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トーレの夏の夜 - Thore ; la nuit de l’été -
イオネがトーレへ旅立ってからひと月が経とうとしていた。
盆地にあるユルクスでは、湿気が多く昼間は肌をじりじりと日光が照りつける季節だ。
アルヴィーゼはこの間にユルクスの屋敷を整理し、今後のルメオでの事業の責任者となる配下の者に諸々の引き継ぎを済ませて、自らもルドヴァンへ戻る準備を始めていた。
「先にルドヴァンへ戻れ」
と、夏の太陽を背に受け、馬上のアルヴィーゼがドミニクに告げた。
(やっぱりな)
ドミニクは理由を訊かず、衛兵二名に同行するよう命じて、ユルクスの屋敷の前で主人と別れた。
(限界だったからなぁ)
と、ゆるゆると歩く馬の上でここ最近の主人の辛抱を思った。
不承不承デルフィーヌの「面会禁止令」を受け入れたものの、主人が大人しく言うことを聞くはずがないと、ドミニクにはわかっていた。
このひと月、アルヴィーゼはイオネから便りが届けば政務を後回しにして返事を書き、毎日のように届く侍女からの報告にくまなく目を通していた。
侍女の報告でトーレの冷涼な気候でも暑がりのイオネが薄着で過ごしていると知れば、「毎日着ろ」という手紙と共にイオネへ最高級の絹織物のガウンを贈り、クレテ家の居城にしばしばシルヴァンが遊びにやって来ることを知れば、ひどく気に入らない様子で報告を火に焼べた。
すぐにでも会いに行きたかったはずだ。人生で唯一欲しくて堪らない女性とようやく結婚できたのに、新婚早々引き離されてしまった主人の気持ちを思うと、同情を禁じ得ない。
「しかし、アルヴィーゼさまが愛に溺れる日が来るとはなぁ」
ドミニクは感慨深く呟いた。
アルヴィーゼの幼馴染み兼もっとも有能で忠実な家令としては、この世の誰よりも深く愛される女主人を歓迎するために、ルドヴァン城をいっそう美しく快適にしておかなければならない。
アルヴィーゼは衛兵が辟易するほどの強行軍で馬を駆り、街道を北上した。
(気が狂いそうだ)
ようやくイオネを名実共に妻として手に入れることができたのに、こんな邪魔が入ろうとは、想定外だった。
これまで欲しいものはそれほど労を要さず手に入れてきたし、誰かの指図など受ける必要もなかった。しかし、イオネに出逢って事情が変わった。
デルフィーヌの要求を呑んだのは、彼女を特別に尊重しているのではなく、イオネがクレテ家の娘として母親と過ごす日々を望んだからだ。
イオネはアルヴィーゼがデルフィーヌに遠慮していると思っているが、内実はイオネのために他ならない。
動機はすべてイオネにあるのだから、今デルフィーヌが申し立てた「面会禁止令」を黙殺してトーレに向かっていることは、アルヴィーゼにしてみれば理に適った行動なのである。
海から冷たい風が吹き込むトーレは、八月の盛夏にあっても朝晩は空気が冷たく、日中も日影に入るとやや肌寒いほどだ。
アルヴィーゼは黒い外套を纏ってトーレの街に潜伏し、同行してきた衛兵にしばしの暇を与え、ひとり夜を待った。
(夜盗にでもなった気分だな)
ルドヴァン公爵ほどの男が夜陰に紛れて妻に会いに行かねばならないとは、まったく無様な事この上ないが、イオネのためならそれも悪くはない。
琥珀宮殿と呼ばれるクレテ家の居城は、八百年前にこの地を初めて治めたクレテ家の先祖が建てた小さな居館から始まり、戦乱の頃にはトーレ守備の要塞となり、長い年月の間に幾度も増改築を繰り返して、今の優美な琥珀色の宮殿となった。クレテ家の繁栄と共に城もまた成長を遂げてきたのである。
繊細な飾り枠の施されたアーチ型の大きな窓が一階から最上階の四階まで等間隔に並び、ファサードの最上部には海の女神オスイアの彫像がトーレの街を見守るように佇んでいる。
陽が落ちると、アルヴィーゼはイオネにつけた護衛に門を開けさせ、堂々と庭園を横切って宮殿の壁に足を掛けた。イオネが起居している寝室の場所は、既に把握している。装飾の多い宮殿の壁は、二階まで上るのにそれほど苦労はしない。
