公爵夫人のやさしい目論見 - un projet de la duchesse -

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公爵夫人のやさしい目論見 - un projet de la duchesse -

【作者註】 『王城のマリナイア』31話~70話の裏でイオネとアルヴィーゼはこんなことをしていた。というお話。同作未読の方はご注意ください。 *****  アルヴィーゼ・コルネールは意地悪い顔になるのを堪えた。 たった今、愛してやまない可愛い妻が閨で滅多にないわがままを口にしたばかりだ。 「マルクに会うわ」  というのがそれだ。 「言うと思った」  アルヴィーゼは露わになったイオネの首の下に唇を付け、低く言った。  イオネの目的は分かっている。教え子の父親を探したいのだ。  事の発端は、つい二日前に開かれた「獅子と鷲の宴」だった。  獅子と鷲の宴は、かつて千年の戦を続けていたエマンシュナ王国とイノイル王国がとうとう剣を納め、婚姻を結んで同盟国となったことを記念して百年ほど前から続けられている大宴会で、二年に一度、国王同士が交互に自国へ招き合い、相手をもてなすことになっている。  今年はエマンシュナ国王レオニードがイノイル国王イサ・アンナに招かれ、イノイルの王都オアリスに滞在している。当然、アルヴィーゼとその家族も、エマンシュナ王家の親戚かつ十八番目の王位継承者として宴に出席した。  この宴に、イオネがユルクス大学で指導した教え子アルテミシア・リンドがイサ・アンナ女王の通詞として現れたのだ。  イオネは驚くべき再会を心から喜び、かつての教え子が大学を卒業して航海士になってから女王の通詞になるまでの数年のできごとを詳しく知りたがった。  そして、アルテミシアの父親の不存在を知ったのだ。  ところが、つい先ほど散会した夜会で、ちょっと気になることが起きた。  エマンシュナの老夫人がアルテミシアに旧知の軍医「リンド先生」の娘ではないかと声を掛けてきたのだ。結局、その軍医には男の子供しかいないから別人であるという結論に至り、その話はそれきりになった。  が、イオネはそれに納得していなかった。 「本当‘リンド医師を探すつもりか?名前が同じというだけで」  アルヴィーゼはイオネのアンダードレスの前を留める紐をするすると解きながら、気乗りしない様子で言った。エマンシュナ海軍‘ナヴァレ’の軍医を探すのだから、ナヴァレの将校であるマルクに紹介を頼むのが手段としては最も手っ取り早い。が、女好きで軽薄なマルクの名を夫婦の閨で出されるのは何だか気に入らない。 「いいえ、名前だけじゃないわ」  イオネはそう言って、胸元を暴き始めたアルヴィーゼの手をきゅっと握り、止めさせた。  アルヴィーゼは片方の眉を上げ、イオネの伏しがちな長い睫毛に縁取られた思慮深い瞳を見た。こういう目をしているときは、もうかなり先まで具体的な計画を立てている。 「ゴーティエ夫人は ‘そっくり’って言っていたわ。外見がよく似ているというのだから、それが遺伝的要因によるものでないとは言い切れないでしょう。うちの子たちだってわたしたちによく似ているもの」  アルヴィーゼは短く息をついた。 「それで、どうする気だ?家庭のある男に婚外子がいるかどうか訊くのか。万が一リンド医師がアルテミシア・リンドの実の父親だったとして、隠し子の存在を簡単に認めるとは思えない」 「そうね」  イオネはフム、と首を傾げた。 「でも、リンド医師がリンドさんの父親かどうか確かめるのはわたしじゃないわ。わたしは教師だもの。答えを与えるのが仕事ではないのよ」  イオネはちょっと意地悪そうな顔になったアルヴィーゼに向かって勝気に笑んだ。 「まあ、まずはリンド医師の顔を直接見てみないと。いいでしょ?」  断られることなど微塵も考えていない顔だ。イオネのこういうところが腹立たしい。が、それ以上に愛おしい。 「止めない。好きにしろ」  これは、「いくらでも俺を使っていい」というアルヴィーゼの意思表示だ。イオネはそれを理解している。  