第二部 猫と探偵と高円寺

2/45
前へ
/199ページ
次へ
こうして必死に辿り着いたアパートに住む男性は、木鷺坂上伊路里。 読みは『きさぎざかうえ いろり』で、職場でついたニックネームが キイロくん。 というか、あたしが。 『名字が呼べない!噛む!もうキイロくんって略させてーっ!』 なんて言ったせいですけど。   そんなリクエストに『呼びやすくしていいよ』と、了承してくれた キイロくんは、20代後半の真面目な好青年だ。 あたしたちの職場は高円寺(こうえんじ)にある小さな酒屋で、彼は 配達、酒の管理、事務処理まで、なんでもこなせて、そして体格が いいのに、笑うと無邪気さがあって、そんな可愛いところも周囲に 好かれまくっている。 職場はもちろん、店に来る常連も、配達先の奥様たちも、ついでに 酒好きなオッサンたちにも。 あたし?あたしは、まあ、30代の普通の女性なのに、なんつーか うん、職場でもドジっ子ですね! あ、自分で言ってて悲しくなってきた。 ともあれ。 そのキイロくんが、休日を含めても1週間、無断欠勤しているうえに 連絡が取れないでいる。 当然ながら彼は勝手にサボるタイプじゃないので、上司で店長の 猪熊(いのくま)さんが、心配し始めた......というわけだ。 「ポンちゃん、キイロくんの住まいから近かったよね? 行ってみてくれないかな? まだ警察に報せるのはやめておきたいんだ。 事情がわからないし、彼なりに仕事に来れないような理由が あるのかもしれない。 でも、やっぱり、このままにはしておけないよ。 だからって、上司の私から出向くと、話し辛いかもでしょ? ポンちゃんが最もキイロくんと仲良しだったし。 悪いけど、頼めないかな?」 店長はひたすら地味な顔というか、テレビドラマでいうところの 名脇役の年配俳優のような、存在感は薄いけど芯があるような? そんなタイプだ。 そして、無断欠勤でもクビにしないうえに、的確な判断ができて 頼もしく優しい。 だからこそ、あたしもキイロくんも、もうひとりの従業員である 高齢男性の八木(やぎ)さんも、清々しく働けている。 だからブラック系ならまだしも、こんな良い職場から消えるなんて 違和感があるわけだ。 東京都内とはいえ、事件性の多い場所ではないけれど、都心だし。 何か良からぬことが起きかねないし、アッサリとした個人的事情 かもしれない。 こうしてあたしは、店長からのご指名を受けて。 ここまできたというわけです。 ちなみに『ポンちゃん』とは『本土 ( ほんど ) 』 という名字なので、つけられたニックネームです。
/199ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加