太陽のひと

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静かな田舎に響く、救急車のサイレンが忘れられない。降りたままの遮断機、閑散とした町に、群がる群衆。異様な緊迫感が現場を満たして、また息苦しくなった。彼女では無い可能性もあると、いつもの場所へ視線をやっても彼女は居なかった。可憐な笑顔も元気な身振りも上品な装いも、全部探した。探したけど見当たらなかった。見当たらないから、心臓の音はさらに大きく、激しくなった。こういう時の勘は嫌に当たる。もしかして、なんて考えたくもなかった。でもやっぱり現実は残酷だった。 ◾︎◾︎◾︎ 「とーか!おはよう」 朝から騒々しく肩を組んでくるこいつは、矢上という。この学校で唯一、凝りもせず俺に絡んでくる厄介者だ。 「やめろ、暑苦しい」 「この位いいじゃんかー」 「良くない、夏にくっつくなよ」 冬ならいいの、なんて言葉が聞こえた気がするが、相手をするだけ無駄だ。 「お前の嫌いな夏の到来だな」 矢上は片眉を上げながら、透華の反応を確かめるように顔を覗き込む。 「……別に、嫌いじゃない」 暑いのは嫌いじゃない。寒いよりましだ。 「嘘つくなよ、夏になると体調崩すじゃん」 「気のせいだって」 透華は気まづさからか、そっぽを向きながら冷たく返した。 「気のせいじゃないよ」 先程よりワントーン低くした声は、すんなり耳に響いた。驚いて顔を見上げると、矢上はやけに真剣な表情をしていた。軽々しく名前を呼んで、パーソナルスペースなんて考えたこともなさそうなあいつが。 矢上はふと透華に手を伸ばす。透華はピクっと肩を揺らした。彼は透華が抵抗できるようにゆっくりとした速度で触れようとした。普段の透華なら近づいてくる手を跳ね除けるはずだが、今日はそうではないようだ。そのことに驚いているのは矢上だけじゃなかった。ただ近づいてくる手から目を逸らさず息を詰めている。ひたと、透華の額に手が当てられた。 「ッ、」 「微熱、あるんじゃない?」 身体が岩のように硬くなった。身動き一つ取れない。透華自身気づいていなかったことを、見破られた。透華の振る舞いは至って普段通りだった。所作に綻びなどなく完璧にいつも通りだったはずだ。しかし、見破られた。あの飄々とした矢上にだ。動揺が隠せなかった。矢上の発言が確信あるものにしろ、はったりにしろ、今動揺を隠せていない時点で認めたも同然なのだ。透華は詰めていた息をゆっくりと吐いた。 「このくらい、なんでもない」 努めて平生を装った。少し声が震えてしまっただろうか。いや、体が震えているのだろうか。どちらにせよ、目の前の彼には明らかなのであろう。彼が一度、開いた口を閉じて言いたい言葉を飲み込む仕草をした。それだけで、気を遣われているということが十二分にわかる。 「……無理になったら言えよ」 俺は彼のこういうところが気に入ったのだ。なんでもないわけないだろと、無理に追求しないところ。深く関わってこようとしないところ。それこそが俺が彼を突き放さない理由だった。彼の過干渉しない態度を目の当たりにする度に俺は自由を感じた。そして、自然と頬が緩む。心で感じた感謝は表情となって現れた。隠す気など無かったのだが、体調が悪い時はどうも表情筋も緩くなってしまうようだ。透華は頷く代わりに、ふわりと笑った。それは創り出したものでは無く、ごく自然なものだった。矢上はその笑顔に喜ぶでもなく苦虫を噛み潰したような表情をするのだ。そこに込めれた意味など、透華が気づくはずもなかった。 ◾︎◾︎◾︎ 夏は嫌いじゃない。冬よりましだ。だって寒くないから。 冬は嫌いだ。だって寒いから。 寒さは孤独をより強めるから。だから嫌いだった。 夏は良い。太陽が眩しいから。川の水面が光を反射して輝く。それは美しい。暖かい風に草木と共に揺られるのも悪くない。まるで自然と一体化したようで心地いい。 しかし、夏はよく体調を崩した。なぜかなんて理由はわかりきっている。それはちょうど1年前に起こった。 その日も普段通りだった。