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―――私こと吉木栞が、石坂さんと接点を持つとはこの時点では知らなかった。 「石坂さんっていつも一人だよね」 「そうだね」 友達のりさに言われて、栞は返した。 石坂さんこと石坂遥は休み時間はいつも一人で過ごしている。 「あの子友達いないのかな?」 「さあ……」 「だってあの子が誰かと喋ったり帰ったりしてるの見たことないよ」 りさの言っていることは最もだった。 今のクラスになって二ヶ月経ち、仲良しグループができているのに、遥は一人だからだ。 「でもさ、一人が好きなのかもよ」 栞は意見を述べる。 一人で過ごすのもその人の個性だと栞は思っている。 しかしりさは納得していない様子だ。 「絶対寂しいよ、私だったら耐えられない!」 りさは声を張り上げる。 栞は口許に人差し指を当てた。 「りさちゃん声大きいよ」 栞の指摘に、りさは口を閉じる。 「そんなに心配ならりさちゃんが話しかけたら?」 栞は言った。りさは顔色を曇らせる。 「遠慮するわ、石坂さんって独り言呟いていて怖いんだもの」 「言い出したのりさちゃんでしょ?」 栞は不満げに言った。 りさは言いたいことは言っておいて、嫌なことは逃げ出す。 りさは一緒にいて楽しいが、そういった短所にはいらっとする。 「栞ちゃん、代わりにお願い!」 りさは栞に手を当てる。 栞は「もう……」と言い、軽くため息をつく。 「考えておくわ」 栞に出せる精一杯の答えである。 正直遥に声をかけるのは気が引ける。 その後、遥に声をかけることなくことなく下校時間になり、栞はりさと一緒に帰った。 宿題のことや、今日やるテレビのことなど話題はつきなかった。 やがてりさの住む家が見えてきた。 「じゃあね、りさちゃん」 栞は家の前に足を止めたりさに向けて手を振った。 「また明日ね」 りさも手を振り返し、栞は歩き出した。 少し歩いた所でりさに声をかけられる。 「何?」 「明日は石坂さんに話してね!」 栞はうんざりした。 やりたくはないが、やらなかったら明日も同じことを言われるだろう。 「やってみる」 栞は簡潔に言った。 栞は帰る中一人で考えていた。遥にどう話かけようか……と。 「そうだ。工事中だった」 栞は立て看板を見て呟く。 今日の昼から道路工事が始まったため、栞は帰り道を迂回しなければならなかった。 あまり知らない道を進み、通らない公園に差し掛かった時だった。 一人の女子が座り込んでいるのが視界に入る。 それは栞が話しかけなければならない相手である石坂遥だった。 (何してるんだろう?) 栞は遥の様子を物陰に隠れて観察する。 遥は地面に何かを書いているようだった。 遥は授業が終わり、帰る時間になるとすぐに帰って(ただし掃除当番の際はちゃんと残るが)しまう。 栞は目はいい方だが、距離があるため書かれているものが分からない。 (もう少し近づいてみよう) 栞は足音を立てずに進む。緊張のためか喉がカラカラに渇く。 遥には悪いが、遥のことを知るチャンスでもあった。 「っ!?」 目視できる範囲まで来ると、栞は言葉を失う。 そこにはびっしりと図形が書かれていたからだ。 「なに……これ……」 栞は声を出してしまった。 声に気付き遥はこちらを向く。 遥は警戒した目付きで栞を見た。 「……今日のことは内緒だからね」 公園のベンチに腰かけるなり遥は口を開く。 遥は栞をベンチに誘導したのだ。 「あれ……何なの?」 遥の隣に座る栞は訊ねる。 「分からない? あれは魔法陣よ」 「魔法陣?」 聞き慣れない単語に栞は首を傾げる。 遥は呆れた顔をしていた。知っていて当然と言わんばかりに。 遥は丁寧に説明してくれた。魔法陣は文字や紋様で形成される図で悪魔を呼び出す、人を呪う、魔力を高めたりすることができるという。 栞は魔法とかそういった物は好きだ。小さい頃に魔法少女の話に夢中だったからだ。 