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ローブ・ア・ラ・デュシェスの秘密 - un secret de la Robe à la Duchesse -
秋の深まるルドヴァンでは、ここのところ新しいスタイルのドレスが貴婦人の間で流行の兆しを見せている。
古くからの陸上貿易の要衝であることに加えて最近は海上貿易の版図も広げたこのルドヴァン地方は、王都より遙か西方に位置しながら、常に流行の最先端である。ルドヴァンで流行したものは、必ず近いうちに遠く離れた王都アストレンヌでも大流行を博し、大きな経済効果を生み出す傾向にある。
この秋に流行したドレスも、例に漏れない。
これまでは襟が広く開いたものが主流で、スクエアやダイヤなどの形状や襟に施された細微な装飾によって独創性を持たせ、ふんわりと嫋やかな女性らしさを演出するような所謂ローブ・デコルテが多かったが、新しい流行は違う。
立て襟や折り返し襟で首元を覆い、袖は腕に沿うようにかっちりと張りのある生地で包み、スカートは、その特別な縫製によって控えめな膨らみを持たせ、流れるように襞を作って足元へ落ちるローブ・モンタントだ。これまで主流だったローブ・デコルテと比べると、どことなく厳格な雰囲気だが、お洒落好きのルドヴァン女性はそれだけでは満足しない。目の肥えた彼女たちが独創性や自分自身の美しさをより演出するために最も力を注ぐのは、立て襟の装飾だ。
この部分を微細なレースにしたり、細かい刺繍の巧緻なものにしたり、アクセントとして宝石を散りばめたりと、襟から胸にかけての装飾に、それぞれが工夫を凝らしているのだ。
この流行のドレスの発信源となったのは、ルドヴァン公爵夫人イオネ・アリアーヌ・コルネールである。
流行どころか普段使いの装飾品にもそれほど興味を示さないイオネが、彼女自身も知らないうちにルドヴァンにおけるファッションリーダーとなったことには、彼女の全く意図しない理由がある。
イオネはユルクス大学の教授職を辞してルドヴァン公爵夫人となった今も、研究に勤しんでいる。
アルヴィーゼとの第一子オクタヴィアンを妊娠していた間に書き上げたアリアーヌ・コルネール名義の著書『新・マルス語入門』はこの夏からユルクス大学の初級マルス語教本として採用されたし、子供が産まれて半年余りが経った今は、新たな計画に向けて毎日書物と向き合ったり、方々へ出向いて人と会ったりと、何かと忙しくしている。
新たな計画――それは、マルス大陸における国々の方言と、標準マルス語の発音並びに用法の比較資料を作り、どの国の出身者でも一様に使えるマルス語の教本を作ろうという試みだ。
イオネには、現在建築中のルドヴァン大学を、エマンシュナ国内における医療研究の中心にするという野望がある。無論、夫のアルヴィーゼの賛同と支援も得ている。
公爵夫妻は、とにかく忙しい。
それでも夫婦揃って生まれて半年の息子と共に毎日三回の食事を欠かさずに摂るし、ここのところようやく一日五回程度に落ち着いた授乳も、乳母に任せきりにせず、ほとんどイオネが行っている。夜も夫婦二人で我が子を寝かしつける献身ぶりだ。
この時間を確保するために、毎日、昼のうちに膨大な量の仕事を恐るべき集中力でこなしている。
侍女のソニアと執事ドミニクの心配事は、この多忙さで公爵夫妻が二人きりで過ごす時間が減っていることだった。
イオネにとっては、それほど問題ではない。問題はアルヴィーゼだ。
