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一ヶ月後、私は大きな公園の片隅で新しい仕事をしていた。
「はい、どうぞ。いちご味と抹茶味です」
私は空色のキッチンカーの窓から小さな女の子とそのお母さんに、一つずつカップを渡す。カップには白い雪のようなふわふわのかき氷が溢れんばかりに入っていた。女の子の目がその氷のようにキラキラ輝く。
私が新しく始めた仕事はキッチンカーでのかき氷屋さんだ。
『自分の力をお金に変える方法をちゃんと考えてくださいね』
寝込んでいたときにそう田中さんに言われて思いついた。私は氷ならいくらでも出せる。それにキッチンカーならクーラーをかけた車内にいられる。私にぴったりな仕事といっていい。
しかも車は格安で入手することができた。閉業したドリームレインボーランドの園長に相談したら、園内でホットドッグ屋さんとして使っていたものを提供してくれたのだ。園長は頑として自分が提示した金額以上のお金を受け取ろうとせず、「花ちゃんにはたくさん働いてもらったからね」と笑うばかりだった。さらに一緒に働いていた仲間達を集めて、その車体をきれいな空色に塗り替えてくれた。
おかげで今は各地の公園や広場やイベントでたくさんかき氷を売っている。季節柄、どこへ行っても大盛況だ。
「このかき氷、ふわふわ!」
「冷たくて美味しい!」
子供から大人までどのお客さんにもそう褒めてもらえると、ますます頑張りたくなる。お化け屋敷でお客さんを驚かせていたときと似ているけど、今の方がもっとうれしい。
「儲かっているようですね」
夕方、店じまいをしようとしていると、影のようにぬっと田中さんが現れた。夕方になってもちっとも気温が下がらない猛暑日だと言うのに、いつもの黒いスーツ姿で見ているこっちが暑くなってくる。
「私にも一つもらえますか」
「味は何にしますか」
「ではいちご味を」
意外だ。抹茶かコーヒー味あたりを選ぶと思っていた。
田中さんは私から受け取ったかき氷を口をすぼめて食べる。タコみたいだ。
「いやー、こういう日は冷たいものが美味しいですね。これはあなたの故郷の雪の味ですか」
私は一瞬考えると、
「そうかもしれません。あまり考えたことがありませんでしたが、冬にこの辺りに降る雪と私が出す雪は質が違うので」
「そうですか、そうですか。大変結構なものを頂きました。お代はおいくらですか」
財布を出そうとした田中さんを私は慌てて押し留める。
「以前、シャーベットを頂きましたので結構です」
「それならありがたく頂戴致します」と田中さんは言って財布をスーツのポケットにしまったけど、次の瞬間鋭く私を見つめた。
「それで、今月の返済ですが」
「はい、どうぞ。そろそろ取りにこられると思ったので、用意しておきました」
私は素早くエプロンのポケットから茶封筒を取り出して、田中さんに差し出す。かき氷のカップを片手に持っていた田中さんは拍子抜けしたように、私から封筒を受け取ると、一旦カップを私に預けて中身を改めた。
「ちょっと多いようですが」
「かき氷屋の利益が多く出たので、その分上乗せしておきました。少しでも返済を早く終わらせたいので」
田中さんは「それは良い」とつぶやくと、封筒をスーツの内ポケットにしまう。
「ではまた来月参りますので」
田中さんは再び私から食べかけのかき氷を受け取ると、丁寧にお辞儀をして振り返る。
「あの、私、来月この町にいないと思いますよ」
すると立ち去ろうとしていた田中さんは私にもう一度振り向いた。
「どちらにいても必ずあなたの元に伺いますのでご心配なく。ちゃんとお金を用意しておいて下さいね」
田中さんはそう言うとまた前を向いて歩き出した。それはちょうど西陽の方向で、まぶしさに思わず私がまばたきをするとすっと田中さんの姿が見えなくなる。やっぱりあの人は人間じゃない。
その晩、私はキッチンカーを西へ西へと走らせた。行く先は京都北部。私の生まれ故郷の小さな山。私が借金をしてまで買った山だ。
翌朝、私はキッチンカーを山のだいぶ手前で停め、昔からある大きな森へ入った。懐かしい澄んだ空気を吸い込むと、何だか千年以上前の子供時代に返ったような気がする。
私は小さな名も無い山の生まれだ。冬は深い雪に覆われ、人は誰も来ない。生まれたときは人の世で言う平安時代で、その頃は妖の仲間がたくさんいた。この山で雪女の一族のみんなと暮らしていくんだろう、と思っていたけど、そうじゃなかった。
『鬼だーっ!』
一族の誰かがそう叫んで、集落に飛び込んできたのは私がまだ十歳の頃。
近くの別の集落が鬼に襲われたことは聞いていた。その鬼がうちの集落にまで来たのだ。
強い鬼だった。大人も子供もみんな食い殺されて、いつの間にか残っていたのは私だけだった。まるで巨人のような鬼が目の前に来たとき、私は全然動けなくてただその場で震えて座り込んでいた。
そのときだった。あの人が現れたのは。
後ろから滑るように駆けてきたのは、人間の若者だった。たぶん十五、六歳ぐらいだろう。抜き身の刀を持ったあの人は、私と鬼の間に割って入ると、まるで兎のような軽い身のこなしで鬼の腕を刀で斬り落とした。
その後のことはよく覚えていない。鬼が逃げたのは覚えているけど、私は気を失ったらしい。気付いたときには私はその若者の腕の中にいた。
今も覚えている。あの人の温もりを。私を心配してくれるその声を。その後もあの人はときどき一人になった私のもとを訪れてくれた。妹の面倒を見ているような気持ちだったのかもしれない。鬼は人里や都にも現れたそうだから、山の様子を確認するためでもあったのだろう。あの人が仕えていたのは、鬼退治で有名な武将だったから。
それにしたって、私みたいな妖と仲良くするなんて不思議な人だった。いつも笑顔で優しくて、そんなあの人に私は恋をしたけどそれも長くは続かなかった。
腕を切り落とされた鬼があの人を恨んで、山の中で食い殺したことを知ったのはその翌年。あの人はまた弱い妖怪を守ろうとして殺されたそうだ。
ついに一人ぼっちになった私は山を降りて、どこともわからず彷徨った。いられなかったから。家族も、仲間も、大好きだったあの人もいなくなった山には。
みんなは死んだ。それなのに私だけが千年以上も生き続けた。
この山が建築会社に開発されて無くなりそうだというのは、今から三年前、風の便りで知った。だから何とか家族やあの人の居場所を守りたくて、山を買った。田中さんに借金してまで。これは千年以上生き続けている私にしかできないことだから。
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