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「もうよい、下がれ。佐一から茶代を受け取り帰るがよい」
「承知いたしました。それでは失礼いたします」
寧々子はすっと立ち上がり振り向いた。後ろ髪を引かれる様子は一切ない。けれど、その直後――竜規の目は寧々子の背中姿に釘付けとなった。
ほんの数歩にすぎなかったが、寧々子の足はしっかりと畳を踏みしめ、わずかな緩みも見せなかった。そんな隙のない歩を垣間見たのは、竜規が知る限り、一握りの高名な武将だけである。
「いや待て」
竜規はすぐさま寧々子を引き止めた。寧々子は足を止めて振り返る。
「なんでございましょう、竜規様」
「無理強いをするつもりはないが、この奥向きの暮らしを味わってみてはどうだろうか」
「それは……わたくしを奥方としてお迎えくださるということですか?」
「さようである」
意外だったのか、それとも心外だったのか、とにかく寧々子はきゅっと口元を引き結んだ。振り向いてその場に座り直し、深々と首を垂れる。
「御殿での暮らしは尼音がなんでも教えてくれる。思い悩んだら遠慮なく相談するがよい」
「竜規様のお心遣い、誠に嬉しく思います。それではひとつ、お尋ねしたいことがあります」
「なんだ、言ってみろ」
「呪いの噂とは、まことでございましょうか」
噂は民の間にも広まっていたようであった。
「そんな戯言、信じることはない」
「ああ、それは残念です。その呪いの真相を知りたくて、心を躍らせて訪れたのですが」
寧々子はまっすぐなまなざしで竜規を見据え、くすりと笑った。その度胸に、なるほど家臣たちの尽力は伊達ではなかったなと、竜規の心は少しばかり沸き立った。
以来、竜規は頻繁に寧々子と夜をともにするようになった。竜規にたいそう気に入られたのだろうと、奥方たちは寧々子をしきりに羨ましがっていた。
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