イオネと出会ってからのアルヴィーゼは、彼女に触れていない日があるとひどく不機嫌になる。集中力を欠いたり失敗したりすることは一切ないが、その分、愛してやまない妻との二人きりの時間を阻むものをひどく憎むのである。それは、自分の仕事だろうが、イオネの仕事だろうが、同じだ。
しかし、アルヴィーゼの頭にはやるべきことに対して手を抜くという選択肢はない。イオネも大概だが、この男も執念深いほどの完璧主義者だ。
だから、アルヴィーゼがイオネと二人で過ごす時間の密度をより高めようとする傾向にあるのは、自然の摂理なのである。二人の時間を奪うものに対する憎しみへの反動とも言える。
ある夜。
赤子にしては寝つきの良いオクタヴィアンを既に寝かしつけ、イオネは書斎で論文の修正作業をしていた。
長く波打つ髪は後ろで一つに結い、襟が丸く肩まで開いた絹の寝衣に、綿織物のガウンを羽織っている。ルドヴァンの秋には薄すぎる格好だが、暑がりのイオネにはこれくらいでちょうどいい。
一区切りついたところでペンを置き、傍らに置いた陶器のカップに手を伸ばした。カップは、既に空になっている。ソニアが気を利かせて淹れてくれたローズマリーとレモングラスの茶だ。
もうソニアは下がらせたから、階下で誰かにおかわりを頼もうかと思っていると、ヌッと目の前に茶で満たされたカップが差し出された。驚いたイオネが顔を上げると、書斎の机の向かいにアルヴィーゼがいた。
入浴を終えたばかりらしく、黒い髪がまだ濡れている。ベストと張りのある上衣を揃えた昼間の姿も目の覚めるような男振りだが、ゆったりした綿織物のシャツとズボンだけを身に付けて寛いでいる姿も、憎らしくなるほどに様になる。
が、いちいちイオネはそんなことを口に出したりはしない。
「驚いた。いつからいたの?」
「二十分前だ」
「声をかけてくれたらいいのに」
「かけても気付かないだろ」
アルヴィーゼが揶揄うように唇の左端を吊り上げた。
「確かに、そうね。お茶をありがとう」
イオネは大真面目に頷いて微笑むと、カップに口を付け、茶を一口飲んで、席を立った。書斎の隅から持ってきたのは、綿布だ。アルヴィーゼの座る椅子の後ろへ回り込んで、濡れたままの黒髪をワシワシと拭い始めた。
「風邪を引くわ」
「髪が濡れているくらいで風邪を引くほど軟弱じゃない」
「わたしが気になるのよ。お茶のお礼と思って、大人しく受け入れて」
アルヴィーゼは苦笑した。
「論文はもういいのか」
「だいたい終わったわ。あとは、明日の学会で発表するのにわかりにくい表現がないか確認するだけよ」
「…明日の学会?」
イオネに大人しく髪を拭われているアルヴィーゼが、低い声で言った。
「そうよ。学会。言ってなかった?」
「今聞いた」
「じゃあ、今言ったわ。ユルクス大学とアストレンヌ大学からも古マルス語学の権威が見えるから、とても良い集まりになりそうなの。現役の学生たちにもルドヴァン大学を宣伝する好機よ。開校したら、彼らの後輩が入ってくるかもしれないでしょう」
イオネは声を弾ませた。公爵夫人となった今も、教育者としての志と仕事への愛情は薄れることはない。
「そうだな」
そう言うと、アルヴィーゼは立ち上がり、目を丸くしたイオネを肩に担ぎ上げて、書斎を飛び出した。
「ちょっと!突然何なの!」
イオネは怒って足をジタバタさせたが、アルヴィーゼは全く意に介さない。
「茶の礼ならお前がいい」
「代償が大きすぎるわ!」
廊下には、誰もいない。
二人が忙殺されている時期は特に、夜に夫妻の寝室がある階には誰も立ち入らないという暗黙の了解があるから、当然と言えば当然だ。