イオネは意志の強いスミレ色の目を穏やかに細めた。 「ふふ。ありがとう。わたしの旦那さま」 「…ずるい女だ」  まったく腹立たしい。ルドヴァン公爵アルヴィーゼ・コルネールを手玉に取れるのは、広い世界を余すところなく探してもこの女ただひとりだけだ。 「お前のそういうところ、屈服させてやりたくなる」 「なに――んん!」  アルヴィーゼは何か言いかけたイオネの唇を噛み付くようにして塞ぎ、その身体を寝台に押し倒した。イオネがアルヴィーゼの肩にしがみついてきたので、先ほど中断させられた下着を剥ぐ作業を続けることができる。  深い口付けを受けながら、いとも簡単にイオネの肌は暴かれ、露わになった素肌をアルヴィーゼの手が舐めるように這っていく。  唇が離れると火がついたように熱い吐息が混ざり合い、アルヴィーゼのエメラルドクリーンの瞳がそれよりももっと激しい熱を孕んで鈍く光った。ぎゅ、とイオネの鳩尾が軋み、腹の奥が疼き出す。  悔しいけれど、この誘惑に勝てる気がしない。 「あ…!」  アルヴィーゼの黒髪がさらさらと胸元をくすぐったと思うと、豊かな乳房を舌が這った。イオネの身体にぞくぞくと快感がせり上がってくる。  アルヴィーゼは舌先で味わうようにイオネの硬く立ち上がった乳首をつつき、吸った。イオネは身体をびく、と震わせ、何かに耐えるように頭を掴んでくる。二人の子に母乳を与えたイオネの胸は、去年ようやくアルヴィーゼだけのものとして戻った。以前よりも少し大きくなった柔らかい乳房に丹念に触れ、その頂を指の腹で優しく愛撫すると、イオネがもじもじと両脚を擦り合わせた。 「ああ、こっちも欲しいか」  アルヴィーゼはちょっと悔しそうに瞳を潤ませたイオネに薄く笑みを浮かべ、脚の間へと指を這わせた。 「はっ、あ!んん…」 「イオネ――」  耳元でアルヴィーゼの低い声が静かに響く。指が触れる場所は既に熱く濡れて、その浅い場所を探るように動いてはイオネの身体の中に快楽の炎を灯していく。 「どうして欲しいか言え」 「あっ、アルヴィーゼ…」  ぐ、と指を奥まで押し込むと、イオネが高い声で叫び、内壁が狭まった。 「もう、いれて…」  正気を保っているのかどうか、イオネが甘い声でねだった。ついさっきまで教師の顔をして教え子のことを思案していたスミレ色の瞳がとろりと淫猥な熱に蕩け、官能的な唇が淫らな言葉を発してアルヴィーゼを誘惑している。 「ふ」  アルヴィーゼは勝利の笑みをこぼして乱雑に衣服を脱ぎ捨て、イオネの脚を開いてひと息にその甘やかな身体の奥へ入った。 「ああ――!」  精悍なアルヴィーゼの身体の隆起を柔肌で感じ、身体の奥に溺れてしまいそうなほどの快楽を創り出され、イオネは夫の広い背に腕を回してその甘美な衝撃を享受した。何度抱き合っても、互いに欲望が尽きない。  真っ白な絶頂が襲ってきたとき、イオネは夫の名を叫んできつく抱き締めたその背に爪痕を残した。アルヴィーゼもイオネの最奥部を穿ち、激しい歓喜と共に欲望を吐き出してイオネの隣に倒れ込んだ。  二人とも肩で息をしながら、互いに汗の浮いた顔を見合わせた。 「…明日から始めるわ」 「仕方ないな」  アルヴィーゼはにやりと笑った。すっかり教師の顔に戻ってしまったイオネを、今度はどうやって快楽に溺れさせてやろうかと考えるのが愉しくて仕方ない。  イオネの宣言通り、アルヴィーゼとイオネは、翌日の昼にはエマンシュナへ向かう商船に乗っていた。向かう先は、マルクが現在任務に就いているエマンシュナ東北部の軍港だ。  子供たちは滅多に来られないイノイルでもっと遊びたいと主張したので、養育係のマレーナと優秀な使用人たちに任せてオアリスの屋敷に残してきた。  イオネはと言えば、先程から船の縁に肘を乗せてオリーブ色のドレスの裾を靡かせ、何事か思案している。アルヴィーゼは隣に立ってその美しい横顔を眺めた。今は、教師の顔ではない。 「…何故、あの教え子にこだわるんだ」  潮風を頬に受けていたイオネは、ちょっと目を見開いてキラキラと陽光を跳ね返す波から隣に立つ夫の顔へ視線を移した。 「こだわっているつもりはないわ。