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横綱になるまでは、負けても悔しいだけだった。「明日は勝つ!」と思えば引きずることもなかったし、強い相手をどう攻略するか考えるのはゲームみたいで面白かった。
それが横綱になってから、勝つことばかり考えるようになった。「横綱らしく、横綱なんだから」と期待され、勝つのは当然で。おれはおれだから、と突っぱねたところで、気にならずにはいられない。
それに、土俵ぎわにはユウキがいる。毎回、誰よりも熱心に応援してくれるおれのファンが。
年の離れた弟だから、ふだんユウキには優しくしているつもりだ。でも、おれの相撲がこんなに好かれるとは思わなかった。近所のおばさんたちに「お花山はユウちゃんの推しなのね」と言われると、くすぐったい気持ちになる。ユウキに格好悪いところを見せたくない。負けたり、しょっぱい相撲を取って幻滅されるのが何より怖い。
そう思えば思うほど、おれはユウキを遠ざけたくなる。なんて嫌な兄貴なんだろう。
夏休み場所の千秋楽は、町じゅうの人が詰めかけ満員御礼となった。今日は日曜だから、父さんとお母さんも来ているはずだ……それにユウキも。
昨日は帰るなり師匠、もとい爺ちゃんから中抜けしたことを叱られて、おれは自分の部屋でふてくされていた。朝はさっさと稽古に出たので、ユウキの顔を見ていない。相撲場でも、いつもは客席から大きな声でおれを呼ぶのに、今日は一度も聞かなかった。
ひがぁーぃしぃー、かいぃーどぉー
にぃしぃー、おはなぁーやぁまー
この相撲一番にて、千秋楽にござりまするぅ……
行司役の木村さんが挨拶するのを、会場が拍手で出迎える。耳が聞こえなくなるほど騒がしい中、おれは土俵の向こうに立つ横綱を見た。海道は六年生、これが最後の夏休み場所だ。絶対勝ちたいと思っているに違いない。
でも、おれだって。絶対ぜったい、勝ちたいのだ。
一礼、拍手。四股を踏んで土俵に入る。仕切り線まで進み出て、互いに向き合いながらもう一度四股を踏む。海道との距離が縮まると、おれは内心驚いた。
こいつ、こんなにデカかったっけ……。
目の前の海道は、春休み場所で当たったときよりもずっと背が伸びているように思えた。四股を踏む足も、太くゴツゴツしている。まるで大人の足みたいだ。
「構えて、構えてぇ」
動揺を押し隠して腰を落とす。ギロリと睨みつけてやるが、海道は表情一つ変えなかった。前回、おれに負けて悔し泣きしていたやつとは別人みたいだ。勝てるだろうか? いやしっかりしろ、いつもどおりにやるんだ! でも、いつもどおりってなんだ、どうやるんだ……。
答えのない疑問が次から次へと湧いてくる。その渦潮の中へ、おれはやけくそで飛び込んだ。
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