しかし遥の話は栞が考える飴が出るとか楽しいものではなく、どこか不気味に感じるものだった。 「随分詳しいね」 「オカルトが趣味なの」 遥は口元をつり上げる。 警戒していたはずが、趣味のことで気分が良くなったようだ。 「いつも公園で魔法陣描いているの?」 「いつもって訳じゃないわ、人がいない時を見計らってやっているの」 確かにこの公園は栞と遥以外に人はいない。 「何のために?」 栞は肝心なことを訊ねる。 遥はベンチから立ち上がり、三歩進んで栞の方を向いた。 さっきと違い、表情が曇っている。 「あの男を殺すためよ、ママをいじめるあいつをね」 遥は怒りを滲ませていた。その証拠に遥の手は震えている。 「今描いている魔法陣には願いを叶える効果があるの、もうすぐ完成するわ そしたらあの男はいなくなって、ママは泣かなくなる!」 遥の目は真剣だった。 怒り、憎しみといった感情が遥から伝わってくる。 「失敗しても何度でも続けるわ、あの男が苦しみ死ぬまでずっとね!」 遥の言葉に、栞は背筋がぞくっとするのを感じた。 遥は本気だと。 「もう一度言うけど今日のことは秘密だからね」 遥は怒りの色のまま、栞に顔を近づける。 「もし言ったら……あなたを呪うから」 遥は囁いた。 栞は口を挟めなかった。いやそういう余地がない。 怖くなった栞は公園から逃げ出した。りさとの約束は果たしたがどうでも良くなった。 石坂遥とは仲良くなれない、と栞は思った。魔法陣で人を呪い殺そうとしているから。 もし今日のことをうっかり誰かに話したら自分が呪われるからだ。 りさに言ったら「呪いなんてあるわけないじゃん」とバカにされるかもしれないが、負の感情に満ちた遥の目を見て迫られたらりさも考えを変えるだろう。 栞は明日りさに会った時何と言おうかじっくり考えた。そうしないと遥の形相が浮かぶからだ。 栞が遥のことで思い悩んだのはこの日だけだった。 何故なら遥は失踪したからだ。その事を先生から聞かされた。 休み時間の間、りさは遥の失踪のことを口走る。 「行方不明か……何があったんだろうね?」 「さあ……」 「石坂さん地味だから誘拐ってことはないよね、狙うんだったら私みたいに可愛い子よね」 状況を考えるとりさの発言は聞き捨てならない。 「りさちゃん……そんな事言っちゃダメだよ」 「別に良いじゃないの、石坂さんいないんだし」 「それでもダメだよ」 栞は念を押して言った。 りさは眉をひそめる。 「何で石坂さんの肩を持つの?」 「そういう訳じゃないよ、石坂さんを悪く言うのは良くないよ」 栞はきっぱり言った。 昨日の遥を思い出すと寒気がするが、りさの話には同感できない。 「おい、聞いたか? 石坂のヤツ黒魔術やってたらしいぜ」 「マジかよ」 「あいつが妙な儀式をしているのを目撃したヤツがいてさ、ヘビの死体やトカゲのシッポを並べて呪文を唱えてたらしい」 「何だそりゃ、気味悪っ」 「昨日なんか魔法陣描いていたのをオレ見ちまったよ」 男子の会話にりさは「へえ……」と呟く。 「石坂さんって変わった趣味持ってたのね、魔法陣なんて今時流行らないわよ」 りさは呆れたように言った。 「そうね」 栞は平静を装った。男子同様に栞も遥の魔法陣を見ているからだ。 「もしかしたら誤った使い方をしたから自分も消えちゃったのかもしれないわね 本で読んだことがあるの、魔法は便利な反面使い方を間違えたら危ないって」 りさの言っていることは一理ある。なので栞は頷かずにはいられない。 「りさちゃんの言ってることはあり得るかも」 「本気にしちゃダメよ、魔法なんて現実にはないよ」 りさは言った。 休み時間終了のチャイムが鳴り響く。 「席つこうか、あーあ、次は社会か……」 「お互い頑張ろうよ」 憂鬱そうなりさを、栞は励ました。 席が一つ空いた教室で栞は授業を受けた。遥の行方を気にしながら…… 警察が捜索しているにも関わらず遥の消息は分からないままだった。 一人欠けた席の教室になってから丁度一週間、事態は思わぬ方向に動いた。 