第一章 蝉時雨の出逢い

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第一章 蝉時雨の出逢い

 いつもと変わらない学校からの帰り道。  歩行者信号が赤になって立ち止まった。  歩くたびに感じていた僅かな微風が、止まった途端に無になり、猛烈な熱を感じてげっそりとする。  校舎を出る前に自販機で買ったお茶のペットボトルを口に運び、傾けてゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。  すぐに汗となって湧き出てくる気がするけれど、仕方ない。喉がこんなに渇いてしまうのは、今日も隣を並んで歩く古賀くんに緊張しているから。日差しが暑くても少しくらい平気なのは、あたしにとっては彼の方が太陽よりも眩しい存在だからだ。  明日から夏休みが始まる。  課題なんてそっちのけで、海に、花火に、夏のイベント巡りをして、ふわふわのカキ氷を食べに行って、プールとか海にも行きたい!  初めて出来た彼氏との夏を満喫するんだ。楽しみで仕方がない。もちろん、古賀くんだってあたしと同じ気持ち、だよね……   チラリと古賀くんに視線をあげると、彼もこちらを見ているから、心臓が早鐘を打ち始める。 「なぁ涼風(りょうか)、俺ら別れよう?」  あたしを見下ろす彼の表情は、申し訳ないと思っているように眉が下がる。だけど、なんだか軽い感じで言うから、一瞬返事に戸惑う。迷いなんてないみたいに放たれた言葉に、頭の中が真っ白になった。 「……え?」 「ごめん。涼風から告られた時はほんとへこんでたから、あの時は涼風にはそばに居て欲しいと思ったんだけど……やっぱり俺、涼風じゃないなって思ったんだよ。だから、ごめん。別れて」  パンっと顔の前で手を合わせるから、ますます混乱する。  この気温のせいかな? 朦朧とする。  暑さのせいだと思うんだけど、思いたいんだけど、頭がうまく回らない。古賀くんの言葉の意味を理解するのに時間がかかる。  それに、さっき充分潤したはずの喉の奥がすでに乾き切っていて、言葉も出てこない。  「じゃあな」と、あたしの返事も聞かずに、青信号と共に歩き出す古賀くん。  あれ? 行っちゃう。待ってよ。なんで? 別れる? どうして?  頭の中をたくさんの疑問の言葉が飛び交い目眩が起こる。追いかけたくても、血の気が引いたように全身が重たくて、足が固まってしまって、うまく動かせない。どんどん遠くなっていく古賀くんの背中が見えなくなった頃に、ようやく、あたしは倒れそうになりながら前に進んだ。  瞬間────  激しいクラクションが聞こえたと思ったら、世界が真っ暗になっていた。  暗闇の中に聞こえるのは、耳をつんざくほどの蝉の(こえ)。  あー、うるさい。  うるさい、うるさい、うるさい。  なんであたしばっかりこうなんだ。  ねぇ、なんで世の中平等じゃないの?  悪いことがあったら、次は良いことあるよね? それとも、良いことの後って、こんなにも不幸が降りかかってくるの?  あたし、別にわがまま言ってないと思うし、人の物獲ったり奪ったり盗んだりもしていない。  それなのに、どうして?  生温い何かが額に流れ落ちるのを感じる。だけど、もう痛くも痒くもない。  ただ、あたしは、哀しい。  うっすらと、ぼやけた視界が瞳に映った。  夏の陽炎に消えて行った彼の姿を、もう追いかけることができない。  太陽の熱がアスファルトに反射して、蜃気楼を作り出す。ゆらゆら、世界が蝋燭の炎のように揺らめいている。  あたしのこの気持ちは、ここに置き去りのまま終わりを迎えるのかな。  寂しいと言うか、虚しい。こんなあたしはもう要らない。誰にも必要とされていないのなら居る意味がない。  それならいっそ、生まれ変わりたい。
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