アルヴィーゼはイオネを担いだまま脚で勢いよく夫婦の寝室の扉を開けると、とろとろと仄かなランプの灯りだけが灯された寝室の中を迷いなく進み、寝台にイオネを下ろした。
「アルヴィーゼ、なに…っ、――ん!」
イオネが抗議しようとした瞬間に、アルヴィーゼの唇が襲ってきた。内部を余すところなく味わうような丹念さで舌を遊ばせ、喰らい尽くすように激しく唇を貪られた。
「代償などと言えないようにしてやる」
形のよいアルヴィーゼの唇がイオネの官能を呼び覚ます湿度を持って耳朶を舐め、背筋をゾクリとさせた。アルヴィーゼが耳に噛みつきながら、スルスルとガウンの帯を解いている。
「い、今はだめ。論文が…」
「手直しなど必要ない。あれでわかりにくいという輩がいるならそんなやつは学会に出るべきじゃない」
適当に言っているのではない。アルヴィーゼは実際にイオネが書いている内容まで読んでいたのだ。
それだけではない。白く細い指が胡桃材のペン軸を挟み、ガラス細工のペン先に茶色がかった黒のインクを好みの分量になるよう丹念に吸い上げて、いかにも生真面目そうな文字の流線を料紙に引いていく様子を、その指に自分の肌に触れさせ、唇に運ぶ様を妄想しながら、舐めるように眺めていた。
あの、文字を追って脳の宮殿に入り込んだスミレ色の瞳が自分しか見られなくなるその瞬間はどんなに興奮するだろうと、暗い愉悦に浸りながら。
そして当のイオネは、ただ論文を書いているだけの姿がアルヴィーゼに悦楽をもたらしていることなど、思い至りもしない。
「で、でも――何してるの?」
解いた帯で目を覆われ、アルヴィーゼの悪巧みするような目が見えなくなった直後、頭の後ろでそれが結ばれた。
「…?」
ふとアルヴィーゼの体温が消えたので、イオネは辺りを見回した。目隠しを取ろうとしたが、どこにいたのか、アルヴィーゼに手首をそっと掴まれた。
「動くな」
アルヴィーゼの官能的な声が命じた。
(どうにかしているわ)
アルヴィーゼが、ではない。そもそもアルヴィーゼがどうかしているのは、もうとっくの昔に承知している。どうかしてしまったのは、自分だ。
こんな屈辱的な遊びに付き合う気になるなんて、本当にどうにかしている。
きし、と寝台が小さな音を立てて、小さく沈んだ。糸杉の樹皮を剥いだようなアルヴィーゼの匂いが濃くなり、その身体が自分の上にあるのがわかる。
頭上で手首を押さえられているだけで、アルヴィーゼが動く気配はない。
――視られている。
と分かると、イオネの身体の中を今までに感じたことのない類の興奮が駆けていった。
こういう時のアルヴィーゼがどんな目で自分を見ているか、イオネは知っている。
全身を灼かれてしまうほどの激しい熱と純粋な欲望が入り交じって、イオネの身体をひどく昂ぶらせるのだ。真っ暗な目隠しの向こうで、アルヴィーゼが狂おしいほどの熱情を発しているのが、意識の中に見える。
腹の奥がじくりと熱を持って疼き、呼吸が速くなり始めたとき、アルヴィーゼの指がイオネの寝衣の紐を引いて前を開いた。
まだオクタヴィアンが夜に乳を欲しがることがあるから、一度紐を引けば乳房が露わになる仕立てだ。それが、アルヴィーゼがイオネの身体を愛でるのにも役立っている。
「…っ!」
イオネは身体を強張らせた。触れるか触れないかの位置で、アルヴィーゼの指が乳房に悪戯を始めている。
子供を産んで以前よりも大きく膨らんだ乳房をなぞるように指が円を描き、つう、と鳩尾へ下って、寝衣を足元へ引き下ろした。
肌が震えたのは、冷たい夜気に触れたからではない。アルヴィーゼの視線をその全身で感じるからだ。
「はっ…」
