1.魔法のリップに出会うまで

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   * 「いらっしゃい」  店の奥に、お姉さんの声が聞こえた。  そちらを見やると、全身黒い服で包み込んだ女の人が座っている。  思ったより広い店内をうろうろ回ってみると、「何かお探しですか?」と訊ねてきた。  慌てて手と首を横に振る。 「な、なんでも、ない、です……あ、いえ、その……きれいな、お店だった、ので」  店主とおぼしきお姉さんの目も、まともに見ることができない。 「何が、あるんだろって……気になって、あ、あの、すみません! すぐに出ます!」  急いで踵を返そうとすると、「ああ、良いのですよ」と彼女が手を差し伸べた。 「このようなお店ですから、お客様もあまりいらっしゃいません。久々のお客様で、私も少しテンションが上がっております」 「て……?」 「お店に入ったからといって何か買わなければならないということはありませんので、ゆっくりご覧ください。強制はしませんが、もし気になるものがあればお申し付けください」  さらさらの黒い髪を揺らし、お姉さんは優しく話してくれた。  お言葉に甘えて、改めて見回すと、いろんなものが並んでいた。  西洋人形の隣に、和風人形が座っているし、宝石の後ろにはごろりと文鎮が置かれている。  アンティークっぽい手鏡、竹櫛、薄いストール、イヤリング、分厚いノート……琴美の目に、今まで会ったこともない品物が住んでいたのだ。  手のひらサイズの円筒が視界に入った。  丸ガラスのケースに入ったそれはリップだった。  魅入っていると、「気になりますか?」とお姉さんが声をかけてきた。  お姉さんの白い手が、ガラスケースからリップを取り出す。  キャップを開いて何度か回すと、鮮やかなピンク色のリップがにょきっと現れる。 「これは、魔法のリップです」 「魔法……?」 「使用方法は、一日1回、唇に塗るだけ。リップクリームや口紅と同じです」  魔法のリップは薬用リップクリームみたいなものらしい。  学校では化粧禁止だが、唇の保湿を言い訳にすればつけることはできる。 「魔法って、どんな魔法、なんですか……?」 「あなたの悩みを、解決します」  琴美は、目をしばたたかせた。  自分の悩みといえば、内気で、引っ込み思案で、しゃべるのが下手なこの性格そのものだ。  それを解決する? 「魔法って、もっと、こう……なんていうか、火を出したり、ドラゴンを操ったり、そういう、ものではなく、ですか?」 「そういった魔法も存在します。ですが、私の店で取り扱う魔法はそれらとは種類が違います。ここにあるのは、日常に根ざす魔法です」 「日常?」 「雑草を駆除したり、寝癖を直したり、シャープペンシルの芯がなくなると補充されたり、部屋の隅っこの埃もしっかり掃除できたり……そういったものです」  確かに、日常に根ざしている。 「じゃあ、このリップは……?」 「リップをつけた人の悩みを解決します。悩みといっても人それぞれですから、これを解決するのだと言える魔法ではありませんが」 「もし、わたしがつけたら、わたしの悩みが、解決する、ってことですか?」 「その通りです。もちろん、あなた以外の方がつければ、その人の悩みを解決します」  琴美はリップをじっと見つめた。  唇につけるだけでいい。  お姉さんが言うには、一日1回でかまわないらしく、魔法によくある代償というものはないようだった。  強いて言うなら、このリップは使用して一年でなくなるということだけだ。 「持ち主の肌質に合わせるよう調合しましたので、肌荒れの心配もありません。寿命や魂を持って行かれるといったことはありませんので、安心してご利用いただけます。カラーも目立たないピンクですし、日用使いにしてもお役に立てるかと」  静かに説明するお姉さんは、どこか楽しそうだ。  思い切って値段を聞いてみたら、薬用リップとそう変わらないくらいだった。   (これで、わたしの悩みが解決できるなら)  正直、魔法のリップといっても全く信じることはできない。  だが、琴美にとっては藁にも縋りたくなるほど解決したいのだ。  これで解決できなかったら、今度こそ別の方法を探せばいい。 「あのっ、これ、ください」
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