第一章 蝉時雨の出逢い

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 目が覚めると、相変わらず蝉の聲が耳をつく。目の前で揺れるクリーム色のカーテン。窓が開いているから、嫌でも外の蝉の聲が室内に響いてきているんだろう。  周りを見回すと、綺麗に並んだ長机に椅子。いくつも列をなして並ぶ棚には、全て本が収まっている。ふと、目に止まったのはカウンター。そして、入口のドア。  もしかして、ここって。あたしの通っている学校の図書室じゃないのかな。  ようやく、立ち尽くしている場所が馴染みのある図書室だと分かり、気持ちが少しだけ軽くなる。ゆっくり、足を一歩踏み出してみた。  歩くことが出来るし、ここがどこかも分かるし、あたしが誰かも分かっている。  だけど、一箇所だけ窓が開いていて、カーテンが揺れているから、きっとそこからは風が入り込んで来ているんだろうけれど、あたしの肌が風を感じることはない。  外でうるさいくらいに蝉が鳴いていて、日差しがジリジリと窓の外から机を焼くように貫いているけれど、暑いなんて感覚もない。  どういうことなんだろう。  どうしてここにいるんだろう。  あたしは、死んでしまったのかな?  未練たらたらだから、幽霊になってしまったのかな?  だとしたら、死んでも自分のままでいるってさ、なんだか、罰ゲームだよね。  窓に一瞬だけ、苦笑する情けない自分の姿が反射して見えた気がして、そう思った。いつもと変わらない制服姿。なんだか、がっかりする。  ミーン、ミンミンミンミンミーン……  ああ、さっきからうるさい。うるさい、うるさいうるさいうるさい……  鳴き続ける蝉に腹が立って仕方がない。  短い命だよね、蝉って。可哀想。  そんなに鳴き喚いたってどうせ七日間の命でしょ。それしか生きられないんだから。仕方がないでしょ。  雲が太陽を横切ったのだろう。途端に室内は影って蝉の聲が遠くなる気がした。 「……そっか、だからか」  ポツリと、つぶやいてみた。  なんだかおかしくて、口角も上がる。だけど、気持ちは沈んでいく。  七日間しか生きられないから、自分の命が短いことを知っているから、だから、必死になって鳴くのかもしれない。  あたしも、泣いてもいいのかな。  今まで、泣くことをずっと我慢して来た。  泣いたってどうしようもないって、思っていたから。 『泣いたってどうしようもないでしょっ!』  ふいに、記憶の中に響いて来るのは母の声。  いつだって不機嫌だった母は、怒っていなくても怖かった。父が家にいることは稀だった。だから、あたしは父の顔はよく覚えていない。母だって、泣いているあたしにいつも怒ってばかりで、どんな顔をしていたのかなんて分からない。だけど、おばあちゃんはいっつも、母に「すみません」と、小さな背中を震えさせて謝っていたのは、よく覚えている。  あたしが三歳の誕生日の日。  おばあちゃんはテーブルにあたしの好きな海老フライやハンバーグ、たくさんのフルーツの盛り合わせを並べてくれていた。ケーキも買ってきてくれていて、あたしは嬉しくてはしゃいでいた。それなのに、家の中には父も母もいなくて、喜ぶあたしの目の前で、おばあちゃんは「おめでとう」じゃなくて、「ごめんね」と謝ってきた。  何度も、何度も。  なんの「ごめんね」なのか、あたしにはわからなかった。おばあちゃんは肩を震わせて泣いていた。 『……泣いたって、どうしようもないんだって』  母が言っていた。  だから、あたしは泣かなかった。  おばあちゃんは、あたしの言葉にますます涙を流してしまった。覆い隠す両手は皺くちゃで、ブラウスの裾をそっと掴んだ。おばあちゃんだけは、あたしのそばからいなくならないでほしいと、あの時、切に願った。  父はもともと家にはほとんどいなかった。その日を境に、全く存在が無くなった。だから、今では顔も知らない。そして、母もいなくなった。  ああ、あたしは捨てられたんだ。要らなかったんだ。  あの日、あたしは単純にそう思ったんだ。  おばあちゃんがあたしをギュッと包み込んで、抱きしめてくれた。だから、あたしは大丈夫だったのかもしれない。  捨てられたんだとしても、あたしにはおばあちゃんがいる。だから、大丈夫だって。そう思えていたんだ。 『……おばあちゃんがいつでもついているからね、涼風ちゃん』  ポタリ。  床に何かが落ちて跳ねる音がして、視界が歪んだ世界を映し出していたことに気がついた。頬には感覚がないのに、床にポタポタと落っこちていく振り始めの雨みたいな涙が、溢れて流れていた。
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