でも…」  イオネはウウンと首を傾げ、海風で裏返ったアルヴィーゼのグレーのジャケットの裾を直してやった。 「でも?」  イオネとアルテミシアには、言語学の分野で高い能力を持っているという以外にも共通点がある。「父親の不存在」だ。  イオネはまだ少女だった頃に父親を亡くし、アルテミシアは本当の父親を知らない。  アルヴィーゼは、イオネがアルテミシアをただの教え子という以上に気に掛けるのは、きっとこの共通項に何か特別なものを感じているからだと思った。  しかし、イオネの感情はもう少し複雑だった。 「わたしって、個人主義的なところがあったと思うの」 「そうだな」  五年前に知り合ったばかりのイオネは、正に孤高という感じだった。  自分のことは何でも自分だけで解決しようとし、例えば家族であっても自分の弱みを見せることを極端に嫌っていた節がある。アルヴィーゼはそういう彼女の、彼女だけが入ることのできる領域に無遠慮に入り込み、結果的にそれを許された唯一の存在だ。 「今考えると、それを生徒たちにも押し付けていたように思うの。まるでそれが正しい姿であるように振る舞うのは、指導者として模範的とは言えないわ。未熟だった。本当は人と関わってこそ得られるものがたくさんあるのに。…それは、あなたと出会って、子供たちが生まれて、自分にとって心から大切な存在ができて、初めて理解できたことなの。だからわたしは、今まで関わってこなかった、でも実際は関わるべきだったものが再び目の前に現れたときに、また何もせずに見逃してしまうようなことはしたくないの。いつでも自分を誇っていたいから」  イオネは風に乱れたアルヴィーゼのストライプ柄のクラバットを直し、上衣の上から胸に手を置いた。 「アルテミシア・リンドがそうか」 「ええ。わたし、彼女のことを二年も教えていたのに、家庭のこと――酷い養父がいることも知らなかったのよ。彼女のことをよく見ていたら何かに気付けたかもしれないのに。指導教授として、もう少し気を配っておくべきだった。それでもきっと、当時のわたしではできることがほとんどなかったでしょうけど…。でも、今は違うわ」  アルヴィーゼは唇を吊り上げて胸に置かれたイオネの手を取り、その甲に口付けをした。 「お前のそういうところ、愛おしいな」  イオネの白い頬に血色が昇った。照れたときにいつもするように、ちょっと不機嫌そうな顔を取り繕っている。 「な、何よ。急に」 「別に、急じゃない。簡単に他者のためとか理想のためとか口にせず、自分の信念が常にはっきりしているところはいつだってお前の美徳だ。俺の誇りでもある」  あの不遜なアルヴィーゼからこんなに素直に褒められると思っていなかった。イオネはつい言葉を失ってしまった。顔がひどく熱いから、多分真っ赤になっているだろう。その証拠に、エメラルドグリーンの瞳を機嫌良く細めてアルヴィーゼが顔を覗き込んでくる。 「み、見ないでちょうだい」  ぷい、と海へ顔を向けたイオネの顎をアルヴィーゼが掴み自分の方へ向かせた。 「それは無理な相談だ」  イオネが抗議の言葉を発する前に、アルヴィーゼはイオネの身体を両腕の中に閉じ込め、身体を船の縁に押し付けて口付けをした。周囲で立ち働く商船の船員たちがちらちらと視線を投げてくるが、気にもならなかった。  アルヴィーゼが唇を重ねてくると、もうそれだけで他のことが手に付かなくなってしまう。  突然現れた親友の頼み事を、ナヴァレの将校マルク・オトニエルは快く引き受けた。しかも、マルクは無駄に顔が広いから軍の中の人捜しに苦労はしない。  軍医のリンド先生は、驚くほど簡単に見つかった。この時、たまたま同じ地域の病院に駐在していたのだ。軍港から三十分ほど馬を走らせると、その病院はあった。白っぽい石造りのクーポラのある建物で、兵士たちの療養と安全のために木々の生い茂る林の中に建っている。  イオネは目立たないように地味な茶色い麻の外套のフードをかぶり、「腹痛を起こした」マルクが診察を受けるのに付いていった。  アルヴィーゼはイオネがマルクを心配する恋人のふりをして病院へ付き添うことを酷く不愉快そうにしていたが、秘密裏に事を進める必要がある以上は目を瞑ってもらわなければならない。