ほうそう、ほうそう。

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ほうそう、ほうそう。

 帰りたくない、めんどくさい。  そう思う時は誰だってあることだと思う。ましてやそれが、受験生なら尚更に。 「ああ、もう、しんど……」  それは、私がまだ中学生だった時のことだ。  中学三年生。部活も引退し、いよいよ周囲から“勉強しろ、勉強しろ”の圧力が強くなってきた二学期のこと。  私は学校が終わると、なんとなくトイレにこもってサボるようになっていたのだった。理由は単純明快、帰りたくなかったからである。  この頃の私は――というか、受験をする中学生の半分くらいはそうだと思うのだが。何でわざわざ勉強して高校に行かなければいけないのか、辛い苦しいばかりの受験なんてものをしなければいけないのか理解できなかったのである。  元々勉強そのものが大嫌いで、塾も嫌々通っていたクチだ。宿題だって叱られないように適当に見繕って提出しとけばいいや、的な考え。将来の役に立つからとか、高校に行かないと就職もままならないからとか、大人はいろいろ説得してくるけれどどれ一つ私の心には響かなかったのだった。正確には、“こんなにも嫌で嫌でたまらない勉強をする理由には程遠い”と思っていたのである。  だから、学校が終わった後、家に帰るのが嫌だったのだ。  家に帰ったら晩御飯や昼の時間以外はずっと部屋にこもって勉強しなければいけなくなる。  私の部屋はリビングの奥にあって、しかもドアを開けっぱなしにしろと言われていたので、リビングにいる家族から丸見えになっているのだ。そして、ちゃんと勉強しているかちょこちょこ監視されるのである。少しでも居眠りをしたり漫画を読んでいたり携帯を見ていようものなら即お叱りが飛んでくる。何で勉強しないんだ、なんでサボっているんだと言われる。私は、それが本当にうざったくて仕方なかったのである。 ――なんで勉強なんかしないといけないの。そんなの、頭いい人だけやればいいじゃん。  しかも高校受験をどうにか乗り越えたとて、高校時代は高校時代で定期試験からは逃れられないし、いずれ大学受験が始まることにもなるのだ。どうして人類は勉強なんてものを皆に押し付けたがるのか。向いている人だけやればいいのに、なんで嫌いな人間に強要するのか、疑問で仕方なかったのだ。  そういうことをちゃんと理解できるようになるのは、もっと大人になってからのこと。  そんなわけだから当時の私は、学校に漫画を持ってきてトイレに持ち込んでこっそり読んだり、携帯をいじっていたりしたというわけだ。  西校舎の四階のトイレは利用者がほとんどいない。先生だって来ない。こっそりサボるにはもってこいの場所だったわけである。 ――帰りたくない。  帰りの階が終わるのは四時。  それでも私は、図書室で勉強していたとか嘘をついて、五時以降に家に帰るのが常だった。 ――勉強も受験も滅んじゃえばいいのに。  今日も個室の蓋の上に座り、携帯小説を読みながら時間を潰す。  楽しい小説を読んでいてもどこか心が晴れず、鬱々とした気持ちをため込み続けていたのだった。
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