両方の乳房を同時に大きな手で覆われ、イオネは息を呑んだ。アルヴィーゼが吐息で笑ったのを肌が感じて、かあっと身体が熱くなった。
「う…、もう、外させて」
「まだだ、イオネ」
興奮に声が掠れている。
鳩尾がぐつぐつと痛い。何度身体を重ねても、この行為に身体が倦むということがない。それどころか、ますます肉体的な反応が過敏になり、夜の淫らな獣と化した夫の熱に呼応して、自分も獣に変貌していくような気さえする。
「きれいな色をしてる」
アルヴィーゼの笑みが肌に優しく触れ、乳房の先端を啄むようにアルヴィーゼの唇が触れた。
「あっ…」
「こら」
アルヴィーゼがイオネの腰を掴んで咎めた。面白がるような声色だ。
「逃げるな」
「だって…!」
抗議する余裕もなく、乳房を舌で突かれ、吸われた。もう片方は円を描くように指でゆっくりと撫でられ、身体の内側を甘い痺れが走り回っている。
「あっ!ちょっと待って、だめ…」
イオネはふるふると首を振った。異変がある。刺激を受けた乳房が、赤子に乳を与えるときと同じ反応を示したのだ。乳房が硬く張って生温かい母乳が胸を伝い、アルヴィーゼの舌がそれを舐めとっている。
「やだ。やめて」
こうされるのは初めてではない。が、そのたびにものすごい羞恥と背徳感に襲われるのだ。そしてアルヴィーゼは、イオネのこの願いを聞いた試しがない。
「味は悪くないから安心しろ。お前の身体から出るものも全部俺のものだ」
「こっ…この、変態!」
いつもこの調子だ。
羞恥に打ち震えるイオネを愉しむように、アルヴィーゼは身体中に口付けをし、舌を這わせ、胸を手に包んで弄びながら、臍に舌を捻じ込んだ。
「んぁっ…やぁ」
甘えるような声が上がるのを、自分ではどうしようもなかった。触れられる悦びが、イオネの体温となってアルヴィーゼの身体に伝わっていく。
「いやなら、しかたないな」
アルヴィーゼの意地悪い声が耳をくすぐった。
足首を掴まれて持ち上げられた直後、イオネは激しく身をよじった。足の指の間を、舌が這っている。
「やだ、そんなところ舐めないで」
「お前の身体で俺が舐めてはいけない部分はない」
「あなた、おかしいんじゃないの?」
呆れた。悪びれもなく堂々と身勝手極まりない妄言を吐くとは、この男の精神構造は一体どうなっているのか。
しかし、イオネはそれを享受した先の快楽と充足を、すでに知ってしまっている。
イオネの柔らかい脛にアルヴィーゼの手が触れ、自儘にそれを開き、温かい舌がイオネの肌を湿らせて、這い上がってくる。
既に腹の奥から欲望が溶け出し、脚の間を潤し始めている。
イオネが内側をひくりとさせて脚を閉じようとしたのを、アルヴィーゼは許さなかった。
アルヴィーゼの柔らかい唇が膝に触れ、更に脚を高く持ち上げられて、膝の裏に舌が這い、静かに溢れたアルヴィーゼの笑みが肌を撫でた。それだけの微かな刺激が、視覚を奪われたイオネの五官をひどく過敏にし、内側から溢れ出る熱情と淫らな欲求に火を点けた。腹の奥が苦しいほどに疼く。
イオネが羽で触れられるようなもどかしさに小さく呻いたとき、脚の間でアルヴィーゼが動いた。
「あぁっ――!」
腿を掴まれ、秘所に吸い付かれた瞬間、頭の中で火花が弾けてイオネを襲った。
「は。おかしいのは誰だ。触れてもいないうちからここをこんなに溢れさせて――」
「う、んッ…や」
アルヴィーゼがイオネの中心を舌で弄びながら、中へ指を突き立て、内壁を探るように奥を突いては浅いところをくすぐった。それが強烈な刺激となってイオネの身体を震わせ、震える身体の奥から蜜が滴った。