遥の父親が亡くなったというのだ。死因は病気らしいが、この父親は家庭内ではろくでもない人物で働かずに家にいてばかりいて妻に手を上げたりしていたという。 栞は教室で話を男子生徒から聞き、嫌な気持ちになる。 「石坂さん……可哀想」 栞は遥が気の毒に思えた。 "あの男"というのは父親のことで魔法陣で消し去りたいほど憎かったのだ。 悲しいことに父親だけでなく、遥自身もいなくなってしまったのだ。 「石坂さんが恨むのも当然だよ、そんな父親」 りさの体から怒りを感じる。 りさは両親の仲が良く、遥の父親の行いが許せないのだ。 「自分の父親が死んだことを石坂さん、どう思っているのかな」 栞は遥の机に目をやる。 父親が亡くなり、 目標を達成できて遥がどんな気持ちなのか気になった。 突如男子たちの声が上がり、栞とりさは声のする方に目をやる。 黒板の前で遥が虚ろな表情を浮かべたまま立っていた。 何の前触れもなく遥が現れ教室にいた人間は困惑と恐怖といった感情が入り交じり、中には逃げ出す者もいた。 「ど……どっから入ってきたのよ」 「分からない」 りさは栞の後ろに隠れ、栞は足が震える。 教室内が重い雰囲気に包まれる中、一人の女子が前に進み出る。 クラスで学級委員長を勤める堀井だ。 「石坂さん、今までどこに行ってたの? あなたのお父さんが死んだというのに」 堀井は強い口調で言った。 委員長をやっているため度胸があり、遥を怖がっていない。 栞は堀井が勇敢だと思った。 遥は質問に答えず「ふっふっ……」と笑いだした。 「何がおかしいのよ」 堀井が不快そうに言うと、遥は声を出して大笑いした。 大人しい印象しかない遥の変貌に教室にいた皆が戸惑った。 「あの男が死んだのは私が呪い殺したからよ、ようやく願いが叶ったわ! ずっと長い間やって実らなかったけど、これでママも安心して眠れる!」 遥は両手を上げて嬉しがった。 目から涙が薄っすらと出ている。 「……頭大丈夫かしら?」 「しっ!」 栞はりさに喋るのを止めるように注意する。 運が悪いことに栞は遥と目があってしまった。 遥は軽い足取りで栞の元に来た。 「吉木さん」 「な……なに」 栞はどうにか言葉を吐き出す。 普段とは違う遥に心理的な圧迫を感じざる得なかった。 「約束は覚えてる?」 遥の質問に栞は一回頷く。 「誰にも言ってないよ」 栞は迷いなく答えた。 両親やりさにも話していない。 「守ってくれて有り難う、あなたはおしゃべり男子と違うのね」 遥は満足そうだった。 "おしゃべり男子"とは遥の趣味のことを口走っていた二人のことだ。 「教室に来たのは、お別れを言いたかったの、もう学校には来られないから」 「どうして?」 「魔法の代償よ、人を呪った分術者にも跳ね返るの」 遥が言った直後だった。突如教室の窓が全て開き、強風が吹き付けた。 強い風に栞は思わず目を瞑る。 「さよならみんな、ここでの時間は悪くなかったわ」 遥は寂しさを含んだ声で別れを告げた。 風が止み、栞は目を開くとそこには遥の姿はなくなっていた。 「何だったのよ……」 「分からない」 りさの疑問に栞は答えられない。 今起きた現実が夢にしか思えなかったからだ。 散乱した教室を立て直し、先生が来ても栞は遥のことが頭から離れなかった。 先生にさっき起きたことをりさが言い、先生は困惑する。 「石坂のことが心配なのは分かるけど、ウソは良くないぞ」 「本当なんです!」 りさの意見を取り合わず、先生は授業を始めた。 先生がそう言うのも無理はないと栞は思った。どこからともなく遥が現れ風と共に消えたなんて信じてもらえなさそうだ。 りさと家路につく時、栞は遥との秘密のことを打ち明けた。 「石坂さんに口封じされてたんだ……」 「黙っていてごめんね、石坂さんが怖かったから言い出せなかったの」 りさは複雑な表情を浮かべる。 「あんな超常現象起こせるなんて……本当悪魔にとり憑かれたとしか思えないよ 栞ちゃんが黙っていたくなるのも、今なら理解できるよ」 りさの言い分は最もだ。 