アルヴィーゼが女神の目が届かない西側の壁面に回り込んで真上を見上げると、イオネが顔を覗かせていた。
暑がりのイオネらしく、この肌寒い夏の夜でも肩まで開いた薄絹の寝衣を気怠げに纏って、よく晴れた夜空を神妙な顔で睨んでいる。真下にいるアルヴィーゼには、気付いていない。
(美しい女だ)
初めて見たときから美しいと思っていたが、今はいっそう輝いている。
表情少なく唇を結んでいる時も、学問のことで頭の中を満たしている時も、ふとした瞬間に柔らかく目元を和らげる時も、アルヴィーゼをからだの中に迎え入れて快楽に懊悩する時も、この世の何よりも美しく、可憐で、官能的だ。
これを永遠に手のひらに留めておくためなら、どんなに無様な醜態を晒すことも厭わず、どれほど倫理に外れたこともできる。
ユルクス大学の色彩少ない講堂でイオネの光彩に触れた瞬間から、狂わされる予感はあった。
この狂気のとも言える欲望が、アルヴィーゼ・コルネールをして愛の奴隷たらしめている。
イオネは手に持った球体のアストロラーベを神妙な面持ちで動かし、何かの測定を終えると、物思いに耽るように窓枠に頬杖をつき、『アストラマリス』の一節を小さく口遊んだ。
暫くしてイオネがアストロラーべを片付けようとした時、アルヴィーゼは壁の装飾――恐らくは海の女神に仕えるニンフの彫刻の頭に足を掛け、窓枠に掴まって、ひらりとイオネの目の前に躍り出た。
イオネは驚きのあまり声を失い、手からつるりとアストロラーべを落とした。
床に衝突する前にアルヴィーゼが受け止めていなかったら、きっと後々まで貴重な品をあなたのせいで壊したと詰られていたに違いない。
「アストラマリスの女神は見つかったか」
アルヴィーゼが目をまんまるくして固まったイオネに問いながらアストロラーべをサイドテーブルに置こうとした瞬間、イオネが弾け飛ぶように抱きついてきた。スミレの花に似た、甘くやわらかな香りが空気に満ちる。
アルヴィーゼはアストロラーベを窓際に戻し、イオネの身体をきつく抱き締めた。
「あなたの寝室から見える星を探していたの。本人がユルクスにいないのなら、今夜の測定は無意味だったわね」
髪をくしゃくしゃにして顔を上げたイオネは、顔中で笑っていた。
「ユルクスからルドヴァンに向かう途中だ」
夜気で冷えた身体が、イオネの体温で熱くなる。
「目的地と真逆の方向にやって来るなんて、方向感覚が狂ってしまったの?」
イオネが苦笑しながらアルヴィーゼのフードを外した。
アルヴィーゼは胸がざわざわと騒ぐのに任せ、噛み付くような激しい口付けをし、イオネの身体を抱き上げて寝台へ運んだ。思春期の子供にでもなったように、胸が高鳴った。
「目的地はルドヴァンじゃない」
イオネのいる場所こそが、常にアルヴィーゼの目的地なのだ。
「お前は毎晩俺の寝室から見える星を測定していたのか」
「いいえ。晴れた日だけよ」
イオネが言い終わる前に、アルヴィーゼはイオネの唇を奪った。柔らかな舌が触れ合い、息遣いが次第に甘く、熱くなっていく。
外套の下にイオネが手を這わせて、シャツをズボンから引っ張り出し、裾から手を這わせて、腰に触れてくる。
アルヴィーゼの背をぞくぞくと熱が走って、脈動を激しくした。
「俺と同じ星を見るためか。叙情的だな、イオネ」
「い、言わなくても、わかるでしょ…」
イオネは頬に血色をのぼらせてふいと目を逸らした。
胸元まで桃色に染まった肌の上に燭台の火が淡い陰影をつくり、鎖骨の窪みで影を踊らせている。
この女が毎夜しかつめらしい顔つきで夫のことを想いながら星を観測している姿を想像するだけで、身体が熱くなる。
「…そんな格好を他の男に見せていないだろうな」
「ここには家族しかいないわ」
アルヴィーゼはイオネの鎖骨をなぞり、襟の中に手を滑り込ませて、細い肩に触れた。
「出入りするやつがいるだろう」
「もしかして、シルヴァンのこと?」
その名をイオネの口から聞くだけで忌々しい。本音を言えば権力を行使して接近禁止令を出したいくらいだ。が、イオネの自由意志を守るために耐えている。