屈辱も、羞恥も、快楽の中に溶けそうだ。内部を散々に侵され、蕾を痺れさせられて、イオネがその果てに意識を奪われるまで時間はかからなかった。
それでも、アルヴィーゼはやめなかった。昇り詰めて感度を増したイオネの腰を強く掴んで逃げられないように拘束し、今まで指で触れていた身体の内側へ、舌を挿し入れた。
「あっ――!?待って、アルヴィーゼ、何して…あぁっ…!」
本当に食べられているのではないかと思うほどの強烈な感覚だった。内部の壁を舌がなぞり、その上で硬くなった実を摘まれると、頭の中で無数の閃光が弾けた。もはや自我を奪われた身体はされるがままに反応し、次の絶頂はいとも簡単に訪れた。
熱病に冒されたように力が入らないのに、淫靡な欲望がおさまらない。肌の触れ合う位置にアルヴィーゼの存在を感じることさえ、性的な刺激になった。
自分の熱くなった息遣いの向こうで、衣擦れの音が聞こえる。
音が、新たな興奮をもたらした。目隠しの向こうで、寝衣を頭から抜き去ってよく鍛えられた胸板を晒し、硬い腹の隆起の下の裸体を露わにするアルヴィーゼの姿が、脳裏に浮かぶ。
熱く、美しく、自分だけが自由にできる夫の肉体が、確かな熱を伴って重なってくる。イオネはその肉体に触れ、胸から肩へと手のひらを滑らせて、首の後ろに腕を巻き付け、柔らかい髪に細い指を挿し入れた。
「イオネ…」
アルヴィーゼの低い声が耳朶を震わせ、唇が頬に触れ、唇に重なってくる。臀部を掴まれ、蕩けた身体の中心にひどく熱くなったアルヴィーゼが入ってくると、イオネはその唇の下で甘やかな溜め息を漏らした。
「はぁっ、んぅ、アルヴィーゼ――」
「…っ、何だ」
「気持ちいい…」
血色の昇った官能的な唇からイオネのこの上なく甘美な声がこぼれた。
「ひゃ、あっ!」
イオネが悲鳴を上げたのも無理はなかった。アルヴィーゼが性急に体勢を変えてイオネの両脚を担いで高く上げ、自分の一部を根元まで容赦なく押し込んだのだ。
激しい律動に、イオネは堪らず悲鳴を上げた。声を抑えることもままならない。
打ち付けられる腹の奥から衝撃が波のように全身に広がり、波が快楽となって思考を侵し、アルヴィーゼを身体の奥深くまで欲しがって、肉体の柔らかいところが男を誘惑した。
乳房を手のひらで覆われ、先端に吸い付かれると、大きな火花があちこちで散った。
アルヴィーゼの呼吸も、次第に余裕をなくしている。触れ合う肌が汗ばんで、脈動し、肌がぶつかり合う甘美な衝撃が、二人の意識を繋いだ。
「…っ、もう、外して…。あなたの顔が見たいの」
再び真っ白な意識に呑まれそうになりながら、イオネは懇願した。
激しい行為の割に優しいアルヴィーゼの手が頬を包み、目を隠す帯の下を這うようにしてイオネの髪を撫でた。
目の前から暗闇が消えた直後に視線の先にあったのは、アルヴィーゼの熱に溶けた緑色の目だ。ぼんやりとした燭台の灯りを受けて、緑色の炎のようにこちらを照らしている。
この目で、快楽に震える姿を見られていたのだと思うと、今までよりももっと恥ずかしくなった。繋がった部分が、じくじくと燃えるようだ。
イオネは頬に触れるアルヴィーゼの長い指に自分の手を重ね、しどけなくその手のひらに頬を擦り寄せて、指先に口付けをした。
官能的な指が唇を撫で、歯に触れて、口の中へ侵入してくる。
「煽るな」
眉間に皺を寄せて呻く男の顔が、イオネに性的な衝動を起こさせた。
夫の頬を両手で包んで自ら唇を重ね、脚をアルヴィーゼの腰に絡めて、更に奥へと誘った。
アルヴィーゼの呼吸と律動が激しくなり、互いの肌の上をどちらのものかもわからなくなった汗が伝う。