特に変わったことといえば、一段と日差しが強い日だったということだ。それ以外は普通の日だった。朝起きてカーテンを開けると眩しい日が部屋に入り込む。顔を洗って、いつも通り簡単に用意した朝食を食べて、いつも通りの時間に学校へ向かう。学校に近づくにつれ増えてくる人に気まづさを覚えながら教室に入り、席に座る。変わり映えしない授業を真面目に受けて、休み時間は矢上の相手をしてやる。 放課後になって、誰よりも早く学校を出る。家とは反対にある踏切の方から遠回りして帰る。猫に会うためだった。全ていつも通り。人が息を吸うように、蛇口を捻れば出てくる水道水みたいに、普通だった。 しかし、踏切に近づくにつれて不穏な空気が漂い始めた。おかしいと思ったよ。カンカンカン、と鳴りっぱなしの遮断機の音。『どうしたんだろう』最初はそれだけだった。遠くから聞こえてくる、しかもこちらに近づいてくる救急車のサイレン。気がつけば足が止まっていた。ハッとして早足で踏切まで向かう。心臓が止まっているような、脈が異常に速くなっているような感覚だった。 不意に1週間前の出来事が思い出された。 『私、もし生まれ変わるなら鳥になりたいの。綺麗な青空を間近で見て、大きな羽で自由に飛び回るの。そしたらこんな田舎なんか飛び出してやるんだから』 彼女は、晴れやかな笑顔で空を見上げた。 俺は自然と空を見上げたが、雲もない晴れやかな空が重苦しくて吐き気がした。まるで毒が体をめぐるような感覚だった。 そうしてカレンさんは遠いところへ旅立って、帰らぬ人となった。すぐに涙は出なかった。でもこの日のことを思うと、いいようのない不安と絶望の波が押寄せる。息ができないほど胸が痛くて、もう会うことはないのだと、あの眩しい笑顔を思い浮かべては瞼が熱くなった。こうやって人は簡単に消えてしまうんだ。 やっぱり眠れない。夏の夜はとくに気分が悪い。目を瞑るとどうしても思い出してしまう。そして孤独を強く感じる。だからと言って眠ってしまえば夢にまで出てくる。こんな日はいても立ってもいられなくて外へ飛び出す。なんだか叫び出したいような、消えてしまいたいような気持ちを抱えて闇雲に歩いた。田舎の道は街灯も少なく真っ暗だ。このまま誰にも見つからないままどこかへ行ってしまえたら、なんて考える。どこへ行っても帰りを待つ人もいないのだからどこへ行っても同じなのだが。地面を見ながら当てもなく歩くとタバコの吸い殻がいくつも落ちていた。なぜかふと虚しい気持ちに襲われて、田舎も都会も変わらないなと思った。どこに居るかじゃない。不適合者はどこに居ても社会に馴染めない。俺は社会から分断されているのだろうか。 「透華?」 突然声をかけられて、予想外に肩が飛び跳ねる。声には出さずに済んだが、心臓が止まりそうなほど驚いた。 「ぇ、陽真さん…どうしてここに」 「大学のレポートやってたんだけど、疲れちゃって。ちょっと息抜きに歩いてたんだよ。」 「そう、なんですね」 「透華は?どうしてここに?」 「あ、ちょっと……」 眠れなかったから、なんて理由は幼稚だろうか。陽真に子どもっぽいと思われるのはなんだか恥ずかしい。透華は意味もなく濁した。 「暇、だったので」 陽真は透華をじっと見つめて、困ったように笑う。透華は陽真がなんと返すだろうかと不安そうにちらちらと見ていた。陽真はそれにフッと笑ってこう言った。 「眠れなかったのかい?」 「え、いや……別に」 「そっか、暇ならうちにおいで。僕も暇だからさ」 ◾︎◾︎◾︎ 陽真の家に着いた2人はたくさんの会話をした。大抵は陽真が質問をして、透華が答えるというものだったが、そのうち透華もよく話すようになった。 「君が可愛がってたあの猫、大きくなって子猫を産んだんだ。」 「え、あの小さかった子猫のことですか?」 「ふは、子猫だっていつまでも小さくないよ。もうあんなに大きくなった。」 「すごい……みんな成長していくんですね。」 「成長と言うか……。知らぬ間に変化していくものだから。」 学校生活のことも、カレンさんのことも、どうでもいいと片付けられるくだらないことも、夢中で語らった。気づけば時刻は午前1時を回っていた。