「友人として、常識的な時間に訪ねてくるだけ。いつもエリオス伯父さまやラヴィニア伯母さまと一緒に食事をするのよ。時々母さまも」
いつも、と言うからには、それほど頻繁に現れるのだろう。
(目障りなやつめ)
だがイオネが他の男に靡くことはない。アルヴィーゼには、イオネを永遠に囚えておける確信がある。
例えば夜陰に紛れて窓から侵入してくるような妄挙をイオネが許す存在があるとすれば、それはこの世にアルヴィーゼ・コルネールただ一人なのだ。
(永遠に俺のものだ)
しかし、今はその真実を肌で感じたい。
「他の男の話はもういい」
「あなたから始めたんじゃない」
イオネが眉を寄せると、アルヴィーゼはフン、と尊大に笑った。
「それよりしたいことがある。お前も、違うか?」
アルヴィーゼは熱っぽい目で見上げてくるイオネのまぶたに口付けをし、襟を開いた寝衣を肩から滑り落として、やわらかな乳房に触れた。
イオネが甘い息を吐いて、アルヴィーゼの外套を剥ぎ取り、シャツの前を開いた。
「わたし、思っていたよりあなたが恋しかったみたい。来てくれて嬉しいわ」
「俺は毎日地獄だった」
アルヴィーゼは腰で結ばれた下着の紐を解いてイオネを裸にし、身体中の滑らかな肌を舌で味わった。イオネが甘い声で悶え、次第に感度を増して、熟れてゆく。
イオネの胸に鼻で触れると、身体の熱で芳醇さを増したイオネの肌の匂いが鼻腔に満ちた。
「あ。やだ…」
イオネは身をよじってアルヴィーゼを引き剥がそうとしたが、アルヴィーゼはイオネの手を掴み、寝台に押し付けて手首に吸い付いた。
抵抗をやめたイオネが、とろりと潤んだ目でアルヴィーゼを見上げている。
アルヴィーゼの背にぞくりと愉悦が走った。
(この顔だ)
この目に永遠に焼き付けておきたい。孤高のアリアーヌ教授がアルヴィーゼだけに見せる、熱情に蕩けた、ただのイオネの顔を。――
アルヴィーゼはイオネが恥ずかしがって身をよじるのも構わず、肌のありとあらゆる場所に口付けをし、最後に脚を開かせて、その中心に舌先で触れた。
「あ…!」
いつもより激しく反応している。浅い部分を舌で突き円を描くように触れていると、イオネの脚がふるふると震えて腰が揺れ出した。
アルヴィーゼは乳房の中心で硬く立ち上がった実に指で触れ、優しく撫でながらひどく濡れたイオネの秘所の奥へ舌を突き入れた。奥から泉のようにイオネの欲望が溢れ、内部が次第に狭まってくる。
「あっ――だ、だめ…!ちょっと、待って」
指を奥に挿し入れてよく感じる場所を突き、舌で陰核を転がすように触れると、イオネが全身を震わせて、呼吸をひどく乱した。
「んぁっ…待って…!なんだかへんなの」
聞くつもりなどない。アルヴィーゼはぎゅうぎゅうと締め付けてくるイオネの身体の奥を突き続け、熱く立ち上がった実を弄び続けた。これ以上ないほどに乱れて、目の前の男のこと以外は何も考えられなくなればいい。
「んんー…!」
イオネが噛み締めた唇の下で悲鳴をあげ、身体を痙攣させた。アルヴィーゼが丈夫に吸い付いたまま指を抜くと、イオネの甘い蜜が堰を切ったように溢れ、アルヴィーゼの顎まで汚し、寝台の敷布に落ちた。
「隠すな」
アルヴィーゼは恥ずかしさのあまり顔を覆ったイオネの手を掴んで避けると、淫らに舌で唇を拭い、両膝でイオネの身体を跨いで、涙がこぼれそうなほど頬を赤くしたイオネを征服するように見下ろし、シャツを脱いだ。
いとも簡単に昇り詰めて敷布を汚してしまったのが相当恥ずかしかったのか、イオネはもぞもぞと身体を転がして枕に顔を埋め、猫のように丸まってしまった。
「だめって言ったじゃない…」
「よくなかったのか?」
アルヴィーゼはイオネの羞恥を心の底から愉しんだ。白い背に吸い付いて痕を残し、腰を撫でて、鳩尾を通って乳房に触れた。イオネが小さく唸り、乱れた胡桃色の髪から熱っぽい目を覗かせている。
「よすぎて困るの」
「はっ」
アルヴィーゼは笑った。
なんと愛おしい女だろう。夜が明ける前にこの女を残してこそこそ離れていかねばならないとは、正しく地獄だ。これ以上の地獄はない。
アルヴィーゼは荒い呼吸に上下するイオネの背を見下ろしながら、前を寛げた。
「あ――!」