「気づいているか、イオネ」
イオネは喘ぎながらアルヴィーゼの目を見て、小さく首を傾げた。
「お前、子を産んでから深いところで感じやすくなった」
言いながら、イオネの最奥部をぐりぐりと押しつけた。
「あぁっ…!そ、そういうこと言うの、やめて」
アルヴィーゼが犬歯を見せて笑った。底意地の悪い、悪童のような笑みだ。それなのに、神の造形物のように美しいこの男が笑うと、心が痛いほどに締め付けられて、どうしようもなく愛おしくなってしまう。
まったく、ままならない。
アルヴィーゼの肉体が隙間もないほどに強く全身を包み、息もできないほどの口付けを何度も繰り返して、激しい衝撃をイオネの身体に刻みつけてゆく。
「…ッ、イオネ、もう、出すぞ」
「んっ、あ。いいわ。奥で、出して…」
「――ッ」
イオネが快楽に蕩け切った身体を震わせて何度目とも知れない法悦の果てに意識を委ねた時、アルヴィーゼも獣のように唸ってイオネの中を満たした。
が、これで終わりではなかった。
アルヴィーゼはイオネの脚の間を濡らしながら抜け出ると、呼吸も整わないイオネの熱くなった身体を俯せに返し、後ろから乳房をそっと掴んで立ち上がった実に触れ、再び滲み出した母乳で指を濡らしながら、悶えるイオネの白い背に吸い付いた。
「も、もうだめ…」
「だめじゃないだろ」
「だめよ。休ませて」
背後から実を摘まれ、イオネは小さく唸った。
「俺はまだおさまらない」
「あっ――!」
アルヴィーゼは昏い悦びに昂ぶり、丸い臀部に口付けをして、谷から泉へと舌を這わせてイオネの甘い悲鳴で耳を潤した後、腰を掴んでその中を貫いた。
熱く溶けた内部が激しく収縮して、アルヴィーゼに恍惚をもたらす。
「あぁっ、あ…!明日、学会があるのよ」
「ふ」
だからだ。とは、言わなかった。
アルヴィーゼは息も絶え絶えに訴えるイオネの身体を容赦なく攻め、イオネが上げる甘い声で嗜虐心を満たした。
学会も、論文も、研究もその頭から追い出して、自分だけでイオネを満たしたい。これは、そのための行為だ。
朝になれば言語学者アリアーヌ・コルネール教授の顔に戻るイオネが、アルヴィーゼの知らない学者や学生とくそ真面目な問答をこの魅惑的な唇でしている間、ふと身体の奥に残る感覚で夫が入っていた感触を思い出すであろうことを想像するだけで、悦楽が全身を奔る。
だからこそ、簡単に終わりにはできない。
せいぜい厳格な教育者の顔の下で淫らな自分の痴態を思い出し、背徳的な気分に罪悪感を感じるといい。
そういうイオネを知っているのは、この世でただ一人だけだ。
アルヴィーゼは、イオネの背から細い首に何度も強く吸い付き、その痕跡を残した。
激しく律動を繰り返すたびに、アルヴィーゼしか知らないイオネの深奥がアルヴィーゼを求め、更なる熱情を求めて蠢動し、一体となろうとするように締め付けてくる。
一度身体を解放してやったときには、もうイオネのスミレ色の目には自分しか映っていない。
アルヴィーゼは満ち足りた思いでイオネを腕の中に包み、もう一度、今度は向かい合ったままその奥へ突き入った。
大きく脚を開いて入り口の突起をなぞると、イオネはすぐに昇り詰めた。
「ふ」
アルヴィーゼの口から笑みが漏れた。
イオネが恨めしそうに、真っ赤な顔を向けてくる。
(そんな顔をしても無駄だ)
スミレ色の目は愛欲に蕩け切って、自分の意思ではどうにもならないほどに甘やかされた美しい肢体は力を失い、アルヴィーゼの目にはもっと鳴かせてくれと懇願しているようにさえ見える。
それでも、まだ足りない。
