第一章 蝉時雨の出逢い

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 しばらく、静けさの中に蝉の聲しか聴こえなくなる。手にした本を読むフリをしながら、そっと西澤くんのノートを覗き込んでみた。 「あ、そこ。間違ってる」 「へ?!」  いきなり話しかけてしまったから、驚いた西澤くんの裏返った声に思わず笑ってしまう。 「あたしもよくひっかかるんだよね、その問題。教えようか?」  別に読みたいわけじゃなかった本を閉じて、西澤くんに近づく。  あんまり近すぎると、あたしが触れられないことがバレてしまうかもしれないから、気を付けながら。  気が付けば、西澤くんの勉強を見てあげるのが楽しくなって、いつの間にか時間が経っていたみたいだ。スマホを見た西澤くんが「やば、もうこんな時間だ」と慌て始めた。 「あー……ごめん」  机の上に視線を落としたかと思えば、西澤くんが急に謝る。 「杉崎さん、全然本読めてなかったよな。明日からもう来ない方が……」 「そんなことない!」 「え?」 「明日もまた……おいでよ」  このまま一生の別れになるんじゃないかと思ってしまって、焦る。  もう、あたしはここから出られないかもしれないし、そうしたら、あたしのことを見つけてくれた西澤くんの存在が貴重過ぎるから、出来ることなら、またここへ来て欲しい。 「勉強……教えるから」  ひとりぼっちは寂しいから。  誰でもいいの。あたしをひとりにしないで。 「……杉崎さん?」  心配そうに名前を呼ばれて、あたしはハッとして顔を上げた。必死になりすぎていた自分に急に恥ずかしくなった。 「明日もってか、夏休み中はずっと来る予定だよ。俺も一人よりは気が楽かも。明日もよろしくな」 「……うん」  明日も来てくれると言ってくれた西澤くんの笑顔に、一気に安心してしまう。  あたしは、誰かがそばに居てくれないと、寂しくて、悲しくて、潰れてしまいそうになるんだ。  『泣いたってどうにもならない』  いつだって母の声が聞こえてくる。  だから、あたしは泣かない。ギュッと、唇を噛み締めた。 「俺、行くけど鍵は杉崎さん持ってる?」 「あ、う、うん。閉めて行っていいよ」 「そっか、じゃあまたな」 「うん、またね」  手を振り、西澤くんを見送る。  明るく照らされていた室内が、急に影を落とした。  いつの間に時間が経ってしまったんだろう。外は真っ暗な夜になっていた。窓に手を当てると、やはり開けることは出来ない。  西澤くんがカーテンを纏めてくれたから、窓の外の空を見上げることが出来た。  杉林の影と星空が半分ずつ見える。降り注いできそうなくらいに、たくさんの光の粒が煌めいている。  空なんて、ちゃんと見上げたことがなかった。  真っ直ぐに、ただひたすらに前だけを向いて、毎日毎日、歩くのがやっとだった。  月明かりがあたしを包み込むように照らし出す。蒼白い光の筋は、悲しみの色に見えた。冷たくて、憂いを帯びていて、寂しい。  だけど、たとえ月であったとしても、あたしを見て照らしてくれるのならば、ひとりじゃないと感じて、あたしは机に寝そべってそっと目を閉じた。
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