イオネが震えて悲鳴を上げたのは、アルヴィーゼが背後から腰を掴んで奥に押し入ってきたからだった。
切望していたようにイオネの内部がアルヴィーゼを締め付け、狂おしいほどの熱で包む。快楽が全身を走り回って、獣性を剥き出した。
アルヴィーゼは敷布にしがみ付くイオネの手を上から捕まえて指をからめ、強く握って拘束した。臀部に腰を打ち付けるたびにイオネの喉から甘い声があがり、水気を含んだ淫らな音が寝室に響く。
「いいのか、イオネ」
「んっ、うぅ」
イオネが顔を枕に押し付けて声にならない叫びを発し、絡んだアルヴィーゼの手を激しく握った。繋がった場所がひくひくと蠢いてアルヴィーゼを更に奥へ誘う。
「俺もいい…」
この世に本当に楽園が存在するとすれば、ここだ。この女が、この世のすべてを手にしている。
アルヴィーゼは汗の浮いたイオネの腰を支えて抱き上げ、激しく律動しながらひどく濡れた陰核を弄んだ。イオネが大きな悲鳴を上げる前に顎を引き寄せて唇を塞ぎ、ぞくぞくと迫り上がる快楽を堪えながら、イオネの肉体を悦楽で熟れさせる行為を続けた。楽園が収縮してイオネの身体を痙攣させても、アルヴィーゼはやめなかった。
「あ、だめ、もうだめ…!」
繋がった場所から溶け出した蜜が溢れ、イオネの腿を伝って、寝台に落ちる。イオネが溢れ出さないように内部を締めようとしたのか、繋がった場所が急速に狭まってアルヴィーゼに噛み付いた。
「…ッ、イオネ、そんなに吸い付くな」
「だ、だって…」
「はぁ…クソ」
アルヴィーゼはイオネの腿を汚しながら中から出て寝台に腰を下ろし、血色の昇ったイオネの身体を抱き上げると、座ったままイオネを抱き寄せて、もう一度その奥を貫いた。
「あ…!」
イオネが普段と違う場所へ感じる刺激に身をよじって腰を震わせた。アルヴィーゼはイオネの身体を両腕でしっかりと抱き締めて拘束し、肚の奥を突き上げた。魅惑的な乳房が目の前で揺れ、甘い吐息が肌を舐める。
イオネが肩にしがみついて爪痕を残し、アルヴィーゼを根元まで呑み込んでぶるぶると腰を震わせ、法悦に身を委ねた。甘美に蕩けきった貌が愛欲を映してアルヴィーゼを見つめ、唇を寄せてくる。
「もう。ばか」
「素直にいいと言え」
アルヴィーゼは笑ってイオネの唇に噛み付き、繋がったまま寝台に押し倒した。
「激しくすると、すぐ寝てしまうからだめ」
今夜はアルヴィーゼともっと長く過ごしたいという、イオネの意思表示だ。が、アルヴィーゼにとっては逆効果だった。
「無体なことを言うな」
「えっ。あ…!」
アルヴィーゼはイオネの奥で激しく律動し、イオネがこの夜で最も大きな忘我を得た瞬間、神聖な肚の奥を自分のもので満たした。
イオネはアルヴィーゼの胸に頭を擦り寄せながら、必死で眠気と闘っていた。とろとろと落ちてくる眠りに抗い、時折アルヴィーゼの指を摘まんでは肌を撫でて起こすように求めてくる。
「もう寝ろ」
「でも、もったいないわ」
イオネがほとんど眠ってしまったような声色で呟いた。
(かわいい)
このまま起きていたら、惜しくなる。きっとイオネを攫っていってしまうだろう。
娘を攫っていかれては困るという理由で面会禁止を言いつけたデルフィーヌの予想は、正しかった。
「そんなに俺が好きか」
ふふ、とイオネが笑った。
「次はわたしがあなたに会いに行くから、待っていて…」
イオネはそう言ったきり、寝息を立て始めた。
「もうじゅうぶん過ぎるほど待っている」
絞り出すようなアルヴィーゼの声は、多分イオネには届かなかっただろう。
アルヴィーゼは夜が明ける前に、眠りの中にいるイオネの身体中に口付けをして、身繕いを済ませ、再び窓から姿を消した。
さんざんに汚したイオネの身体と寝台は、有能な侍女が何事が起きたのかを察して対応するはずだ。
全身に残ったイオネの匂いが、ルドヴァンへの旅をいっそう孤独にした。
(…まあ、いい)
イオネを待ち詫びて身を焦がすのは、これが最後だ。
再び手の中に戻ってきたら、もう二度と離すことはないのだから。
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