イオネが身体でこの借りを返すことを約束すると、アルヴィーゼは昏い笑みを浮かべて承諾した。 「どれがリンド医師?」  イオネがマルクに訊ねた。二人は待合場所のソファに座り、すぐ後ろで医師たちがバタバタとせわしなく往来する板張りの廊下をそれとなく眺めている。深い緋色の軍服にナヴァレのイルカの紋章を胸に付けた大男のマルクは目をきょろきょろさせ、訓練中に腕を折ったらしい若い兵士の手当てをする丈の長い緑の上衣に身を包んだ男を小さく指差した。 「あれだよ。あの、明るいブロンドの短髪のひと。いい先生だよ。今は‘リンド先生’じゃないけどね」 「どういうこと?」 「奥さんの実家の病院を継ぐために、何年か前に奥さんの家の姓に変えたんだそうだよ。今は‘バロー医師’だ」 「ふうん」  イオネは微かな失望を抱いて医師の姿をまじまじと見た。それほどの覚悟で妻と一緒になったのなら、やはり他所で子供を作るような男ではないような気もする。どちらにせよ、なんだかきまりの悪い結果になりそうだ。イオネはリンド医師の観察を続けた。  処置は素早く的確で、患者への説明もわかりやすい。表情が穏やかで雰囲気も柔らかいから、病人やけが人にも安心感を与える存在だ。周囲の人の接し方から見ても、慕われているのが分かる。 (よく似ている)  目鼻立ち、表情、輪郭、どれをとってもアルテミシアに驚くほどそっくりだった。親子だといっても違和感がない。というより、しっくりくる。ゴーティエ夫人が間違えるのも無理はない。  計画を実行するとしたら、幸せなバロー医師の家庭を壊す結果になりかねない。このまま何事もなかったかのように立ち去ることもできる。  しかし、バロー医師がその穏やかな顔にアルテミシアとそっくり同じ笑顔を浮かべた時、イオネは決心した。  その後、エマンシュナ軍とイノイル軍が合同で南エマンシュナの海賊討伐作戦を始めると聞きつけたイオネは、初めて個人的な理由で公爵家の権力を行使した。  ルドヴァン公爵夫人の権力で、バロー医師を南エマンシュナの作戦に参加させたのだ。  しかも他の軍医が従軍することに決まっていたところを、大した理由もなくバロー医師を軍船にねじ込むことになった。振り回された軍医たちは急な予定変更で大変な目に遭ったが、この程度の人事異動はルドヴァン公爵の手にかかれば造作もないことだ。  もし合同作戦中に二人が出会ったとすれば、何かが繋がるはずだ。第三者の自分が何か直感めいた閃きを感じたのだから、本当に二人に何かの絆があれば、きっと繋がる。  イオネはこの一縷の望みに賭けることにした。 「直感って、本当にあるのね」  イオネはアルヴィーゼの執務室のソファにしどけなく寝そべり、教え子から届いた手紙を読んでいる。  時節は春を迎え、ルドヴァンにも暖かい風が吹くようになっていた。開け放った窓から柔らかい春の風がそよそよと吹き、イオネのヘリオトロープ色のドレスの裾を揺らした。  アルヴィーゼは書類とペンを置いて立ち上がり、妻の寝そべるソファの肘掛けに腰を下ろして手紙を取り上げ、さっと目を走らせた。 「父親は双子だったのか」 「バロー医師のお兄さんがリンドさんのお父さまだったんですって。しかも、わざわざお母さまのところに訊ねてきて、もうすぐ結婚するそうよ」  アルヴィーゼは眉を上げ、ニッと笑った。 「ここに女神がいたおかげだな」 「あら」  イオネは仰向けになり、夫の秀麗な顔を見上げて柔らかく微笑んだ。 「嬉しいことを言ってくれるのね、ルイ」 「ふ」  イオネが身体を起こしてアルヴィーゼの頬を引き寄せ、その唇に蝶が止まるような口付けをした。この上なく機嫌がよい。 「今わたしの故郷に滞在しているみたいなの。お祝いをたくさん贈らなくちゃね」 「おっと、その前に――」  立ち上がりかけたイオネの腕を引き、アルヴィーゼはその身体をソファに押し戻した。 「女神から夫に愛の贈り物をくれ」  イオネはくすくす笑って、迫ってきたアルヴィーゼの口付けを受け入れた。
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