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「この山には、昔から天狗様が住んでおってな」
男がぽつりと口を開いた。
目と鼻の部分にだけ穴のあいた、真っ白な面を付けているので顔はわからないが、耳のいいキサにはわかる。隣に住む太助の父だと――。
と、すると……隣にいるもうひとかたは、向かい隣のタミの父の筈だとまで推察する。
いや、推察などではない。このあたりでは祝い事も忌み事も両隣が手を貸すのが常のこと、キサは初めからそうと見抜いていた。
「お前はこれから天狗様のところさ行って、修行してくるだけだ。何も怖いことはねぇ」
「天狗様のところさ行ったら、綺麗さっぱり生まれ変われるんだ」
「お山とひとつさなって、もうひもじい思いも、しんどい体ともおさらばできるからな」
「そうだ。お前は器量もいい。もしかしたら、天狗様が白無垢のおべべを着せてくれるかもしれんぞ」
「だからなにも心配いらねぇ」
「大丈夫だ」
「怖いことはねぇ」
男たちが代わる代わる口にする言の葉は、しだいに尻すぼみになっていき、やがては葉擦れの音にかき消された。
若葉を茂らせた枝に、たくさんの鳥が留まっている。ふうふう汗を垂らして、一歩一歩と死へ向かうキサを、鳥たちは歓迎するでも嗤うでもなく静かに見守るだけだ。
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