じいちゃんがくれた景色

1/1
前へ
/1ページ
次へ
夏休みに僕はじいちゃんちに行った。 じいちゃんはあまり喋らない。 「こんにちは」 声をかける僕と特に視線を交わすでもなく 背中を向けると片手を軽く上げて家の中に入っていった。 打って変わって、ばあちゃんはおしゃべりだ。 忙しなく僕の世話を焼きながらしゃべり続ける。 思いがけない病気で急に歩けなくなった僕を久しぶりに迎えて 気遣って余計におしゃべりになっているのかもしれない。 じいちゃんと僕は当たり前のように山に登っていた。 何年も一緒に・・ 険しい道は助け合い 木々や苔の緑の鮮やかさは僕たちの心を膨らませ 圧巻の山頂の景色は互いの瞳で反射した。 「どこにでも、連れて行ってやる」 登頂した僕を見つめるじいちゃんの眼差しが僕は大好きだった。 けど・・もう・・・・この足では 山どころか、家の中を歩く事さえできない。 2度とここへは来たくないと思った。 思っていた・・なのに・・・ 僕は何を求めているのだろう・・・ ばあちゃんの弾丸トークを聞きながら麦茶を飲む。 心にぽっかり空いた穴に麦茶がしみていくようだ。 ばあちゃんの声が蝉の声と融合している・・ と、顔を出したじいちゃんが手招きしている。 じいちゃんの家は平屋で広くて 太い柱が数本あるだけの洋風な作りだ。 車いすでも自由に移動ができる。 じいちゃんについて行くと見慣れない部屋に入って行く。 開かれた扉から塗料の匂いが流れてくる。 中を除いた僕は思わず息をのんだ。 色とりどりのキャンバスの数数数・・・ じいちゃんの絵が高く売れるのは知っていたけど 作業場に入るのは初めてだった。 じいちゃんは画材に囲まれた机に近寄ると 不思議な形の道具を使い分けながら 目の前に立て掛けられた大きな白いキャンバスに絵を描き始めた。 すごい・・ 筆の動きの速さと キャンバスに埋められる色彩の速さが 正確で美しい山の姿となり映し出されてゆく。 じいちゃんは僕を隣に座らせ 何枚も何枚も山の景色を描き続けた。 時には休憩を挟んで緑の美しさを眺めた。 じいちゃんの絵と僕の記憶が重なり いつもの麦茶があの日の味となる。 ふと、 「山に登りたい」と呟いていた。 一瞬で凍り付いた。 言ってはいけない事を言ってしまった。 言っても仕方がない事を言ってしまった。 じいちゃんを困らせた思いが胸を締め付ける。 「え?」 ところが、 恐る恐る様子を伺ったじいちゃんの顔は笑っていた・・ 待ってましたとばかりに 今まで描いてきた絵で部屋を囲うと僕を引き寄せた。 そして、一枚一枚に 僕とじいちゃんの姿を描き始めた。 本当に それは僕とじいちゃんだった。 時に助け合い 時に美しさに心を膨らませ 静かでありながら楽しそうな躍動が伝わる。 気がつくと朝日が昇る時間だった。 最後の一枚は 見たこともない美しい朝日が山頂を染めゆく絵だった。 僕たちは朱色と紺瑠璃色の日の出を見渡している。 その美しさに僕は震えていた。 じいちゃんは登頂した僕を見つめる時の いつもの眼差しで言った。 「どこにでも、連れてってやる」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加