようにと」
「そうは言ってもですよ……あぁ、なんて、国王陛下もお人が悪い……いや、こんなこと言ってはいけないですが」
デレクの言葉にカイルは更に深いため息をつきながら、何やらぶつぶつ呟いている。
結局、カイルはその場で首を縦には振らなかった。
デレクは去り際に、まだ数日ササルに滞在するので、その間に王都への訪問だけでも考えてみてはくれないかと言い残していった。
しかしカイルはそれに対して、「うーん」と肯定か否定かはっきりしない様子で唸ると、デレクがドアを出るより先に奥間へと引っ込んでしまったのだった。
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