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久しぶりに来た山は緑が生い茂っていて、道も何もないくらいだった。もともと人は入らない山だから当たり前と言えば当たり前だ。
数時間登って頂上につくと、私はリュックを下ろして中からかき氷の器といちごシロップを出す。
透明の器の上で軽く手を振ると、手のひらから氷の粒がシャワーのように降り注ぐ。小高い山のように積もったかき氷に、いちご味の真っ赤なシロップを注ぐ。それを二つ作る。
思い出したのだ。あの人が昔言っていたことを。
あの人が生きていた頃、氷は人間にとっては贅沢品で、貴族の中でも特に高い位の人たちしか口にできなかったそうだ。平安時代の有名な書物にもそう書いてあるらしい。
だから一度食べてみたいな、とあの人は言っていた。でも、ついにあの人に食べてもらうことはできなかった。私なら簡単に出せたのに、どうしてそうしなかったんだろう。
今になってかき氷屋になったのは、こうしてあの人に食べてもらいたかったからかもしれない。
夏の陽射しにキラキラ輝くかき氷は、まるであの人と初めて出会った雪山みたいだった。初雪の、誰の足跡もない白銀の世界。
やがて空になった二つ分のグラスをまたリュックにしまうと、私は立ち上がって下山する。
また深い森を抜けてキッチンカーまで戻ってくると、私は山に振り向いてつぶやいた。
「現代ではマンゴー味やコーヒー味なんてのもあるんだよ。来年は何味が食べたい?」
その瞬間、まるで答えるようにキッチンカーの『氷』の旗が南風にひるがえった。
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