今夜はダンスを

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 私が小学校3年の頃だったでしょうか。通学路の木々の小路の先に建設中の家がありました。  確か夏休み直前の集団下校の時だったと思います。途中から美夏ちゃんという5・6年生と2人きりになりました。 「ダメだよ誠馬君。先生も言ったでしょ、あの家には絶対に近づいたらいけないからね」  その日の私は、美夏ちゃんに手を引っ張られて走ってその場を離れました。 「ねえ、味野さんの家の反対側の林の中に家建ててるでしょ、先生に近づくなって言われたけど何でなの」  こんなような疑問をぶつけた時、母は一瞬だけ私が見てないと思ったのか、真顔になったのを覚えています。 「大工さんとか車とか出入りするから危ないからよ。あそこは細い道だから余計にね」  母も近づくな、と言ったので、何だか怖くて登校日はその近くだけ走っていました。  友達の家に行く時には自転車で手前からスピードを上げて通り抜けました。  しかし、運動会の振替休日の日にどうしても、少しで良いから近づいてみたくなり、薄暗くなった夕方にアスファルトの道を外れて初めて土の道に入りました。  普通の家なのに何で完成した後も近づくなって何で? ヤバイ仕事をしている人の家かもしれない。だから言われても仕方ないの?  木々の隙間から家が見えるまで一歩。そして窓が見えるまでもう一歩。自転車を押しながら進む。鼓動が速くなり深呼吸を繰り返し進む私。 「あっ、こんにちは」  思いの外、近くまで来てしまっていたらしい。玄関先に女の人が立ってたのに気づくのが遅れた。高校生くらいの女の人だった。 「大丈夫だよ、怖がらないで。こっちへいらっしゃいよ」  多分、後ずさりして転んだ私を駆け寄って助けてくれた女の人。優しいのに何で近づいてはいけないと今も言われるの? 当時の私はそんな事を考えていました。 「大丈夫? 服が汚れてる。手も。こっちに水道があるから手を洗って」  そこへ母親らしき人が出て来て、たいした傷ではなかったけれど手当てしてもらいました。  高校生くらいの女の人は紗羽(さわ)と名乗りました。私も名前を伝えてお菓子を一緒に食べ、お家の人が心配していると困るわね、と言われて帰りました。私は絆創膏を家の近くで捨てました。幼いながら親に色々言われる事が、私の事を思った事としても嫌でしたから。傷口は公民館の外の水道で洗ったと言った気がします。  そして月日は流れ、私は時々1人の時に木々の隙間から紗羽さんを探すようになりました。2回だけお話して、その後は出会えませんでした。  クリスマス会の帰り道、私は家に明かりがついている事に気づき、みんなと別れてから近づいて行くと、庭の噴水脇に土台にのせられた小さな美しい女性の像と、その奥には男女の像が、そう遠くない距離に置かれていました。  その家に2回行って、最後に噴水の縁に腰かけて話したのに像があることに気づきませんでした。もしかすると、その後に出来上がっていたのかもしれませんが。 「いつだったか、近づかないでって言った家の人は引っ越して行ったらしいわ。何か良からぬトラブルの噂があったから、これで安心出来るわ」  父親には会った事はなかったけれど、紗羽さんと母親は上品な方々だった。 「良からぬトラブルの噂って何? 」 「誠馬に話したって理解出来ないわよ」  母に笑いながらそう言われた事を思い出した。大人の事情かなと思い、その家にはしばらく近づく事はなかった。  中学生からは通学路緒は反対側の道になったし、高校生になっても接点のない道になった。  大学生になって夏休みに帰省して、久しぶりに車で小学生の時の通学路に夜の20時過ぎに出掛けました。  車を脇に停め、木々の間を歩いて行く事30秒ほどで目に飛び込んできたのは、あの日見た土台にのった小さい美しい像。 「えっ、マジか」  その像は以前見た像と殆ど変化はありませんでしたが、何とその像は紗羽さんそのものでした。白い紗羽さんでした。 「こんばんは。誠馬君でしょ。大きくなられましたね。私は紗羽よ」  驚き黙ったままの私の目の前で、優しく微笑む紗羽さん。逃げようにも体が動かない。 「こんばんは。昔、引越したって聴きました」 「そうよ。でもね、この場所が好きでまた戻って来たの。別荘扱いよ、ねえお父様お母さま」  静かに像の脇で、私と娘を見守っている御両親の柔らかな微笑みは印象的でした。 「お父様、お月様が綺麗ですから、誠馬君とダンスを踊りたいの」  土台から像のまま離れた父親は家に私たちを手招きして音楽を流した。母親はすぐそばで見学するようだった。 「踊った事はないですよ紗羽さん」 「大丈夫よ、私の動きを見て真似すれば」  ふわふわとした感覚でいたこの日を、30歳近くになった現在も思い出します。  紗羽さんにリードされて踊るダンスは本当に楽しかった。私のリズムがずれても平気みたいで踊り続けている紗羽さんは本当に美しい女性でした。 「誠馬君、飲み込み早いわね」 「紗羽さんのおかげですよ」  あと一回、あと一回と踊り続けたダンスを私は練習し、1週間後に成果を見せたくて訪れた。しかし像は動く事はなかった。家も売地になっている。どうして? 確かに紗羽さんと踊ったのに。  私は像を撫でながら言った。 「お願いです。あと1回、私と踊って下さい紗羽さん」            (了)
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