教室での出来事は今でも信じられない。 休み時間が終わっても皆はその話題で持ちきりだった。中には手品だと言い出す者もいた。 「本当にもう学校には来ないのかしら、明日には帰って来たりして 今までのことは皆に構ってもらいたくてやりました! とか言い出したりして」 りさは大袈裟に言った。 「そうだったら良いけど……」 「どうしたのよ、気になるじゃない」 栞の歯切れ悪い言い方に、りさが問いかけた。 「石坂さん、誰かに助けて欲しかったのかも……」 栞は思ったことを口にする。 「家で嫌なことが沢山あって、元になっている父親にいなくなって欲しくてオカルトに没頭した 気味の悪い儀式をしたり、魔法陣を描いていたのも、誰かに気づいて欲しくてやった。そうは考えられない?」 栞の話を聞いていたりさは真面目な顔だった。 「栞ちゃんの話は筋は通ってると思うよ、でも」 「でも?」 「何で人に言わなかったのかな、家庭が切迫してるなら尚更だよ、私だったら先生に相談するよ」 りさはハキハキと言った。 いつもの栞なら「そうね」で済ませるが、内容が内容のため言わざる得ない。 「皆が皆できる訳じゃないと思う、石坂さんは誰にも相談できないから間接的にやってたんだよ」 栞は一言一言を落ち着いて語る。 できるだけ、相手を刺激しないように。 しかし栞の思いとは裏腹にりさの顔色は不満で塗られていた。 「何それ……納得いかない」 「りさちゃんみたいに誰かに相談できる人ばかりじゃないと思う」 「私の言ってることが間違ってるっていうの?」 りさは自分の胸に手を当てる。 自分の意見を反対されたことが気に障ったのだ。 「そんな事言ってないよ」 「だったら石坂さんに聞いたの?」 「違うよ」 栞は両手を前に出した。 「石坂さんに聞けたら聞いてるよ……振り返ってみると石坂さんと仲良くしてあげてなかったなって、今になって後悔してるよ りさちゃんに言われなかったら多分私話しかけてなかったと思う 」 栞は遥とかかわり合いを持てば良かったと痛感した。 そうすれば遥の家庭のことに早く気づいて対処できたかもしれないからだ。 りさの顔から不満が消え、代わりに悲しみの顔に入れ替わる。 「栞ちゃんのせいじゃないよ、悪いのは石坂さんのお父さんじゃん」 りさは静かに言い放つ。 それだけは確かだった。遥の父親がまともな人だったら遥が失踪しないで済んだのに。 「お父さんはもういないから帰ってきていいのにね……」 栞はやりきれない思いで一杯になった。 その後、遥がいなくなってから一ヶ月が経っても、行方は分からないままだった。 遥は悪魔に連れていかれた、放課後に遥を教室で見たという噂が流れたが、やがて忘れ去られていった。 時間が経過し、終業式が終わり下校時刻となった。 「廊下で待ってるから」 「うん、ごめんね」 教室の外にいるりさが栞に言った。 栞は用事があった上に、自分の荷物を整理してなかったため帰りが遅くなってしまったのである。 ……今後は気を付けよう。 栞は自分に言い聞かせ、ランドセルを背負い手提げ袋を持った。 幾つもの机を通りすぎ、扉に向かっている時だった。 「さよなら」 栞の耳元にはっきりと声が聞こえ、栞は足を止めて後ろを振り向く。 当然の事ながら誰もいない。 「どうしたの?」 りさが呼び掛けてきた。 「今……石坂さんが……」 栞は最後まで言おうとしたが「ううん」と言葉を切る。 「教室を目に焼き付けておきたかったの、最後だし」 栞は早足でりさの隣に立つ。 「行こう!」 栞はりさと並んで一緒に廊下を歩いた。 ……さよなら、石坂さん。 栞は心の中で遥に挨拶した。 姿はないけど、どこかで見ていると信じて。 栞は忘れなかった。変わった同級生がいたということを。 その子は魔術で姿を消したということを。
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