どれほど身体を犯して快楽を覚えさせ、愛を手に入れてもなお、イオネへの欲求が鎮まることはない。この女はいくら愛する夫のことであっても色恋などにひねもす思考を費やしたりはしないし、こと研究に集中しているときなどはアルヴィーゼのことなど一切眼中にない。
だから、その肌に匂いが染みつくほど深くまで入り込み、本人が嫌がろうが構わず身体中に痕を残すのだ。そして、顔を合わせていない間に、ふと匂いを思い出し、身体を思い出し、その存在で頭がいっぱいになってしまうようにしてやりたい。
「…愛してる。イオネ」
と、アルヴィーゼが何度目とも知れずイオネの中に欲望を解放しながら愛らしい耳に口付けをして囁いた言葉は、既にまどろみ始めたイオネには届いていなかった。
そうして迎える朝、イオネの肌はソニアが目を覆いたくなるほどの有様なのだ。
胸元や背中や腕だけではなく、首の上の方にまで花びらを散らされたように無数の痕が残され、襟が大きく開いたドレスでなかったとしても、公爵の狼藉の痕跡を隠すことはできない。
ただでさえ白いイオネの肌にくっきりと赤い痕を付けられてしまっては、化粧でも隠しきれない。
(まったく…)
ソニアはにこにことイオネの下着の紐を編み上げながら、内心で溜め息をついた。
彼女は知っている。
これは、公爵からの圧力だ。
暑がりなイオネは肌寒い今頃の季節でも、襟が広く開いたドレスを選びたがる。首の周りに何かがまとわりつく感触をひどく嫌うからだ。
そういう理由で、アルヴィーゼが首まで隠れるドレスを着ろと言ったところで、元より人に指図されるのが大嫌いなイオネが聞き入れるはずがない。
かと言ってあの独占欲の強い、愛執に満ちた公爵が、自分がいない場所で、あまつさえ男ばかりの学者連中や若い学生どもの目に美しい妻の肌を晒すことなどを許すはずもないのである。
ソニアは、公爵の無言の主張に、同意する部分はある。
確かに、ほかの男性にとっては、美しく魅惑的な――それも、凛然たる佇まいの中にも母親となってまろやかな魅力の加わった公爵夫人の絹のような肌は、間違いなく目の毒だろう。
こういうことは、しばしば起こる。決まってイオネが学者同士の会合や大学の視察など、不特定多数の人間が集まる場に、アルヴィーゼを伴わずに出かける日だ。
当初は立て襟のシュミゼットを慌てて用意していたが、ソニアももうすっかり慣れてしまった。
ドレスの仕立てと合わせるためにはやはり揃いのものがよいだろうということで、立て襟のローブ・モンタントを仕立てるようにしたのである。
首回りにものが触れるのが苦手なイオネのために、首になるべく直接触れない程度のゆとりを持たせ、なおかつ張りがあり、優美な形にこだわって、ソニアが意匠から考えた。
襟には最高級のレースや舶来の特別な織物を使用したりと、細部にこだわってイオネの『会合用』スタイルを作った結果、これがお洒落で新しい物好きのルドヴァン女性の琴線に触れたのだ。
ルドヴァン女性の憧れの的、才気溢れるルドヴァンの女主人であるイオネが、大勢の目の前に現れるたびに着る新しいスタイルの襟付きのドレスは、瞬く間に話題を呼び、ルドヴァンの庶民から貴族階級まで、こぞって真似をした。
流行にとんと興味のないイオネが『公爵夫人風ドレス』の真相を知るのは、もう少し先の話だ。
そして今日もルドヴァン公爵アルヴィーゼ・コルネールは、真相を知ったときの妻の反応を想像し、今日はイオネをどうやって可愛がろうかと思案している。
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