最初は家に帰ろうとしたけれど、陽真さんに「泊まっていってよ」と言われて泊まらせてもらうことにした。だって、泊まっていかないなら家まで送るって言われたんだ。1人は危ないからって。でも、送ってもらったら陽真さんが家に帰る時1人になるだろう。それなら危ないままじゃないか。陽真さんは「僕なら大丈夫」なんて言うけど、それなら俺も大丈夫なんだけど。それでも「送る」と譲らないから、結局泊まることにしたのだ。 俺は陽真さんの部屋で一緒に寝ることになった。寝室はカレンさんの部屋も両親の部屋もあるから自由に使っていいと言われたけど、それはどうにも申し訳なさと気まづさでいっぱいになるので断らせてもらった。 客用の布団はない、と言った陽真に床でも寝れると返す透華だったが、うまいこと言いくるめられて、同じベッドで寝ることになった。なるべく邪魔にならないように、できる限り端に寄って横になった。そして、ゆっくりとまぶたを閉じた。 「透華!待ってたよ!」 カレンは手を挙げながら大きく降った。 「カレンさん…」 「今日はちょっと遅かったね、猫ちゃんもうご飯食べちゃったよ」 「ほんとですか……」 透華はしゅんとした顔をする。そんな透華の顔を見て、カレンは吹き出すのを我慢するように笑った。 「そんな残念そうな顔しないで……何かあった?」 カレンはどう見ても笑いを堪えているように見えるが、小首を傾げながら透華をじっと見た。透華は違和感を感じた。何かはわからないが変だ。透華は過去にカレンとこんな会話をしたことがあっただろうか。 そうだ、カレンさんはもうこの世にいないのに、何故俺はカレンさんと話しているのか。これは夢だったのか。 「何かって………」 貴方が亡くなったんですよ。 夢でも言えなかった。言いたくなかった。胸が苦しくなる。息の吸い方も分からなくなる。遮断機が降りるカンカンという音が聞こえる。心臓が震えた。夢でさえも彼女を奪うつもりなのかと怖くなった。心臓を抑えていた手をカレンさんに向ける。焦る俺をおいてカレンさんは穏やかだった。 「透華。陽真を見つけてくれてありがとう。」 「えっ、」 「どうか陽真を守ってあけて」 「どういうっ……カレンさん!」 ◾︎◾︎◾︎ 「ぅ…うか!とうか、……透華!」 「っ!……ッは…はっ、は 」 名前を呼ばれる声に意識が浮上して、ばちっと目を開くと透華は何かに包まれていた。目の前は真っ暗で、体中暖かい。陽真に抱きしめられているのだ。しかし透華は冷や汗をかいていた。息が上手く吸えなくて、陽真が背を撫でる手に合わせて呼吸しようとした。 「透華、とうか……大丈夫だよ大丈夫。」 「は、陽真、さん」 息も落ち着いてきた頃、やっと状況を理解してかぁっと顔が赤くなるのがわかった。 「透華、落ち着いた?」 「あ、はい。すみません。」 陽真さんに迷惑をかけてしまった。変な寝言を言っていなかっただろうか。陽真さんは俺みたいに夢を見ることかないのだろうか。 「連絡先交換しようか」 「き、急ですね」 「…ごめん、つい焦っちゃって。透華がまたこうなったとき知らないと困るから。」 「……は、い。」 なんで陽真さんが焦るのとか、僕がまた今日みたいになったとき陽真さんが知らないと困ることあるの、とか聞きたいことはあったけど言えなかった。それを言ってるうちに連絡先を貰えないようなことがあったら、俺から欲しいですなんて言えないから。困らせるつもりはなかったとか言って、取り消されるのも嫌だったし。多分俺も焦っていた。返事がぎこちなくなってしまったのが、その証拠だろう。 結局眠れない俺に付き合って、陽真さんは話を続けてくれた。さっきの、……悪夢と呼んでいいのだろうか。カレンさんが出てくる夢のことを打ち明けた。陽真さんに打ち明けるべきかは悩んだけれど、夢でみたカレンさんの『陽真を守ってあげて』という言葉が心に引っ掛かっていた。だから陽真さんとはカレンさんの話をしたほうがいいのではないかと思ったのだった。
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