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享年27歳。
僕は愛する妻を事故で亡くした。
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哀しみに包まれながら、仕事をこなしいつの間にか3年という年月が過ぎていた。
僕はバリバリの働き盛りになった、仕事のトラブルも友人との付き合いも、何でも御座れの三十路になった。
今日も毎日変わらぬルーティンを過ごし、定時のチャイムが鳴り渡る。
「じゃあ、お先失礼します」
そそくさと会社を後にする。道は帰路のサラリーマンや部活帰りの中学生、これから遊びに行くのだろう若者達で溢れかえっていた。
自分も若者の分類にはまだ片足入っていると思っている。ただ、何かが…。
「何かが、足りないんだよなぁ」
ふっと息を吐く。足りない物の正体は、きっとまだまだ忘れられない妻の事だろう。
僕と妻、由香は高校生からの付き合いだった。高校卒業後、僕は大学に入学し、由香は元々頭が良かったのもあり地元の企業に入社した。
大学は地元から電車で30分で通えるところにあったため、由香の会社近くにアパートを借り同棲していた。
僕が卒業後、今の会社に入社したタイミングで結婚をした。その時24歳だった。
僕らが夫婦として居られたのはたった3年。しかも妻が亡くなったのは、僕の誕生日だった。ケーキなどの買い物をしに、スーパーまで歩いていたら突然車が突っ込んで来た。即死だった。
世界は何とも残酷で溢れかえっていると、何度も何度も神を、世界を、自分を呪った。
自分を傷つけ、周りも傷つけ自暴自棄に暮れていたある時、一人の女性と出会った。それが悲劇じゃないと思っている。そう、信じたい。
「ただいまー」
家に帰ると奥からパタパタと音がする。
「おかえり!お仕事、お疲れ様!」
はい、と言って手を差し出す彼女。妻を亡くし3年。この子と今付き合って同棲している。
彼女は亜美。僕を救ってくれた女神様だ。
今の僕があるのも彼女の献身的なサポートがあったから。だから、こうして頑張れている。
身支度を綺麗にし、夕飯を食べ終えソファに2人で座ってテレビをみるのが日課だ。
彼女は僕にもたれかかって、眠そうな顔をしながらテレビを見ている。
嗚呼、僕はこの子が好きだ。…いや、愛している。
「…え?」
妻がトロンとした顔でこっちを見た。どうやら独り言として気持ちが漏れてしまっていたらしい。
「亜美、愛しているよ」
「私も」
優しくキスをし、抱き寄せる。温かい体温が伝わる。この時間がたまらなく愛おしい。この幸せな気持ちが、絶望の先に待っていたものとは。
幸せだからこそ、彼女に秘密にしている…いや、言えないことがある。
それは、亜美が由香にどことなく顔も姿も声も動作も似ているところだった。
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以前、亜美に質問されたことがある。
「私ね、明るい今の髪より暗めが似合うと思うんだ。どう思う?」
想像をしてみた。ますます由香に似そうな気がする。そう思うと亜美が由香になってしまいそうでゾッとした。
「いやいや!いやいやいやいや!今の方が絶対良いいよ!!」
慌てて手を横に振り、NGと申し出る。
亜美は「なんで?」と首を傾げていたが、いい理由は思いつかなかったので「ふ、深い意味はないよ」と冷や汗を流しながら誤魔化した。
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そんな事もあったけれど、この女神を隣で眺めている今とてつもなく幸せなことには間違いない。
それが例え、由香に似ていたとしても。
惚れた理由が由香の面影に似ていた事で、引き寄せられたとしても。
その幻影が見えてしまい再び自分自身の首を絞めることになりそうなことも。
構わないとさえ思えた。そう思えることさえ自分自身、理解し難い。
だとしても。
亜美にプロポーズしたい。
結婚したい。
そして、由香とは叶わなかった夢。
子どもを抱きたい。
頭の中お花畑な夢物語を自室のベッドの上でグルグルと考えていた。
「なぁ、由香。僕、彼女にプロポーズしようと思っているんだ。」
壁に貼った由香の写真を見ながらそう呟いた。
翌日、彼女が僕の首を絞めて殺される夢を見た。
それでも由香に許しをもらうまでは諦めないと、次の日も「彼女と結婚しようと思っているんだ」と伝えた。
今度は亜美…いや由香…?亜美かもしれないし由香かもしれない僕の妻という存在が、車に轢かれて、顔がぐちゃぐちゃになって目の前で死んだ夢を見た。
かなり限界が来ていたと思う。
それでもまだ、まだ諦めたくないと、次の日「僕の夢を叶えたいんだ。だから、許してくれ」と由香の写真を見ながら熱心に伝えた。
そしてその日の夜。
とうとう僕の枕元に由香の幽霊が現れた。
由香はニヤリと少し気味の悪い顔をしていた。いや、僕からみたらどんな顔も可愛らしいんだけれど。
幽霊が現れて恐怖と、久しぶりに会えて嬉しいという気持ちが入り交じって複雑だった。
「こんな裏切り者の僕を、呪い殺しに来てくれたのかい?」
由香は何も喋らない。
暫く沈黙が続いたあと、スっと机の引き出しを指さした。
「…?あぁ。そういえば、そんなもの買っておいたね。よく知ってるなぁ由香は。僕のことを把握してくれる所がとても大好きだった」
涙が頬を伝い自分が泣いていることに気がついた。
こんな顔、見せたくないと思いゴシゴシと顔を拭き、由香に、笑顔を見せる。
机の引き出しに手をかけ、鍵を開け中身を取り出した。
以前、由香の後を追おうとした時に裏サイトで購入した拳銃と1発の銃弾だった。
その時丁度亜美に出会って救われた…違う。邪魔されたんだ。その時の物だ。
「君は、僕の相手は君以外認めないってことだよね。それは僕も同じ気持ちだよ。ごめんね。そしてありがとう。情けない僕を迎えに来てくれて。一緒にいこう」
拳銃をゆっくりと自分の頭に付ける。
その時、ガチャリとドアが開いた。
驚いた顔をした、幽霊では無い人間の由香が立っていた。
「…!!!」
彼女は何か叫んでいたような気もする。
しかし、僕は君とまた一緒になれる事の嬉しさのあまり引き金を引いた。
体を支えられずドサッという大きい音を立て床に転がる。
黒いモダンチックなカーペットを敷いた床に、ただただ生温かい赤い海が広がっていく。
この温かさが幸せなんだっけ?
死ぬ事が幸せなんだっけ?
そこに立っていた由香は誰だっけ?
薄れゆく意識の中、視界をぐるっと回してみた。
由香の幽霊はどこにも居なかった。
涙で顔がぐしゃぐしゃの由香…じゃなくて、亜美がそこに居た。僕の名前を大声で叫んでくれる愛おしい女神様が。
亜美から目線を逸らすと、自分の部屋に大量の由香と亜美の写真が交互に敷き詰められていた。
やっぱり、君との出会いは悲劇の始まりだったんだな。それが相当悔しいし、情けない。
女々しいやつだな。自分。
最後まで僕を救おうとしてくれた女神の顔をもう一度見た。少し温かい気持ちになった。
その瞬間、僕の意識は途絶えた。
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